PHP(2020年4月号)の裏表紙より、

『睨(にら)んでいるだけでは』

                                     加賀海 士郎

 “明けやらぬコロナ籠(ごも)りや 春遠し”

  

啓蟄(けいちつ)の候、冬籠りの虫が這い出ようとする季節なのに、人間様が家に引き籠っていなければならないとは情けない仕儀となったものだ。

連日、テレビは新型コロナウィルス感染症の罹患(りかん)状況や拡散ルートを追跡リポートし、未知のウィルスの正体や防衛策に関する専門家の見解を紹介し、政府や官公庁のドタバタぶりを揶揄(やゆ)する如くコメンテーターで大賑わいになっている。

 

庶民の多くは、可能な限りテレワークだの時差出勤を励行し、生産活動に携わらない学生や高齢者は自宅でじっと我慢の子を要請されている始末だ。

 

今や国を挙げて新型コロナウィルスとの戦争状態に突入ということらしいが、それにしても「トイレットペーパーが出回らなくなる。」ともっともらしいフェイクニュースを流したり、マスクの転売で一儲けを企んだりする輩(やから)が跋扈(ばっこ)するのだから、這い出た虫たちも愚か者たちと笑っているのではなどと思いながら、届いたばかりのPHP4月号に目をやると裏表紙には標題とともに次のようなメッセージが書かれていました。

 

「・・・前略・・・悟(さと)りを得た達磨(だるま)は、足を解いて立ち上がった際、こう言ったという。

 

“なるほど、ただ睨んでいるだけでは、壁に穴を穿(うが)つことはできぬ”

 

さて、当たり前の事実を言うこの言葉。これをたわいないことと笑っていいのだろうか。

仕事や学習において、日常、成すべきことに囲まれているのが私たちである。けれども、そのすべてを遂行(すいこう)できているかと言えば、甚(はなは)だ心もとない。

 

理念に基づく尊い仕事すら、気を許せば、理想を追求するより、出来る現実に照準を合わせている。実力向上を望んで準備する試験も、結果が伴(ともな)わなければいつも別の理由を探している。

 

それはやれなかったのではなく、結局、睨むばかりでやらなかったことと同じなのではないだろうか。

 

穴を穿つには、断固たる覚悟(かくご)がまず求められよう。睨んでいるだけでは何も成しえないのである。」

 

まったくその通りで、耳の痛い話と苦笑せざるを得ない人が多いだろう。筆者も例外ではなく、来し方を振り返れば、なんと反省点の多いことか?

結局、何やかやと別の理由(言い訳)を見つけて問題に正面から取り組んで来なかったということなのだろう。

 

所詮、努力が足りなかったに違いないが、努力家であったり、研究熱心であったりするのも、その人の持ち味であり、才能や力と言うべきものであろう。

 

逆説的に言えば、自分を甘やかしたり、移り気が出たりするのも、その人の個性。人は自分の持ち味を活かして生きるしか道がないのであり、自分らしい生き方が出来たと納得出来れば、例え、何か一事を成し遂げ得なかったとしても、恥じることはあるまい。

 

何故なら、人生は勝負ではない、人としての評価は最期の結果で決まるのではなく、如何に生きて来たかという過程(人生のプロセス) によって決まると信じるからである。 (完)