ワタシのとりとめのないブログを読んで下さっている方々が、たくさんコメントやアドバイスを下さったのよ
嬉しすぎて、泣けてくる。
本当にありがとう~
ホラ、今、コロナで引きこもってるじゃない
人とのふれあいが皆無なのよ
あ、皆無じゃなかったわね。
発達凸凹のムスメとソフトアスペな主人とのおかしなふれあいはあるわね
10分前も主人から、ムスメの食事の献立のことで、お叱り注意があったわ
栄養バランスが悪い、と。
ムスメ、味覚過敏だから、基本、葉物野菜は無理なのよ。
食べられないものも多くてね
主人はねー、ムスメの味覚過敏のことなんて、分かろうともしないのよ。
「好き嫌いは良くない!食べさせる練習をさせなアカンのちゃうか?」
っていうのよ
好き嫌いじゃないんだけどね。。。
言っても通じないから、スルーするわ
でね、話は、今日のブログの題名よ。
「5年前の義父の言葉」よ。
怖いわねーーー。(←ワタシが)
5年も前のことを忘れずに根に持ってるのよ
執念深いわねー--。
5年前、不妊治療の末、やっとのことでムスメを妊娠できたの。
不妊の原因って、色々あると思うんだけど、我が家の場合は、ちょっと主人の方に問題があってね。
その当時、主人は、結構ストレスが多くかかる職場だったから、きっとそれが原因なんだろうとは思うんだけどね。
でね、不妊治療を経験した人は、分かってくれると思うのだけど、主人側に問題があったとしても、治療がキツイのは、女性の方じゃない
精神的にも体力的にも。
で、妊娠中、義父の「古希のお祝い」があったの。
そしたら、親戚もいてる中で、義父がね、
「ウチの嫁は、女系家族だから、男が産めへんのや。」
って、大声で言い出したのよ
義妹の旦那さん(ワタシよりはるかに年上)が、慌てて、
「お義父さん、まぁまぁ」
って止めに入ってくれたけど、その後もクドクド言ってたわねー--。
あー---。
あの時の記憶を消したくて、記事を書いてるのに、気持ちがよみがえってきて、泣けてきちゃうワ。
主人が原因で不妊治療をしてるってことも、ワタシは、特には思わずに、ただただ子供が欲しくてめちゃくちゃ治療を頑張ってきて、ありがたいことに妊娠できたのに、何てこと言うんだって、怒りで震えたわね。
というか、義父の娘(主人の妹)も女の子二人で、男の子産んでませんやん
義父は、アスペやから、ってことで忘れようとしてるんだけど、やっぱり思い出すと腹が立つわね
帰りの車で、号泣したわ。
でも、ワタシの号泣も気が付かないのが、ウチの主人よ
だって、彼もそちら側の人だからね
そのあと、
「そんな大したことないことで泣くなんて。」
って言い放っちよったワ。
嫁、号泣してるのにやで
ー--はい。
ワタシ、家でました
でも、実家にも帰れず(その頃、すでに母は認知症が進行してたから、介護してる父にも頼れないしね)、車の中でひとしきり泣いて、そのあと家に戻ったわ。
その日から、アスペに振り回されるもんか!という強い気持ちのもと生きてきてるのよ。
(←なんというオーバーな言い方)
頭おかしいこと言われたら、華麗にスルーしてる。
そのスルーっぷりが、自分で言うのもなんだけど、めっちゃうまいのヨ。(←自慢できることではない。)
はぁ
5年越しで字に書けてちょっとスッキリ
まぁ、ワタシの家族も結構、ヤバめだから、そのこともまた書けたらいいなー。
ってか、誰が読むんそんな話
最後は、ムスメとの平和な引きこもり生活のヒトコマを
百人一首で、坊主めくりして、
(↑ムスメ、めっちゃ札、ゲットしてるやん)
ことわざかるたして、
しまじろうでもらったすごろくして、
なんて、平和なのー--
明日も平和でありますように。