約20年ぶりに話す | 歌う母さん日記

歌う母さん日記

三人の娘の母であり、2017年秋から大阪芸大通信生(現在休学中)
2018年3月末からパートで介護職(特養→小多機)
2022年1月認知症ケア専門士、3月介護福祉士取得。
2022年4月から音楽療法専門学校入学。
音楽と福祉で何かお役に立てないかな~と
思っている人のブログです。

今日は朝に野菜パート行ってからは

買い物行ったり。


百均に行って

歌詞幕用の模造紙、

歌詞カード入れる用のファイルゲット照れ

歌詞幕か歌詞集手持ちか…

何がベストか分からないけど

いつも心に響く名言(?)

TRICKの上田次郎の名著。


なぜベストを尽くさないのか。。

これが折に触れて私に囁くわけです。

音楽療法については特に。

自分がたどり着いた本当にやりたい事、だから。


そして、長女は

芸大合格しましたが、

まだイラストスクールは

行ける時に行っていまして。

今日も夕方から行ってました。


そのお迎えの時に車で待っている時

意を決して、私の実父に電話しました…。


もう約20年ぶりだそうで、父いわく。

私は17年振りかなぁとか思ってましたけど。


先に共通の知人のおば様が電話してくれてて

父とは話したそうで、父が私からの

連絡待ってるよーと何度も

LINEあったのですが

なかなか決心できず。


でもいざ話してみると15分ぐらい

娘が車に戻ってくるまで話していました。

今何をしてるのか、とか色々。


その頃は私にとっても父にとっても

暗黒時代で疲れ切っていましたから

喧嘩別れして、私が家を飛び出して

連絡を断ちました、お金の問題とかもあり。


でも時間が経って、

謝られたし、過去の父が知っている

私を褒めてくれたりして

あんなに嫌だったのに

久しぶりに話せてよかった、

褒めてもらえて嬉しい

という気持ちがあり驚きました。

多分近々会いに行くでしょう。



なんて言うか…

17~18歳の当時の私は

1人で過酷すぎる現実に向き合い

闘っていて、ボロボロで。。

今の自分でも体験したくないほどの

大変な状況でした。

常に死ぬ事を考えていたし

未来なんてとてもじゃないけど

見えなかった。


だからこんな今日が

来るなんて想像出来ませんでした。

ゲラゲラ笑って父と話せる日が来るとは。


人生って…。分かりませんね。


それで夫からたまたまその時間に

とあるLINEが来ました。

もうタイミングが絶妙過ぎて怖い汗

それでずっと隠して父の捜索していたけど

LINEで今までこっそり父を探していて

今さっき電話で約20年ぶりに

話が出来たことを言いました。

元気そうでよかったやん、と言われました。


不思議ですね。

色んな事が起こるもんだなぁ。


そしてその話を長女と

車で家に帰る道すがら

話しながら泣くわたし


あの当時のギスギスに痩せて

ボロボロだった自分に対して

これまでよく頑張ったね!

娘を3人産んで、

人を助ける仕事をしているよ!

君の将来は結構いい感じだよ!

小さい頃の夢、「ピアニスト」ってのも

半分叶うよビックリマーク

と教えてあげたいな。

抱きしめたいですね。