「よお」
声をかけられて、私は立ち止まった。山崎雄介が笑って私を見ていた。
「おお、久しぶりに会ったな」
考え事をして歩いていた私は、苦笑いしてうなずいた。
「ぼんやり歩くなよ。この道は車通りこそ少ないが、スピードを出す車が多いからな」
山崎は30歳前後の女性を連れていた。女性はうつむいていた。
「僕の患者で、散歩に付き合っている」
「大変だね」
私の言葉に山崎はうなずくと、患者の女性をさりげなく促した。
彼女は顔を上げて柔らかい笑みを浮かべて会釈してから、
山崎と肩を並べて行きすぎていった。
山崎は心療内科医で、最寄りの駅前にクリニックの看板を上げていた。
この街にある高齢者のケア施設の嘱託医もしていた。
私は2人を振り返って、なんとなく安心した。
彼のクリニックにはケア施設の利用者が多く通ってくる。
彼は認知症の患者に人気があった。
行き届いた診療で知られており、回復や、改善する患者が多いと評判だった。
1年程前、私は駅前広場を険しい顔でうろついている人に、
「どちらへお出かけですか?」
と、声をかけたことがある。
「会社です」
70代と思われる高齢の男性だったが、
険しい表情のまま答えた。
「山崎クリニックではないですか?」
彼は黙ってうなずいた。
「私も商用でそちらへ伺うところです。ご一緒しましょう」
私は話を合わせて彼を山崎クリニックへ案内した。
山崎からもう随分前に、認知症患者の徘徊について興味深いことを聞いた。
「徘徊と言ってもね、穏やかな表情でゆっくり歩いている場合は、
 ほっといても大丈夫かな。楽しい思い出の場所を探していることが多い。
 見つからなければ多くは自然に足が自宅へ向かうよ。
 ただ、夜などに切迫したような険しい顔をして、タッタ、タッタ
 歩いている場合は通勤などの目的があって歩いている場合が多い。
 とっくにリタイアしているのに、まだ現役のつもりになっている」
「昼間の勤めだったのに、夜の徘徊なんだ」
「昼も夜も関係ないんだよ。そのときは通勤という意識で  
 いっぱいなんだから。そういう徘徊者を見かけたら  
 安心感を与えるように声かけしてほしいんだ」
そういう予備知識があったので、
私は山崎クリニックの患者で、
山崎クリニックを勤務先と思い込んで探しているな、
とぴんときたので山崎クリニックへ案内したのだ。
さっきの女性の患者は、
楽しい思い出のところへ行くつもりなのだろうか。
山崎はどういうケアをするのだろうか。
思い出の場所に行き着いてほしい、と私は心から願った。

数日後、私は昼下がりに散歩へ出た。
私は歴史評論という地味な仕事をしている。
原稿の数倍の時間を史料の読み込みに当て、
近年は自分流のネットサーフィンで新史料の発掘にも時間を使う。
地方の小さな街で開催中の小規模の史料展を見つけ、
勘が働くと飛んでいくこともある。
その割に歴史評論家の原稿料は大変安い。
いや、愚痴はよそう。
私はとにかく歴史が好きなのだ。
一回り以上年下の妻はいるが、子供はいない。
妻は高校の数学教師をしている。
原稿料が安くても好きな道を好きなだけ歩いてほしい、
と理解ある目で私が見てくれる。
この前、女性の患者を連れた山崎と会った道へ入った。
山崎と会ったところは、
まだ200メートル以上先になる 。
そのずっと手前の右手に、芝生主体の公園がある。
その公園が見えてきた。
小さなイベント用ステージがあって、
そのステージに男女のカップルが上がっていた。
山崎とその患者の女性だった。
2人は1つのマイクを握りあって、
往年の人気デュエット曲歌っていた。
2人ともとても解放されて楽しそうだった。
少し変な気もした。
マイクだけで、どこにもカラオケの機器は見当たらなかった。
2人の声も肉声で、道で聞いていると聞こえづらかった。
10人前後の人が立って聞き耳を立てていた。
私は吸い込まれるように公園に入り、
ステージに近づいた。
今日の山崎は白衣に首から聴診器をぶら下げていた。
女性患者は黄色いセーターに、
ブルージンというくつろいだ格好だった。
2人のデュエットを立って聞いているうちの1人は、
山崎と同じ白衣姿の男性だった。
デュエットが終わり、白衣姿の男性は拍手をした。
