学水舎 代表の語録(R020323

『徒然なるままに~(人間)引力と斥力-続き』

加賀海 士郎

 

【これまでの要約】

予期せぬ形の春休み、常なら五月連休までは殆ど休みらしい休みの無いはずが、想定外の難敵に出くわし、

とんでもない長期休暇となった。

どうやら人間というもの、つくづく独りでは生きられぬように出来ているらしい。長らくひと所に引き籠って居ると、妙に誰彼となく恋しくなる。

常ならば左程でもないのに、何か磁場のようにストレスがかかれば人間同士にも引力や斥力が働くのだろうか。

 

若かりし頃、青春という磁場では、理由もなく強い力に惹かれ、我を失ってしまった。

互いの意思とは関わりなく、惹かれ合う者を生み出し、無用のものを遠ざけようとする、見えざる力の為すがまま、

果たしてそれが運命なのか、

否、どんな色に惹かれるかは前世からの定めであっても、何色を選ぶかは自らの意思、現世は己が選択の結果を映す。

 

往年の輝かしい日々、仕事という磁場では、卓抜した能力の先達に惹かれた。

無益の闘争を回避し、有益な同士との友好を深めた。

時にライバルを認め合い、競争心をたぎらせたが、競争は勝者と敗者を生み出した。

憂き世とは文字通り、理屈通りには回らず、情が絡み煩悩が渦巻く、混沌の深い海、

その渦中でもがき、葛藤しながら終の世界に近付くのみ、そこは来世へと続く途(みち)。

徒然なるままに思い巡らせば、人もまた素粒子の如く飛び回るも、環境や世間という名の磁場や縁に左右されているらしい、

人は一体、何処から来て何処へ往くのか?   

   (その一 完)

【その二】

 仕事という磁場から解き放たれて真の自由に包まれる。

ふと、来し方を省みて、己が鏡に目を移す、未だ煩悩にまみれて惑う立ち姿、

今さら何を迷うことやある。

ただ五体のみ、裸一貫でやって来て、何を手に入れ、何処へ持って行くつもりか、

そう言えば、裸一貫とは、よく言ったもの、

現世の始まりは正に一貫目足らずの身、

今やその身は十数倍にも膨れ上がり、懊悩の色にどっぷり染まりぬ。

 身につけしものは、全てが借り物、旅立つときには僅かな慎みのみ残し、

お返ししなければなるまい。

 

 我が身を育ててくれた人々の恩に感謝し、それ以上に報いねばなるまいが、

いか程のことが出来ようか、心もとない吾が姿。

気付くのが遅すぎるのか、未だ時はあるか、心配無用、思い立ったが吉日、

事を始めるのに遅すぎはなし。

 

 少しは己が愉しみに、見聞を広めるも良かろう、

或いは旨酒に酔い、友と語るも許されよう、やりたいことはやっておけ、

したくても出来なくなる時は近い、し残すことは多いだろうが、

決して悔やむことのないよう、いまを精一杯生きること。

 

 残された時を何に使うかは己の意思、その選択の結果が人生というものだろう。

いずれは独り旅、今生(こんじょう)の別離(わかれ)がやって来る。

 いまこそ、友を選ばねばなるまい、その志、高ければ佳き友に巡り合い、

そこに又、引力と斥力が働く、そりが合わねば去る者も少なくあるまい、

 而して、いつまで経っても煩悩がこの身を包む。

なんとまあ、器の小さきことよ。

 

 はてさて、この憂き世の引力も斥力も働かなくなった時、

その時こそ、懊悩が消え、お迎えが来るのかもしれぬ。

なんとまあ、業の深いことか。

 

 おう、そうか、この分では当分お迎えが、やって来ないに違いない。

憎まれっ子、世に憚る、と言うではないか、

誰にでも好かれるような仏様になったら往生間違いなしだ。

何の迷いもなくなり安心安寧が手に入るはずだ。

 

 だが、それでは人生が詰まらない、それほど死に急ぐこともあるまい、

冥途への旅は慌てる必要はない、まだまだしたいことがあるはずだ、

そのためにも体を鍛えて置こう、耄碌(もうろく)しないように

適度な緊張を保っておこう。

子や孫にも忘れずに繋がなければならないことがある。

生きることの意義、生命(いのち)を繋ぐ事の大切さを彼らの肝に銘じるのだ。

(完)