何のために? 生きること、働くこと

会社の向こうに何を見る?(私の願い)

※この作品は平成十一年三月(筆者が五十代半ば)に一旦書き終えた原案を一部加筆修正したものである。従って、時代背景や社会環境などが異なり、一般企業では六十歳定年で年金受給開始も六十歳であり、士郎は定年まで余すところ数年のサラリーマンとしては円熟期にあった。

 

第五章  見えざる手

 

一、友が教えてくれたこと 

 

二、不思議な出会い

 

三、背中を押すことば

 

「おい、加賀海君、もう結論は出たのか?早く結論を出してもらわないと当方も人員の手当てや色々準備するのに時間が掛かるのだから、いつまでも待っていられないんだ。分かってるだろう。」

電話の向こうから寺山取締役のだみ声が購買部長の加賀海の混濁した頭の中を更に混乱させた。

「はいっ…、承知しております……。その件に就きましては、先般そちらで、お打合せしました内容を基盤に、そちらのご意向に沿った形の答申案をとりまとめて既に常務の方に提出済みです。正月早々、角野専務が常務の部屋に突然、見えられまして『いつまでも放っておく訳には行かないな。来期の組織を考える上では購買部の提案に結論を出しておかなきゃいかん。』ということで、私も呼ばれて常務と専務と鳩首会談になりましたが、何せ急なご訪問で下準備が出来ておらず、結論を出すには、もう少し提案内容をイメージし易いように目に見える形に取りまとめてから改めて協議しようということになり、とにかく松の内明けには私が答申案をまとめて、それを基に再協議し、一月中には結論を出すと言う事になっていました。

今度の常務会が二月十二日ですから、そこでは型通りの確認をするという段取りだったと思います。ご存知の通り、一月末の常務会が先週末にありました。その日、お昼休みに角野専務が常務を訪ねて来られましたが、あいにく、お留守で、お話ができなかったようです。そんな訳で多分、今週中にはトップ会談が実行されて、来週の十二日の常務会で、予定通り確認の運びとなると思います。」

と返事しながら、加賀海部長の脳裏には上司である神戸常務と実力者の角野専務の顔、それに電話の向こうでだみ声を出している寺山取締役の顔が走馬灯のようにぐるぐると廻り始めていた。これで良いのかな?確かに自分は、ほぼ約束通り松の内明けに答申案を急ぎとりまとめて神戸常務に提出したが、その後、きちんと解り易く説明をする機会が作れていない。

『先ずはご一読願って、その上でご質問頂ければと思いますので、いつでも声を、お掛け下さい。』と申し添えて、常務のご了解も頂いたが、どうみても神戸常務は忙しすぎる。

常務会を前にして先般、実施した創業以来初めての希望退職募集の結果取りまとめやら、決算期が近づき、業績見通しやら情報開示の準備、更には春闘を控えた事前準備等で、とてもまともに購買管理に関する改革案等に目を通す余裕など有りそうにない。

加賀海には、直ぐ隣の硝子越しに常務の部屋が覗けるので、人事部長や財務部長、総務部長等が入れ替わり立ち代わり出入りするのを見ない訳には行かなかった。

神戸常務と加賀海の付き合いは二年ほど前のほぼ同じ時期に、本社に転属になってから上司と部下になった関係だった。

営業畑一筋から本社部門本部長に着任した神戸常務とは対照的に工場勤務一筋で生産管理や資材部門しか経験の無い加賀海部長とではこれまではほとんど接点が無かった。考えてみれば前身が『販売』と『調達』ではこれほど好対照な取り合わせはない。似ているといえば似ているが、攻守所を代えるというか、やはり似て非なるものと言わざるを得ないだろう。

 

