親の話、続きです。
父と母は基本的には仲良し。
喧嘩もしていたけど、
あまり喧嘩を
引きずらなかったような記憶があります。
直球の父親に対して、
母がうまくいなしていて、
それでうまくいっていたんじゃないかと
思われます。
私にはこの「いなし」が
うまくできなかったん
だろうなあ、と
今は思います。
母はよく私に
「押したり引いたり、
あれこれやるのよ」
といっていました。
考えると、私の
夫に対する対峙の仕方は
ワンパターンだった気がします。
もちろん、母も人間ですから
感情的になったりすることも
あっただろうし、怒ることも
ありました。
でも、そのことを長く
引きずってはいなかったな。
いや、もしかしたら引きずっては
いたのかもしれないけど、
表面には出しませんでしたね。
言葉も選んでいたように思うし、
父を適度に立て、
アメの与え方も
上手でした。
いわゆる「昭和な女性」ですよね。
そんなうちの両親は基本的に、
私たちを自由に育ててくれました。
私たち姉妹に
勉強しろ、とか片付けろ、とか、
受験しろ、とか
こういう友達と付き合うな、とか
なーんにも言ってこなかったし
強制してこなかった。
とても自由でした。
でも、大切なことだけ、
伝えてくれました。
お金は縁の切れ目。
お金をたやすく人に貸すんじゃない。
借りるんじゃない。
貸すなら、かえってこないと思え。
これは、結構小さい頃から
言われていました。
だから、人に千円貸すのも
最初はとても躊躇しました。
もちろん、社会人になって、
貸し借りもするようにはなりましたが、
最高でも五千円くらい。
万単位で人とやりとりしたことは
ありません。
これは、親の教育によるものです。
続きます。