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 夜道は明るいのに不思議と月は暗く、けれども雲ひとつなく星ぼしがきれいに輝いて見える夜のことでした。
 そんな夜空に誘われたのか風に誘われたのか、今ではもうおぼえていませんが、気がつけばライトひとつ持たずに夜に包まれた町のなかを散歩していました。
 真夜中でも意外と出歩いている人がいるものですが、その夜は不思議なことに誰にも出会いませんでした。まるでわたし以外誰もいないかのようでした。でもきっとそれはわたしの思い違いでしょう。なにせいくつかの窓には明かりが灯っていましたから。ただそれにもかかわらず人の気配を感じなかったのです……でも、これも遠い昔のことですから記憶を勝手に変えているのかもしれませんね。

 町には小さな山がありまして、その上に大きなお屋敷がありました。
 わたしが生まれる前に建てられたもので、それはもう海外の小説に出てくるような立派なものでした。でも変ですね、頭のなかではその形ははっきりしているのに、いざその形を言葉にしようとするとすぅっとこぼれ落ちてしまってただ立派で、素敵なお屋敷としかいえないのです。歳をとるのはいやなものですね、だんだんと昔のことがおぼろげなものになっていくるのですから。
 でも不思議なことにだんだんとおぼろげになっていくものもあれば、今の方が鮮明になっているように感じるものもあるのです。その夜のお屋敷での出来事のように。

 先ほどいいましたように、屋敷に通じる道は明るく感じてライトは必要ありませんでした。
 なぜかわかりませんが、わたしはお屋敷に向かっていました。
 夜は暗く、草は緑…これはマザーグースの一説ですがなぜかその言葉が頭のなかで繰り返していました。これももしかしたらあとから付け足した記憶かもしれませんがなぜかしらその言葉があっているように思ったのです。
 そしてお屋敷にたどり着いたのですが、そのお屋敷は今まで誰も住んだ人がいませんでした。特になにかあったというわけではなくそのお屋敷が完成した直後に、依頼した方の都合で引っ越しをしてしまったのです。付け加えておきますと、ある縁からそのお屋敷を建てた家族と交流する機会を得ましたが、何か不幸があったということはなく、依頼した方など旅立たれた方もいましたがそれには不審なところなど何もなく、ごく自然のものでした。
 古くからあるものですから、一部の間でお化け屋敷と言われていましたが面白味もないことに、何も起きてはいませんでした。誰も住んだことがないのですからそれは当然のことですが、面白いものですよね何もなかったのにお化けがでるという話ができるのですから。昔から火のないところに煙はたたぬ、と言いますがわたしは火がないところでも煙はたつものだと思うようになりました。
 ただ単にわたしが知らないだけかもしれませんが。

 扉の前に立ったわたしはなぜか鍵は開いているという確信がありました。
 もしかしたら最初から鍵など掛かってなどいなかったのかもしれませんが、両手で左右の扉を押したとき音もなく滑らかに開いたときに少しの驚きと、「やっぱり招かれている」という思いを抱きました。後々になって考えてみますと何が「やっぱり」なのかわからないのですが、そのときはそう思ったのです。
 そしてわたしは出会ったのです。
 彼女はわたしをみるとにっこりと笑みを浮かべて手をとって、歩きだしました。
 ゆっくりと確実に、お屋敷のなかを、部屋一つ一つを見て回ったのです。
 しっかりとした石を並べて作られた頑丈な地下室から浴室にトイレまでも。
 今考えますと誰も住んだことがないはずですのに、寝室には立派なベッドが、ダイニングルームには机と椅子、キッチンの戸棚にはさまざまな大きさのお皿やグラスがきれいに並べられていましたし、他にも生活をするうえで必要なものが一通りあるようでした。
 そしてお屋敷を見てまわって最後にたどり着いたのは屋根裏部屋でした。