「分かった。先日、角野専務とお話をしたら、確かに一月中には結論を出すと言う話をされていた。月末が常務会だったから、君の言うとおり今週中にトップ会談と言う事なのだろう。こちらも組織の組み替えとか、人の問題が絡むので余り悠長に待てないんだ。朗報を待っているんで、宜しく頼む。そうそう、人の問題といえば、この時期購買部もスリム化で人が余る事になると思う。先般、話題に上った杉村課長のことだが、大川事業部長の所で活用したいと言う話が出ていたから、一度相談してみると良いと思うよ。」

と言って寺山取締役が電話を切ったので、やれやれと安堵したものの、加賀海には何か引っかかるものがあった。

人の問題といえば加賀海の方も心配の種を沢山抱えていた。間接業務の効率化とか何だとか、今風の体質改革を本気でやればやる程、本社部門である購買部は余剰人員が浮かび上がって来ることになるが、購買部長が自力でリクルート活動をして、部下の活用先を手当てしなければならない状況に追い込まれる事にもなった。

元々地方の工場勤務が長かった加賀海に、気の利いた人脈や情報ネットが有る筈もなく、神戸常務を通じて人事部長や知人等の少ないつてをたぐって転出先探しをするしかなかった。そんな加賀海が何か引っかかるものを感じたのは、このままじっと待っていたのでは、事は解決しないのではないかということだった。

いや、きっと後戻りできない所へ来てしまっているので、何らかの形で解決はするだろう。しかし、それは必ずしも好ましい結果にはならないかもしれない。結局、問題が先送りされて土壇場の選択を迫られることになり、切るべきカードが無くなった状態での勝負をしいられるかもしれないという懸念だった。

 

『加賀海部長よ、何をためらうのか?この閉塞状況を打ち破るのはお前しかいないではないか。お前は一体、何の為に、誰の為にここまで頑張ってきたのだ?お前が動かなければ、それでも時間が解決してくれるだろう。その結果が少し期待外れになっても、誰もお前を責めはしないだろう。だが、当のお前はそれで許せるのか?』

加賀海は先程の寺山取締役の電話のだみ声をもう一度思い返していた。寺山取締役は加賀海部長の状況報告にほぼ予定通りの結果を確信して、むしろ自信を深めて準備にとりかかるだろう。それはそれで良い。その点については、加賀海も大勢は決していると確信していたが、答申案に盛込んだ内容には寺山取締役の事業部以外の大きな課題も幾つか有った。

それを解決する為には、他が固まる前に何としてでも問題提起しておかないと切り札が使われてしまう恐れがあった。つまり、切るカードがないから次善の代替案で何とかしなければならなくなる恐れが大きかった。

加賀海は思いがけない寺山取締役からの督促の電話を、その時初めて有り難いと感じた。気の弱い自分を、逡巡していた自分の背中を押してくれたのだ。神戸常務がもどったら、寺山取締役の督促をダシにして常務に専務との協議を進めるようお願いしよう。そうすれば自分の頭の中のもやもやも整理できるだろう。加賀海は覚悟が決まると、何だか不思議に体の中から力が湧いて来るのを感じていた。

 

 「常務、失礼します。実は、午前中に寺山取締役からお電話があり、例の改革案の件は、いつ結論が出るのかと督促されました。私としては正直に、『角野専務と常務のトップ会談で近々、基本的な結論を出して、その上で、十二日の常務会にて正式承認という事になると思いますので、今暫くお待ち下さい。』とご返事して納得して頂きましたが、いずれにしろ、延び延びになっている角野専務との協議を、早急に実施しなければならないと思います。

 それから、寺山取締役は杉村課長の活用先として、『大川事業部長の所で是非引き取りたい。という話が出ている。』とおっしゃっていました。誰がどのような形で提案しているのか確かめる必要が有りますが、事実であれば有り難い話だと思います。」