他の人たちもつられていっせいに拍手をした。
山崎は満面の笑みを浮かべて、
思いがけないことを言った。
「ご当地ヘは8年ぶりでございます。この大きなホールに満席という
 大盛況をいただいて感激しております。いつに変わらぬ皆様方の元気に、
 力をいただいております。それではご当地ソングの(粉雪舞う無人岬)を
 岡村ケイが歌わせていただきます」
この言葉を受けて女性患者はしっかりマイクを1人で握り、
水平線の果てを見るような目で歌いだした。
患者に付き合うのも大変だな、と私は思った。
野次馬らしいみんなを拍手に導いた白衣の男性が、
何気なしにちらっと私を見た。
どこかで見たような顔だった。
山崎は私に気づいているはずなのに、
まるで素知らぬふりをしていた。
これも患者のための診療活動で、
私がいるのは邪魔なのかもしれない。
そう思って、私は公園の外へ出て散歩を再開した。
デュエットしているときの山崎の、
本当に楽しそうで嬉しそうな表情が気になった。
主治医という立場を忘れて心から楽しんでいるように見えた。


数日後、ラジオ番組に出演するために、
私は午前中に都心のラジオ局へ向かった。
電車に乗ると、 40代半ばのスーツ姿の男性に声をかけられた。昨日、
山崎たちのデュエットを立って聞いていた白衣の男性だった。
私は彼が掛けている座席の隣に腰を下ろした。
「昨日、山崎たちのデュエット聞いていましたね?」
「はい。ところで1年ほど前ですか、あなたを山崎クリニックでお見かけしました」
「ああ、そのとき私はあなたの顔見ていたようです」
「そうですか。僕は大学病院の勤務医ですが、
 たまに叔父のクリニックを手伝っていました」
「手伝っていましたというと、今はお手伝いしていないということですか?」
「ご存じなかったのですか? 叔父は山崎クリニックにはもう出ておりません」
「えっ、どういうことですか?」
私は驚いて聞き返した。
「そろそろ、1年になると思いますが、叔父は若年性アルツハイマーを発症しました。
 それでも、2ヶ月ぐらいはクリニックに出ていたんですが、
 進行が早いたちのようで診療はやめました。
 それからでも10ヵ月ほどになります」
「あの女性患者をエスコート的に介助しているのか、と思いましたが…」
「あの女性は今の山崎クリニックの看護師です。
 今、叔父は自分が医療ケアしていたケア施設に入所しています。
 叔父はカラオケが大好きで、彼女を自分が歌の世界に
 送りだした歌手だと思い込んでいるんです」
「山崎クリニックはあなたが継いだかたちになっているんですか?」
「はい。勤務先の了解を得て月水金は山崎クリニックに出ています。
 火木はまだ残務整理的な形で大学病院に通っています」
「山崎のアルツハイマー病はどんな感じなんですか?」
「記憶はかなり失われています。僕のことを山崎クリニックに勤めだした
 後輩の医師だと思いこんでいますから」
山崎は薄い苦笑いを浮かべた。
「ただ、叔父は子供のときから陽気な性格で、
 人の面倒見がいいんです。発症して進行こそ早かったんですが、
 最近は少し落ち着いてきています。振る舞いは現役の心療内科医のときよりも
 楽しげですし、こっちとしてはあまり手がかからない患者なので、
 それだけは助かっています」
ターミナル駅につくと山崎の甥は慌てて立ち上がり、
私にお辞儀をしてホームへ降りていった。
私はドアが閉まっても彼の姿を追いながら、
山崎の幸せを祈った。
山崎とは6、7年前、山崎クリニックの裏通りにある小料理屋で知り合った。
彼は1人で飲んでいたが、私が1人で入っていって席を探すと、
とても柔和な雰囲気で、
「よかったら、一緒に飲んでいただけますか?」
と、声をかけて自分がついているテーブルの向かいの席は指差した。
ふんわりとした優しさを感じる人柄だった。
その山崎が若年性アルツハイマーにかかるとは夢にも思わなかったが、
よお、と声をかけてきたときは、
本当に私と認識してのことだったのか。
公園でステージに上がっていたときは、
よお、と声をかけたときのことも忘れていたのか。それはもうどうでもよかった。
温和で優しいという人間性だけはいつまでも失わないでほしい、と願った。