間質性肺炎の父(22) | 人間万事塞翁が馬

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~単身赴任中の夫と、こども3人を育てる、40代専業主婦のブログ~
2022年にアメブロを開始して少しの記事をアップしましたが、介護や育児に追われて更新できずにいました。2024年これから本格的に更新していこうと思います。2022年にアップしたブログは一旦削除しました。

急性増悪を起こして、入院。

約一か月の入院を経て、施設へ。

 

 

この頃の父の様子をブログに残したいと思う。

 

入院した当初は、薬の影響で、ろれつが回らず、言葉がはっきりしなかった。急性増悪の悪化がとまって安定してきてから、減薬されたことで、活舌はよくなり、戻ってきた。

 

この頃、朝起きてから朝食をとるまでの時間、父は身体がおぼつかないと言っていた。急性増悪前の数か月間も、朝の起きてから、調子が整うまでが、おぼつかないと言っていた。

 

おぼつかないって、どんな感覚なのか聞いた。

しんどい、怠いと言う感覚とは、また違った感じと言っていた。

母も年を重ねて、おぼつかないという感覚になることがあると言っていた。

 

更年期真っ只中の私には、まだ「おぼつかない」という感覚がわからないが、今の母や父の年齢になると、この「おぼつかない」がわかるのだろうか・・・。

 

 

入院中、朝食後は、テレビをみたりして過ごすことも多かったようだが、ボーっと考え事をして過ごすことも多かったようだった。

「なんで、こんな病気になってしまったのか?」

父は、ずっと、「なんで?なんで?」を繰り返していたように思う。

 

急性増悪前から、父が病状が進むにつれて笑顔もなく、テレビを観ていても、頭に入っておらず、ボーっと過ごしていることが多くなってしまい、口を開けばネガティブな事ばかり言っているので鬱になってしまったと思っていた。

母も姉も、父は鬱っぽいと言っていた。

 

主治医と私の二人で退院後の話しをしていた時に、主治医に「父は鬱なんでしょうか?」と聞くと、「鬱ではなく不安障害です」と言っていた。

急性増悪で入院している際に、精神的なケアをしてくださる方に診てもらったようで、「不安感が強い不安障害」とのことだった。

主治医が言うには「高齢な方は、今後の自分の病状や将来について漠然としているけれど、そこまで不安感が強くは出ない方が多いのですが、○○さん(父のこと)は、もともと心配性なうえに、頭が良く、将来を見通すことができてしまうので、そのせいで不安感が強くでてしまっているようです」とのことだった。

兄や姉にこの話をすると、とても合点がいっていた。

 

入院中の午前中は、朝食後少しするとウトウトすることも多かったようだ。寝ないと身体がもたないとも言っていた。

 

昼食後しばらくすると、面会時間になる。

この頃、面会は1回30分(一度の面会で二人まで、家族限定)だったので、13時ちょうどに面会に行き、30分病室に滞在。14時の幼稚園のお迎えに間に合うように急いで帰宅。

面会30分を少しでも過ぎると、入院病棟の事務の方に「時間過ぎてますから守ってください」と帰り際に厳しめに注意されるので、時間を守ることに必死だった。

 

面会時間には、実家に届いている新聞を持参。

新聞に掲載の株価のチェック。

飲み物の補充、おやつに父が食べるカットフルーツや、ゼリー、プリンを冷蔵庫に入れたり、(病室の乾燥防止のため)枕元に塗れタオルをかけたりしていた。

寝たきりで腰が痛いので、バンテリンを背中や腰に塗ってくれと言われて、塗ったりしていた。

汚れた着替えを袋につめて、持参した綺麗な着替えをクローゼットにしまう。

あっという間の30分だった。

 

