京都の伝統と歴史「御土居」を訪ね | 趣味悠遊・古代を訪ねて

京都の伝統と歴史「御土居」を訪ね

千数百年のタイムスリップ、年をかさむにつれ楽しめる「京都の歴史と伝統」、その社寺をはじめ町屋を道すがらの散策をと初詣を兼ねて今年も京都に来ている。妻が一日乗り放題のバスカード(500円)を購入してきた。早速、北野天満宮に足を延ばした。今年は異常なぐらいの暖冬で、この天満宮の梅も例年より早くちらほら咲きだ(写真)。深々と頭を下げる人々に混じり、入学祈願を終え手に取るスマホでアプリに興じる若者、まさに今風の光景だ。「御土居」がこの天満宮の一画にあるという情報。早速、境内で見つけた「御土居」看板、それによると京都市内に9ヶ所残されていると記されている。肝心のこの北野天満宮の御土居は通行止めで見ることはできなかった。紙屋川に沿った「もみじ苑と御土居」はこの地の名勝であるという。次いで平野神社に向かう。北に位置する鳥居前通りに古墳らしきもの、いや古墳にしては墳丘が長すぎる。そうだNHK「ブラタモリ」で放映された「平野御土居」(写真)なのだ、この御土居は見応えがある。そして土塁の基底部にはなぜか30体もの石仏が埋納されている。

京都の「洛中」は、かつての豊臣秀吉が築いた「御土居」の中に当たるといわれてい
る。御土居とは京都を外敵から守るために造った、高さ1間半、基底部の幅五間の土の堤。東は鴨川、西は紙屋川に接し、北は鷹ヶ峯、南は九条を限りとし、全長22,5kmに及んだ。この御土居の構築により今日の洛中と洛外を区切り、治安維持・防水・防御の役割を果たした。
マニアはいるものだ、カメラと地図を頼りにそのスポット探しの人々に出会う。家内は京都育ちだが、でも御土居があるとはついぞ知らなかった。友
達もそうだという。以下新たな発見へと残りの御土居巡りを訪ねた。次に北区鷹峰地区や同大宮地区に向かう。ここはうっそうとした森に残され「史跡御土居」が城壁と堀がセットになって京都を囲んでいたことがよく分かる国指定地域だ。天正19年(1591年)に構築が開始され、約2ヶ月余り(多くても4ヶ月)でこの22Kmの土塁を作った当時に京都人のパワーとスピードには驚かせる。実際、「鷹峰旧御土居」(写真)をフェンス越しに見ても極めて土塁がよく築かれてい
るのが分かる。洛外から見ればとても雄大な城壁が聳えていたように見えたであろうと想像する。そしてこれらの御土居には堤崩れの為に竹や樹木で管理され、それは「ミヤコを美しく見せる都市壮観」の役 目も呈ていたとも思われる。
江戸時代には「御土居奉行」がいたという。かの戦国時代の豪商、京都の大堰川 高瀬川 を私財を投じて開削した門倉了以から数えて5世目に当たる門倉与一(玄恒)が御土居の支配を任されている。当時御土居の堤には竹木が増殖され、寺社の建築資材としては非常に貴重なもので、また町屋衆に入札を行い販売していたという記録がある。御土居の竹木は権力者だけではなく町屋住民の生活の中でも活用されていたのだ。 急坂な崖沿の近くのバス停「玄琢下」で降りる。ここは「大宮御土居」(写真)だ。この一帯は西加茂断層が走っている地質なのだ。フェンス越に見えるラクダのコブ状の長堤は断層の上に築かれた御土居なのだという。市内でも最も保存状態は良いものだが、国史跡として管理されているため、今回は無断で中に入れず断念。近くの大宮交通公園南側にもフェェンス越に御土居が見ることができた。次の御土居は神様になっている。市五郎大明神(写真)という稲荷神社のこと だ。ここに残っている御土居にぴったりと拝殿が設置されており、国史跡なのだが境内は狭い。ほかにも御土居と宗教の関係を示すものが京都市内にもあるという。賀茂川中学校に隣接して御土塁が残る。ここにも石井神社の古図が示すように土塁に神社が後ほどに創建された例だという。中学生が掛け声と共に放課後練習で御土居の堀の周り
を駆ける姿は、身近な遺跡にどのくらい思いをはせているのか疑わしいのだが。そして紫式部で有名な蘆山寺に向かう。ここで源氏物語のほとんどを書いた「紫式部邸宅跡」があり、その裏に「蘆山寺御土居」(写真)が残されている。河原町通りに接して唯一つ残る御土居だが、あまり目立たなく知られていない。むしろ河原町通りに接して造られた「模造御土居」の方が目立っている。
帰宅後、政府機関の地方移転。京都に文化庁を移転する計画があるという記事を見た。「長年文化を守り、育んできた歴史と知恵があり、国宝や重要文化財も多い」とのことで京都が最適だと判断されたようだ。そのような意味で今回巡った「御土居」、その歴史的な意味も大きいと感ずるが、 残された御土居の姿は国史跡にしては中途半端な状態だ。フェンス越えにしか見られない非公開の「御土居」の数々。神様が御土居に鎮座し稲荷様の守りとして残る土塁。世界遺産、重文あまたの京都、その中で密かに残されているこのような中小遺跡、文化財保護の難しさを感じる。文化庁移転されて観光・文化をうたう京都は変わるか。