 と意を決して、神戸常務の部屋を訪ねた加賀海部長は、午前中にかかった寺山取締役からの督促の電話について、かいつまんで報告した。

少し間を置いて、神戸常務が口を開いた。

 「そうだな…、角野専務との約束の話し合いをしなければいかんが、ところで、もう一度、問題を整理して置きたい。簡単に要約すると、どういう事になるかな?」

 「先日の答申案の中にも箇条書きしましたが、先ず第一は、どうしても関東地区の購買グループの補強が避けられません。その為には、後任のグループリーダーを任せられる人材を、是が非でも一人引っ張って来る必要が有ります。できれば、工場サイドから幹部級の人をローテーションして貰えればと思いますが、この件は角野専務にお願いする必要が有ります。

第二は、現在、海外調達を本社購買部では扱っていませんが、これからを考えると、海外の生産拠点での資材調達も視野に入れて、本社部門として広域的サービスができる体制作りが必要かと思います。つまり、海外調達グループと購買部の統合をどうするか?という点を明確にすることです。この問題も角野専務のご意向をお聴きし、方向を定めねばならないと思います。こんな時期ですから、本社に人を増強するのは極力避けて、経営に体力が付いてからということであれば、それもやむを得ないと思いますが、世界最適調達とか、海外の関係子会社も含めたグローバルソーシングといった課題こそ、本社で集中管理すべき機能領域であり、今は力不足ですが、いずれは管理出来るように補強することが避けて通れないと思います。

三つ目は、人材の活用問題です。各地の工場毎に事情が異なり、それぞれ固有の問題を抱えていますが、寺山取締役の話が事実なら杉村課長の問題が一つ解消されたことになります。兵庫と関東工場での話は、いずれも実務レベルでは、受け入れを要望しており、工場長への働きかけをして頂いておりますが、何分、どこの工場もスリム化が緊急課題となっており、工場長の了解を取り付けるまでに至っておりません。

常務のお力添えで、各工場長へプッシュして頂ければ、実務レベルが望んでいる方向に一気に動くと予測されます。要約すると以上の三点が課題かと思いますが、何よりも先ず、改革案を実行に移すという基本方針をトップ会談で確認して頂く事が必要かと思います。細々とした問題は、その後で、実務レベルで詰めて行けると考えます。」

加賀海部長は、何としてでも今週中にトップ会談を実施するよう神戸常務を動かさなければならないとの思いが強かった。最早、後戻りはできない所まで来ており、実務レベルの各工場の関連部長を説得して、その気にさせて来た身であり、午前中の寺山取締役だけでなく、ゴーサインを待ち兼ねている人達を裏切る訳にはいかないという思いも強かった。

「分かった。とにかく我々だけで悩んでも答は見つからないから、角野専務に正直にぶつかり、相談してみよう。早々に話し合う機会を作ろうと思う。今度は、こちらから専務の所へ出向く事にしよう。ところで、杉村課長の件については、大川事業部長の方で引き受けたいという話が事実かどうか、君の方で調べてくれるかね?角野専務のアポイントは私から直接申し入れるよ。」

「ええ、それは勿論、私の方で、これから直ぐにでも直接、大川事業部長に当たってみたいと思います。常務の方で、専務との協議の場をセットして頂ければ、後は当たって砕けろで行きましょう。」 

  加賀海部長は神戸常務の部屋を退出しながら、『そうだ、当たって砕けろだ。考えてばかりいないで、意を決して行動に移す事だ。結果は後から付いてくる。思い通りの結果が出なくても、やるだけのことをやれば、納得できるじゃないか。これで、本当に動き出す筈だ。もう後戻りはできないし、誰にも逆転させられないだろう。山は動き出したのだ。』と自分に言い聞かせていた。

 

「失礼します。少しご相談が有りますが、宜しいでしょうか?一枝部長もご一緒なら尚、好都合です。来期の調達体制に関する相談なんですが、ほんの五分か十分で済むと思いますので…。」

大川事業部長を訪ねたが、折悪しく先客が来ていた。打合せ中なので、アポイントも取らずに訪問したこともあり、引き返そうかと思ったが、加賀海部長は目ざとく、改革案の審議委員の一人である一枝製造部長の後ろ姿を見つけると、少し強引に切り出した。

