帰省 | 限界の向こう側へ飛んでいけ!

限界の向こう側へ飛んでいけ!

もうダメだ、そんな限界を超えた時に見えてくるものとは・・・


この記事のテーマを何にしようか迷いました。

走ったし、帰省したし、病気について色々と考えたし。

で、まぁ、病気にしようかなと。

今朝は、藤沢市の予報雨なのに快晴、で猛烈に暑かった(苦笑)。


これで何で「現在雨」なの?

まあ良いか。

ちょっと寝坊しちゃったので、10km届かず、8km弱。

帰省もあり、このところ少しサボってたので疲れた疲れた。

さて、帰省。

目的は、僕の両親の大事なお客さんが故郷の男鹿半島に来る、で、3日間男鹿半島やアチコチを案内すると。

そりゃ無理でしょ。って事で僕が急遽秋田に帰省してサポートする事に。ってもまぁただの運転手なんだけどね。


紫陽花で有名な雲昌寺とか。





なまはげ伝承館とか。



なまはげ太鼓とか。



色々気を使うことも多かったけど、 話も弾み、喜んでもらえたようで良かった。


で、帰省に当たって、もう一つ目的が。

実は、僕の祖父は、60歳前半で大腸癌で亡くなっている。その祖父の亡くなる前の日記が見つかったと母から以前連絡を受けていた。

僕が病気になる前なら、あまり興味も湧かないとこだったけど、同じ病気。

祖父はどんな事を日記に書いていたのか。

因みに母は僕の病気の事は全く知らない。

手術をして身体に5本管を付けてベッドに横たわっている時に「元気か?」とメールが来た時も「毎日元気にしてる。今朝も走ったよ」と返信してた。

秋田を立つ前の晩に日記を見せてもらった。

結論から言えば、祖父は自分の正式な病名を知らされていなかったのもあり、結局なぜ良くならないのか、と苦悩し、良くならないまま、亡くなるだいぶ前に日記を書くのをやめてしまっていた。

自分の病気を知らずに、というのは、やはりある意味で残酷なんじゃないかと思う。

僕なら・・・

真実を知りたい。

そう思うな。

で、日記はあっさりと終わっていたが、亡くなる寸前と亡くなったその時の様子について、父が書いたメモが便箋10ページに渡って書かれていた。

内容について詳しくは割愛するけど、誠に壮絶な最期であった。

祖父は亡くなる寸前、盃に入れた清酒を二口飲み、

「うまい、うまい」

と笑顔を見せ、

「もう芝居は終わりだ。後のことは頼む」

と言って亡くなったらしい。

そんな事が果たして出来るのだろうか。

日記を閉じて、母に返し、「凄いね」と感想を言ったけど、そのメモは母も読んでいない様子で、何が凄いの?と惚けていた。

そう言えば、日記の中に2歳だった僕の名前を見つけた。

「(かっちゃん)がお見舞いに来た。良い子に育ったな」

と。


帰りの飛行機の中、電車の中で、祖父を想い、自分の人生を想い、家族の行く末を思った。

先のことなんて、誰も分からない。

考えても仕方ない。

でも、やっぱり、ポジティブに「楽しい人生だった」と思って生きていきたい。

そんな風に、思ったよ。

すいません、オチはありません。




おしまい