金曜日の晩の繰り言。

ぼくが仕事上の情報収集のためによく使っているITproというサイトで、今週5日間にわたりももクロに関する論説が連載されていた。オンの時空に、オフでのお気に入りが紛れ込んでくるのは、当惑と言うか、ちょっと不思議な感覚。

この記事の筆者のように、ももクロにハマった大人には、いろいろ語りたくなる人が一定割合存在する。それはなぜか、自分を省みつつ考えてみた。

まずひとつめの動機は、ももクロにはまってしまった大人たちは、自分を納得させるためと、周囲の人に対するエクスキューズのために、いろいろ分析したがるのだと思う。大人であるはずの自分が、ぐいぐい持っていかれてしまうということが、なかなか受け入れられず、信じられず、解析を試みるのである。

ふたつめの動機は、どうしても彼女たちのよさを他人に伝えたい、という思いが生まれてしまうことだと思う。でもひとつめに挙げた分析に大体失敗するのに、他人に言葉でそれをうまく伝えることは至難の技である。

ぼくも二つとも試みたけど、最近はすっかりあきらめた。良いし、楽しいし、感動できるんだから、それでいいじゃないかと。口で説明できないので、人には感じてもらうしかないなと。
このITproの連載、いろいろ論じているが、結局説明することは出来てないのではと思う。でも最終回、最終ページ、ちょっと硬いけどこの一節には共感を覚えた。

「わたしを含め、それまでアイドルなどというものがみずからの生活、趣味のスペースに入る余地などないと思っていた大人たちが、ももクロに惹かれていったのは、偶発性の高いリスクを孕んだパフォーマンスによって現れる緊張と高揚、それが生み出すライブの一回限りの瞬間に事故のように衝突してしまったためだ。」

この一文を書きたくて筆者は論じてきたのかなと思う。それだけ言えばいいのに、と思うけど、それじゃあこのサイトの連載にならないな。

ITプロフェッショナルのための「ももクロ論」補論
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140319/544582/