「うん、こちらからも君に頼みに行かねばならんと思っていた所だ。兼ねての構想通り、当方も来期は調達部門の一本化等の業務システム改革を実行に移そうと思っているが、どうも、人材不足で、購買部とも相談しなければと考えていたんだ。」

「実は、その件で、寺山取締役から『杉村課長を活用したいとの話が、こちらの事業部で持ち上がっているよ。』とお聴きしましたので、事実であれば当方としても有り難い話なので、ご相談に来ました。以前から本人も自分を育ててくれたのは本社工場だから、いずれは戻って恩返ししたいと言っておりました。」

「来期に向けて業務システムの改革プランを立案するよう、幹部のみんなに指示していたが、検討して行く内に、どうしても人材の補強が必要だということがハッキリしてきた。誰か適当な人材はいないかと思案していたが、みんなの意見も関西工場の杉村課長がキャリアから見ても申し分ないのではということで一致した。今度の改革案では、購買部でも業務の移管に伴う余力の活用が課題となっているようだから、君の方で了解してくれるなら、是非、杉村君を調達グループリーダーとして迎えたいんだが、どうかね?」

「ありがとうございます。助かります。業務改革で合理化するのは良いのですが、いずこもスリム化が至上命題になっている部門が多く、窮地に立たされているのが実情です。何しろ、人脈も力も無いものですから、本人の希望にも添えるので宜しくお願い致します。神戸常務に早速、報告しておきますので、四月一日からの異動ということで、腹積もり致します。有り難うございました。」

大川事業部長の部屋を辞して歩きながら、加賀海部長は、難問が一つ解決したことで何か肩の荷が随分軽くなったのを感じていた。一所懸命に信じて、素直に行動すれば、必ず納得できる結果に繋がって行くのだという思いが改めて強くなり、何もかもが好回転し始めるという予感が走った。見えざる手が私を後押ししてくれているのかもしれない。ふと、加賀海部長はそんな気がして、大きくひとつ息を吐いた。 

 その後、加賀海部長の願いが通じたのか、追いかけるように角野専務と神戸常務の会談が実施され、加賀海部長も同席する形で協議がなされた。ここまで来たら、大筋で決行する事を前提に課題の解決策を探るのが得策と意見が一致し、事は一気に動き始める事になった。

 関東地区の補強の件は角野専務の方で適材の発掘に当たる事になり、来期からは改革案に沿った形で、人員計画を組織づくりに反映させて行くよう関連部署に指示する事となった。懸案の人材活用の問題も神戸常務のフォローアップで最終的に各工場長も了解することになり、改革案に沿った展開が堰を切ったように関連部署で動き始めた。

 加賀海部長にとっては漸く第一歩が踏み出されたとの感慨があったが、未知の世界に踏み込み、手探りで前進しなければならない不安が同時に去来していた。 

  四月からの改革実行部分は未だ第一段階に過ぎず、最も大きな事業規模のコアビジネスの部分は、これからの一年を目処に、改革案の趣旨に沿って具体化の為の実行計画を纏めた上で、来年の四月に第二ステップとして展開する事になっている。それが終らないと本当の意味で改革が実行された事にはならないが、加賀海部長にとっては、最初の第一歩がやはり何にも増して重要に思えた。

それはもう、前進するしかない所まで加速されており、誰にも止められないと思えるからであり、もう加賀海部長自身がいなくても、意図した方向に間違いなく進むと思われるからであった。ただ一つ、気がかりなのは、この改革によって自分の部下が各地の工場に異動となったり、合理化と言う名の下に翻弄される事になるかもしれないということだった。今は大変でも、必ず将来、良い結果として跳ね返って来ると信じていればこそ突き進んだ道だったが、当面、部下には理解してもらえないかもしれないな?