母が行ったり、お休みの日に姉が行ってくれることもあった。

皆で協力して父のお見舞いは誰かが毎日行っていた。

寂しがり屋の父。

個室なので、ベットの上から電話をかけてくることもあったが、誰かが面会に行くと喜んで安心するようだった。

ただ、面会に行くと、ぺちゃくちゃおしゃべりをするので、頑張っておしゃべりするために、SpO2が落ちてしまい、看護師さんが頻繁に病室へ飛んできた。

お話しすることは肺の回復にも良いけれど、ゆっくり落ち着いてくださいねと良く言われていた。

 

急性増悪で入院直後は、基本、ベットの上での生活で安静にしていなければならなかったので、筋力が低下した。

もともと農作業や庭仕事など力仕事をしていた働き者の父なので、とても筋肉質で体格が良かった。

病状が進むにつれて、動けなくなると筋肉が落ちてしまった。

筋力が極端に落ちた。

 

病状が安定してからは、理学療法士さんが病室に来てくださり、病棟内を少し歩くリハビリを始めていた。

急性増悪後にリハビリとして病棟内を歩いたよと聞いた時は、母も私も嬉しかった。

 

起き上がって、立ち上がって、トイレに行くという動作をする為には、健康な方のようにはいかない。

 

起き上がるときに、力が入るので、瞬間的に息を止めたり、呼吸が浅くなる。動作時はゆっくりと、息を吸う吐くを意識してコントロールしながら、呼吸に合わせて行わないといけない。

起き上がる前に、呼吸を安定させる。

息を吸って、吐きながら起き上がる。

起き上がったら、深呼吸を繰り返して、呼吸を安定させる。

立ち上がる時にも、起き上がるときと同様に、息を吸って、吐きながら立ち上がる。

立ち上がることは特にSpO2が下がる。

立ち上がったら、呼吸を安定させる。

歩く、便座に座る、トイレを済ます、立ち上がる、歩く、ベットサイドに座る、寝る。

呼吸を安定させる、吸って吐いて動作する、呼吸を安定させる。

 

この繰り返しなので、とにかく時間がかかる。

 

尿意を感じて、ナースコールをしても看護師さんは忙しく、すぐには来れない。動作にも時間がかかる。

体調の悪化度合いに比例して、排尿の間隔が非常に短くなっていて、我慢もできなくなっていた。内臓機能も落ちて行ったからなのだと思う。

なので、トイレに間に合わないということがあり、入院中にオムツの着用をすすめられた。

 

本人も嫌だったようだが、動作を早くしようと思えば苦しくなるし、間に合わなければ、全身着替えるようなことになり、着替えは看護師さんがお手伝いしてくださるとはいえ、更に苦しくなる動作なので、仕方なく同意していた。

 

看護師さんに身体を拭いていただいたり、毎日着替えはしていた。

入院当初、洗髪は、ベットの上で看護師さんがしてくださっていた。

本当に感謝しています。

 

施設では、介護士の方々、ケアマネさんに大変よくしてくださった。

トイレに行くことがしんどくなっていたので、ベットサイドに座って、尿瓶で済ませることも多かったので、介護士さんや看護師さんに対応していただいていた。

食事や着替えなどお世話できてくださる介護士の方のご家族や住まいの話を聞き出しては、おしゃべりをしていたようだった。個人情報を根掘り葉掘り聞きだすなんて、ありえないが・・・・。

皆さんに励ましていただき、親切に対応してくださり感謝している。

 

一度、施設で、動作時の酸素を自分で調整してしまい(勝手に下げて動いた)、その後、苦しくなってしまってSpO2が下がったままで上がらなくなってしまったことがあった。

流量を下げても苦しくならず動けるかを試してみたかったようだった。

病状がなかなか回復している実感が得られずやってしまったようだった。

看護師さん、ケアマネさんに怒られ、機械を個室の外に出されて、父が勝手にいじらないようにされてしまった。

まぁ、当然のことではあるが、家族も皆あきれていた。

 

施設にいる際に、排便しようといきんで、苦しくなってしまい、SpO2がとても下がってしまったこともあった。

ベットから起き上がる、トイレまで歩く、座っていきんで排便をするということは、とても体力がいり、酸素が下がりやすい動作となっていた。