将棋棋士・大山康晴氏は50歳で挫折を知った。

18期保持した名人位を二回り年下の若手に奪われる。

さらに十段戦、王将戦などで敗れ、ついに無冠に。

マスコミは「大山時代去る」と書き立て、

呼称は“名人”から“大山さん”になった。

 

しかし氏は諦めていなかった。

「五十歳の新人に候」と、再び立ち上がった。

名人から陥落した年は58局、翌年は64局と自己最多の

対局数を記録しつつ、上座に座る年下棋士に挑み続けた。

その中で「受けの大山」といわれた指し方に積極性が加わり、

通算優勝124回を数えた。

(『大山康晴――人生に勝つ』日本図書センター)

 

学会活動に消極的だった岡山の壮年部員。

彼の勤務していた会社が倒産した。

職を探すが求人は若者ばかり。

思い悩んだ日々を経て、30年ぶりに座談会へ。

温かな励ましの中、信心で再起しようと腹を決めた。

 

勤行・唱題を地道に実践し、幹部に指導を求めた。

縁する人々に、自身の失敗を赤裸々に語りながら対話すると、

おいが入会。壮年の背中を見ていた娘も弘教を実らせた。

 

新たに起こした鉄骨設計会社には今、発注が相次ぐ。

 

池田先生は、

「見栄や虚栄などをかなぐり捨てた人間ほど、強いものはない」と。

自分を信じ、人生の勝利を諦めない。

その最強のエンジンこそ信心である。(子)

          名字の言>2018.5.23

          聖教新聞「SEIKYO ONLINE」

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「日眼女造立釈迦仏供養事」日蓮大聖人全集P1187


頭(こうべ)をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)をうごかし奉(たてまつ)れば・ゆるがぬ草木やあるべき  

 

~通解~
頭を振れば髪が揺らぐ。心が働けば身体が動く。大風が吹けば草木も揺れる。大地が動けば大海も荒れる。同じように教主釈尊を動かせば揺るがぬ草木があるだろうか。

 

強い一念で御本尊に祈れば、諸天善神が必ず動くとの仰せです。

~池田先生のご指導~
妙法の当体である御本尊を「うごかして」いくには、まず自分自身の一念を"強く動かす"ことが必要になります。すなわち、"絶対に信心で解決(実現)しよう"と強い決意をすることです。
そして、「何を、いつまでに、どうするのか」という具体的な目標を決めることです。決意と目標を明確に、一念を定めた強い祈りで、生命力(行動に変わる)と智慧(方法・手段)を引出し、最大の努力と工夫で実戦したとき、勝利の実証を示すことが出来るのです。
信心というのも、すべて自分の一念で決まるんです。
"心こそ大切"なんです。どういう心で頑張ったかなんです。一念の因果なんです。

 

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「転重軽受法門」日蓮大聖人御書全集P1000・編379)

 

先業(せんごう)の重(おも)き今生(こんじょう)につきずして未来(みらい)に地獄の苦を受(う)くべきが今生にかかる重苦(じゅうく)に値(あ)い候(そうら)へば地獄の苦(くるし)みぱっときへて


~通解~
過去世の重い業が今生では尽きずに、来世に地獄の苦しみを受けるところを、今生にこのような重い苦しみにあえば、地獄の苦しみがぱっと消えて……。

現世に正法を信ずることにより、過去世の重い業の報いを軽く受け、消滅させていけると、「転重軽受」の法理を示された一節です。

~池田先生の指導~
仏法では、過去の善・悪の振る舞い(心・言葉・動作)が、自分自身の生命に善・悪の業として刻まれ、その報い(果報)が未来に、楽や苦となって、必ず、あらわれてくると説いています。
過去世の重い罪業による地獄のような苦しみの境涯も、妙法を弘めようとして遭遇する難を乗り越えることで、その罪業を消滅させて宿命転換することができる。罪業をなくしてゼロにするだけでなく、仏界の境涯を開き、プラスの人生を歩んでいけるようになる。このことを説いたのが転重軽受という法門です。

信仰のうえで起こる難は、“転じて軽く受けている”姿であることを忘れてはなりません。
現在世に正法を信じ、修行に励んでいくことで積まれる「護法の功徳力」によって生命が浄化され、智慧の力、生命力が強化されて、一切の罪業の苦悩を消滅させ、成仏という絶対的な幸福境涯を得ることができるのです。
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 「四条金吾殿御返事」日蓮大聖人全集P1116

 

法華経の行者として・かかる大難にあひ候(そうろう)は・くやしくおもひ候(そうら)はず、いかほど生(しょう)をうけ死にあひ候とも是(これ)ほどの果報(かほう)の生死(しょうじ)は候はじ

 

~通解~
法華経の行者(ぎょうじゃ)として、このような大難にあったことを、悔しいとは思わない。どれほど多く、この世に生を受け、死に出あったとしても、これほどの幸せな生死はないであろう。
 
~池田先生の指導~同志への指針

 

日蓮大聖人は、いかなる迫害にも「喜悦(きえつ)はかりなし」の大境涯であられた。
仏法の眼(まなこ)で見れば、苦難には全部、意味がある。全てが永遠に崩(くず)れざる幸福境涯を築くための試練(しれん)なのだ。
苦しみがないから幸福なのではない。何ものにも負けない自分を毅然(きぜん)と築(きず)く中に、真の幸福と安穏(あんのん)がある。戦う心に、三世を貫(つらぬ)く大満足の果報が約束されるのだ。

 

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下矢印リンク、修正しました。飛べるようになりました。

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<教学> 生命論 「 十界論 」

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女性に贈る100文字の幸福抄 [ 池田大作 ]

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