バンコクでは
3人の子供を
インターに入れていた我が家ですが
よく聞かれる事があります。
『ママも英語出来るんですか?』と。
実は私も昔インターに通っていました。
なので、きょうから自己紹介を兼ねて
私について書いてみたいと思います
長くなります
私はブラジル駐在をしていた
両親の元、ブラジルで生まれました。
その後
ブラジルの日本人学校の
小学校・中学校と通いました。
バンコク在住のブロガーさん達で
お子さんが
日本人学校に通ってらっしゃる方の
ブログを読むのを楽しみにしているのですが
私が子供だった時代の母も
こんな感じだったのかなと
思いながら読ませていただいてます。
私もお弁当持ちで
スクールバス通学でした
母は9年間、
お弁当を作ってくれました
ブラジルの日本人学校には
高校はなかったので
選択肢は3つ。
日本の高校へ進学
インターへ進学
現地の高校へ進学
現地の高校には行きたくなかったので
私はインターに行く事を決めました。
というか、
ずっとインターに憧れていました
小学5年の時に
5年後はインターに行く事を決断!
当時から早くインターに入った方が
英語は苦労しないと言われていましたが
私は、日本の義務教育は
ちゃんと卒業する事を決めていました。
地元でも難関と言われるインターに入りたくて
そこから英語の猛勉強を開始しました。
インターの
ハイスクールに入るには
とりあえず日常の英語は話せないと
入学させて貰えないと聞いていたので
英語ゼロの状態からのスタートです。
まず、日本人の方がやっている
英語塾に入りました。
英文法中心の英語を週に2回。
小5には難しくて、
しかも先生はスパルタ。
間違えると怒られたし
宿題は山のように出されました
それでも私は
インターに入りたいという
強い目標があったので
割と楽しく通えました。
文法だけでは話せるようにならないと
英会話スクールも追加。
英会話スクールはグループ制で
大人ばっかりの学校。
周りはみんなブラジル人でした。
英会話スクールは家から
離れていたので
一人で路線バスを乗り継いで
通っていました
(私はポルトガル語がペラペラだったので、
一人でバスやタクシーに乗っていました)
これは週に1回。
英会話スクールは、会話式で進むので
楽しかった!
更に、
インター受験専用の教室にも行きました。
この塾では生きた英語を学ぶという事で
Idiomをひたすら習ったり
語彙を増やすように言われ
英語の映画やビデオを
たくさん観せられました
こんな生活を中学3年まで続け
最後の最後には
家庭教師も付けて貰いました。
家庭教師と言っても
父の知り合いの日系人のお姉さんで
勉強というよりは
一緒に英語の宿題をやったり
長文を読んだり、
マドンナの歌の歌詞を
教えてもらったりしていました
私はアメリカの映画やドラマ
歌が大好きで
MTVもよく観ていたし
ラジオで洋画を聴いていたので
英語を学ぶのが楽しくて楽しくて!
ラジオの音楽をカセットテープに撮って
編集したり
歌詞を書き出してみたり、
もう本当に大好きでした(笑)
こんな感じで日曜日以外は
毎日英語漬けの日々を送りました。
お陰で
中学校の授業の英語も困る事はなく
ほとんど満点で過ごす事ができました。
そして中学卒業間際の
ドキドキのインターの試験。
TOEFL形式の試験と
校長のインタビューを受けて
無事合格
こちらが私が通っていた
Escola Americana do Rio de Janeiro
(EARJ)になります。
学校のWebサイトから画像をお借りしました。
IBプログラムもあるようです。
私の場合、
学年を落とす必要はありませんでしたが
EALクラスは必須でした。
努力の結果、
憧れの学校に入れた私ですが
初日に撃沈…
分厚い教科書を配られ
次の授業までに何ページまで読んでくる
という宿題を歴史や英語で出され
パニック(笑)
母親曰く、
かなり顔色が悪く帰宅したらしいです(笑)
すぐに家庭教師のお姉さんに連絡して
一緒に勉強に付き合って貰いました。
インターは、入るまでも大変でしたが
入ってからも大変でした
(これは30年以上も前の話です)
長くなってきたので
続きはまた今度〜。