 

『人知らずして恨みず、亦、君子ならずや。』という座右の銘を思い浮かべながら、加賀海部長は独り感慨に耽っていた。思えば、阪神大震災の年に兵庫の工場から単身赴任で本社に転属となり、その後、関東工場勤務を経て購買部長に起用された背景には、昔、兵庫の工場長をしていた現社長の幸田が、二十一世紀に向けて全社的な業務改革運動を推進したことがあった。

改革運動を提唱した頃は、社長に就任する前の常務時代で、ぬるま湯的な会社風土に風穴を明けようと考え、口ばかり達者で煙たがられていたと言った方が当たっている加賀海を本社に引っ張り出し、活用する事を提案したということを、加賀海は転属になった直後に幸田本人から告げられていた。

現社長の幸田がどんな意図で自分を起用したのか?幸田自身の為だったのか、加賀海のことを考えての温情だったのか?測り兼ねたが、今はもう、そんな事はどうでも良いことだと思った。

自分は巧妙に利用されたのかもしれないが、少なくとも自分で考え、自分で望む事として取組んで来たのだから、これで良かったのだ。幸田社長は自分に、素晴らしい人生ドラマの舞台を提供してくれたのだ。

お蔭様で正に、充実した時間が過ごせましたと、素直に感謝し、素晴らしい人生に乾杯したいという気持ちになっていた。 

  加賀海部長の推進する改革は、社長の提唱する全社的な業務改革運動の一環として、購買、調達部門が取り組んでいるものだったが、しかし、加賀海にとっては、決してトップダウンの改革運動ということではなかった。

 

  彼は十年程前から既に、これまでの工程別分業体制が多品種少量生産時代に在っては、世の中の変化のスピードに付いて行けないという問題を感じていた。

 当時、彼は地方の工場で資材課長という立場に在ったが、上流の管理部門で立てた資材調達計画に沿って外注工場を駆けずり回って部品調達していた。日頃から、計画の変更や調達要求の手配手続きがタイミングよく処理されないことにやきもきしていたし、市販のメーカー標準資材は、わざわざ本社部門の購買部に購買要求を出さなければならないことに疑問を感じていた。

多品種少量の受注生産が中心になっている彼の工場に在っては、これまでの工程別専門分業体制では、いつも納期に追われてバタバタしなければならなかった。工程別分業体制といえば聞こえは良いが、それは正に自工程の守備範囲を何とかこなそうとするセクショナリズムの無責任体制に他ならなかった。

高度成長期の大量生産時代は、細かく分業した方が効率的だったのだろうが、多品種少量で目まぐるしく変化を要求される時代には、分業体制は変化への追従が難しく、結局、時間に追われることになり、弊害が目立つようになって来ていたが、誰も昔からのやり方を変えようとはしなかった。

加賀海は、その背景にオイルショックの影を見ていた。つまり、オイルショック後に新卒採用を手控え、永らく人材の補給を怠った時期があった。その後、景気が回復して拡大基調となった時、人材不足と言う事態が生じたが、後進が育っていない為に、実務経験の長いベテランを実務の監督者として重用することが随所にみられた。彼等は高度成長期の大量生産方式の成功体験が身に染みついていたので、結局は行け行けどんどんのやり方をそのまま引きずることになって行ったと加賀海は考えていた。 

オイルショックによりほぼ、十年間新卒採用を手控えたことが、根深く影響しているのだから、経営と言うものが、如何に長期思考に立たなければならないかを痛感していた。

  そんな訳で、加賀海は地方の工場の資材課長時代から考えていた問題を、大震災の年に図らずも本社部門に転属となったのを機に、全国レベルで取り組もうと考えていた矢先に、よくしたもので、トップダウンによる間接部門の生産性向上を狙った、全社的な体質改革運動が展開されることになった。

加賀海にとっては願っても無い追い風が吹き始めた訳であったし、見えざる手が整えてくれた土俵と言うことだった。

 

(続く)