PHP(2020年3月号)の裏表紙より、
『惜別』
加賀海 士郎
“行く末やかくの如きか 冬の先輩(とも)”
その日は学校の文化祭、折からの新型肺炎騒ぎの中を、年に一度の発表会を観に出かけた。大阪の街はいつもの冬よりは遥かに多くのマスク姿が目立つ。元々が呼吸器機能の弱い筆者はマスクを避けたいのだがそうも言って居られない。
プログラムが進んで昼休み、さて食事に出かけようと会場ホールを出ようとしたとき懐かしい顔に出会った。お互い相手の顔は覚えているのだが名前が出て来ない。
それだけの付き合いと言えばその通りなのだが、土地不案内で食事場所に困っており、良ければ一緒にという事で知り合いのスタッフと三人で食べに出かけた。
あれこれ懐かしい昔話をしながら食事が弾んだ。
聞けば彼は卒寿を迎えたとのこと、しきりに礼を言いながら“文化祭は年に何回あるのか?”と尋ねるので“年1回、今年が初の試み”と繰り返し答える。
7年前、連れ合いに先立たれ今は独り住まいだと言う、“美味い食事に誘ってくれて有難う”と礼を言う。動きは年齢相応でゆっくりだが何度も同じことを口にするのは、いずれは我が身かと何とも切ない限りだと思いながら帰宅し、届いたばかりのPHP3月号に目をやると裏表紙には標題とともに次のようなメッセージが書かれていました。
「人生は出逢(であ)いと別れのくり返し。どちらに味わいがあるかと言えば、やはり別れのほうなのかもしれない。
なぜならば、出逢った瞬間(しゅんかん)では、この人が自分にとってどれだけ大切な人になるかは、まったく見当もつかないからである。
もちろん、一目惚(ひとめぼ)れのように、出逢った刹那(せつな)に心が虜(とりこ)になることもあろう。けれども、その歓(よろこ)びが不変のままとは考えにくい。当然のごとく生ずる様々ないざこざによって、互(たが)いに悩(なや)み、苦しむこととなる。
いずれにせよ、真実の愛や友情、信頼(しんらい)というのは最初から成立するものではない。数々の葛藤(かっとう)を通して培(つちか)われ、鍛(きた)えられ、そうして訪(おとず)れる別れの間際(まぎわ)に、初めてこの人と出逢えたありがたさを知るのである。
卒業や期の終わりを告げる弥生(やよい)の空、あまねく惜別(せきべつ)の時を見守っている。・・・中略・・・
あらゆる出逢いに感謝して、一つひとつの惜別の思いをしっかりかみしめたい。」
“会者定離”逢うは別れの始めとは誰もが知っている人生の理(ことわり)。
しかし、会った時から別れの準備をする人は居まい。とは言え、シニアともなれば、少しは心構えを改め悔いを残さないようにせねばなるまい。
人生で素晴らしきこと、誰かを好きになること。
人生で嬉しきこと、誰かに愛されること。
人生で幸いなこと、愛する人と歩き続けること。
でも、いつか独りになる。その日の為に楽しい想い出を創ろう、
悲しみが心を独り占めしないように、楽しい想い出で心を一杯に満たしておこう。
まだまだその時間はある。 (完)