本作に関してはだいぶ以前から予告をしていたけれど、今回ふと気が向いての日記である。
 本作はガストン・ルルー氏の日影丈吉さんの訳ではジョゼフ・ルウルタビイユシリーズ二作目である。
 一般的にはルレタビーユ表記で昔は古いと思って嫌だったのだけど今ではこの表記も味わいを感じて早川書房でも新訳などからルレタビーユ表記でこちらが使われないのがちょっと悲しい。

 さて本作は一般的には評判が悪いのだけど何度か書いているように自分は評価の高い一作目よりも自分は好きだった。
 個人的に一作目のトリックも二作目のものとそんなに変わらないと思うし、流れとしては二作目の方が日影丈吉さんの訳し方もあって勢いがあり、謎解き自体は拍子抜けなのだけど先行きの見えないまさにジェットコースター的でこちらの方が娯楽性としては高いと思う。
 このあたり自分は先に黒衣夫人を読んでから黄色い部屋を読んだというのもあると思うけれど、正直黄色い部屋を先に読んでいたらこちらを読まなかったと思う…

 先に書いたように自分は黄色い部屋に関してはちょっとした知識しか知らずに黒衣夫人を読んだのだけど、前半から死んだはずの凶悪犯が再び姿を現したというだけでも盛り上がるのだけど、さらにそこで明かされる探偵の出生の秘密(ちょっとダース・ベイダーを思い出した)など、前作の簡単な説明があるとはいえ「え、このあとどうなるの?」と訳に四苦八苦しながらも読み進めていた…
 訳者後書きで本作の訳は1957年にポケミスで出たものに欠落部分を補填したもので、改訳となった前作との差を感じたのだけど、この翻訳の古さが勢いと味わいに今では感じるようになって、その後日影丈吉さんの翻訳はいくつか…ガストン・ルルー氏は「黄色い部屋」「オペラ座の怪人」、ボワロー&ナルスジャック「死者の中から」を読んだけれどもまず最初に訳文の古さに身構えつつも、読んでみるとある意味で普通で安心すると同時にちょっぴりと悲しかったりするくらいこの訳が印象的なのである。それこそ図書館で草原推理文庫版をみつけてちょっと読んでみると訳が普通で味気なく思ったから…
 高校生の時が初読だったと思うけれど未だに「旅簑」という言葉が出てきて衝撃だった。戦後すぐの訳だからこその言葉遣いなのだな~と思ったのだけど、昔この語に関する話題をしたときに「いくら1957年とはいえ、簑はさすがに古い」に日影丈吉さんの言葉のセンスなのだなと思った。
 改訳の「黄色い部屋」と同一翻訳者なのに最初は「本当に同じ訳者?」と思うくらい文体が違って驚いたのだけど、読んでいくとやっぱり同一人物だと思うようになったけれど、この文章の変化にも時代を感じて面白いなと思った。
 訳し方として多分、感嘆詞をそのまま訳したのだと思うのだけど、淑女関係なく「おぅ!○○だ」と勢いがよくて笑ってしまうのだけど、黄色い部屋ではなくなっていて味気なく感じた。
 本作の魅力は日影丈吉さんのその訳の古い文体の勢いもあると思うし、言葉の選び方もさらに足されていると思う。
 同じ言葉でも黄色い部屋と黒衣夫人では微妙に訳が異なっているのだけど、黄色い部屋の方は読みやすさ重視のような気がする。

 文体のことが長くなってしまったけれども、物語も負けずの勢い…先に書いたように探偵の出生の秘密にはじまって、次から次へと不可思議な出来事…開かれた場所で発見されたありうべからざる死体に密室状態で突然あらわれた余分な人体と、たいか新聞連載だったと思うけれどその特性か次々と何かしら起きるのである。
 そしてその盛り上がりは謎解き直前…謎解きの合図が銃声、三発目の銃声が鳴ったところではじまるのだけど、その理由もきちんとあとから説明されるのだけど「なぜ三発の銃声が?」と気になるのである。
 そして変な話だけどそのあとの「"余分な人体"の可能に関する有形的証明」が一番退屈…謎解きに関してはきちんと論理的に説明がされるものの、わりと無茶というか肩透かしなのだけど、ただこのあたりは前作も同じように感じた。
 そして謎解きが終わると再び、勢いがましてそれは最後の最後までつづくのである。
 個人的に驚いたのが、ある人物の動きが不審で容疑者のひとりだったのが結局は何の関係もなくその部分が明かされていないな~と思ったら…途中途中ではさまれる何気ない出来事がつながってそれが次回予告となり「え、ルウルタビイユはこれからどうなるの?」と最後まで娯楽がつづくのである。
 その次回作は翻訳されているもののちょっと調べると戦後すぐだとかのレベルで未だに読んでいない…
 日本は謎解きが重視されて、それ以外は軽視されやすいというけれども本作の場合もそれが影響しているのかなと思う。昔読んで嫌な気持ちになったのは、ある作家だったか評論家だったかが黒衣夫人で色々な謎が明かされるけれど、読む必要がないと書いていて学生だった自分はそのあたりもあってか、そういう書き方はしないようになった。

 最後に本書の邦題や村山潤一さんのカバーなどから、たまたま家に来た人が成人向けと勘違いをしていたけれど、たしかにそう見えてしまうのもわかる。昔はこのタイプの表紙は嫌だったけれど今は味わいを感じて好きなのだから自分も変わったなと思うけれど、本書はオペラ座の怪人の作者であるように、謎と冒険の物語で成人向け作品ではなくそのあたりちょっと間違えそうな人もいそうで注意である。