 屋根裏部屋には大きな硝子窓があり、開いた窓から流れ込んでくる風によって薄いカーテンがゆらゆらと揺れていました。
 わたしと彼女は揃ってそこから月と夜空を見上げました。そこから見る月は先ほどと違って明るく見えました。
 結局わたしは一言も彼女と話しませんでした。
 やがて遠くから柱時計が…今となっては何回鳴ったのかわかりませんがそれを合図にするかのように、彼女はわたしの手をとって、手のひらのうえに古びた鍵を置いたのです。
 それから再び彼女はにっこりと笑って手を振りました。
 その瞬間あたり一面に炎が立ち上がり、彼女はその中へと去っていったのです。
 炎はすぐに部屋全体を覆い、そこを中心に屋敷全体をいっきに包み込んだようでした。
 でもおかしなことにわたしは何一つ恐ろしさを感じることはありませんでした、ただそれが当然のことのように思えたのです。
 そしてなぜか炎はちょうどわたしが歩ける幅をさけていて、それは扉までつづいていました。
 わたしはゆっくりと扉まで向かいました。
 その間も炎は屋敷にあるものすべてを焼き尽くすために走り回り、立派な壁も高価そうな机や椅子などの家具も何もかもが炎という自然に飲み込まれやがては崩れ去っていくのでした。

 外に出たわたしは一度お屋敷の方を振り向きました。
 ちょうどお屋敷が炎に食い尽くされてものすごい音をたてて崩れ去るところでした。
 それを見届けたわたしはまっすぐに家に帰るとベッドに入り、そこから翌朝まで眠りました。
 ですから最初は夢なのかと思いましたが、お屋敷は間違いなく火事で焼失して机のうえにはあの女の子にもらった鍵があるのでした。
 そうそうお屋敷は最終的には不審火として処理されたのですが結局最後まで何が火元で原因なのかわからないままになりました。
 犠牲者もなかったことから、少し噂話もあったようですがすぐに忘れ去られました。

 ○

 先生、この話は今まで誰にも、それこそわたしが愛したあのひとにも話したことはありませんでした。
 隠しても無駄ですよ、わたしの残された時間もそんなには多くはないのでしょう?自分の人生に思い残すことがないとはいえませんが、だいたいにおいては幸福だったと思います。それこそあのひとにも出会え、子供たちもみなよい子たちばかりでした。
 でもそんななかであの夜の出来事だけはなぜか心に引っ掛かっていました。先生、以前あなたはわたしに尋ねましたね。なぜこんな山のなかに立派なお屋敷を建てたのかと。もうおわかりでしょう?わたしは同じ場所に、記憶をもとにしてあのお屋敷を再現したのです。それくらいわたしはあの夜の出来事が、ほんの少しとはいえ忘れられなかったのです。
 特に秘密にすべきことではないのですが、わたしはたった一夜しか合っていない彼女に不思議なことに惹かれていたのです。ですが、わたしにとっての大切なひとはあのひと以外にいないのはたしかです。
 このままあの夜の出来事を一生の秘密としたまま暗闇に還るのもいいかもしれませんが、つい誰かに話したくなったのでした。先生なら口は固いでしょうからこの老人の話を誰にも話すことはないでしょう。ですからはじめて話すことにしたのです。特になんてことはない一夜の出来事を…

 彼女が誰だったのか今ではもうわからないことですが…最近になって思うことがあるのです。彼女はわたしにも、大切なあのひとにも似ているように思えて仕方がないのです。それが何を意味するのかわたしにはなにもわかりませんが、先生はどう思いになりますか?

2021年7月26日初稿

 

あとがき

 本作はもともと娯楽作品を書こうとして出発して、一番最初に屋敷が爆破炎上するところから思い浮かべてなぜそうなったのかを考えて出来上がったものです。

 炎上するイメージとして英国ドラマの「シャーロック・ホームズの冒険」の「サセックスの吸血鬼」を頭にあったせいか夏という季節というか自分にも予想外なことに物静かな物語となりました。

 そして完成させたあとに気がつきましたが冒頭は未読ながら有名なウィリアム・アイリッシュ氏の「幻の女」に影響を受けている部分もあるかもしれません。

 少しでも楽しんでいただけたら幸いです。