「人類滅亡」という運命をどう受容するのか~「2012」
古代マヤ文明の暦が終わる2012年12月21日に地球が滅亡するという予言を題材に、世界中で地震や津波などの大災害が起こる中、必死に生き延びようとする人々を描く。
「これは映画か?」というキャッチどおり、確かに映像が凄い。ロサンゼルスの壊滅シーンの迫力は相当なものだ。そして解像度も非常に高い。VFXもここまで来たか・・・という感じである。想像さえできれば、どんな映像も映画化可能・・・そのレベルまで来ているようだ。
映画というのは、映像と物語によって構成される。それで、「2012」の物語はどうか、ということになるが、これがかなり弱い。
家族思いの白人の父親。
熱血感あふれる優秀な科学者。
キリスト教的な精神にあふれたアメリカ大統領。
「インデペンデンス・デイ」「デイ・アフター・トゥモロー」のローランド・エメリッヒ監督作品だが、彼のこの2作品とほとんど同じストーリーである。細かい点においては、展開の意外性もなくはないのだが、ストーリーの大枠は、「デイ・アフター・トゥモロー」とほとんど同じなのにはガッカリした。
おもしろいと思ったのは、主役の熱血科学者は「黒人」。
そして、アメリカ大統領も「黒人」。
黒人科学者をサポートする、もう一人の天才的科学者は「インド人」。
そして、人類救済のテクノロジーを担当するのは「中国」という。
黒人の活躍、中国とインドの躍進というのが、ストーリーに盛り込まれている点には、最近の世界情勢を反映していて、ユニークさを感じた。
「2012」の天変地異は、環境破壊とか地球の温暖化とか人間の営みとは、全く関係なく起こってくる。ある意味、「避けられない運命の必然性」が描かれるのだが、環境破壊や地球温暖化などへのメッセージ性が、全く込められていないのも意外だ(笑)。
つまり、テーマは、避けられない「人類滅亡」という運命をどう受容するのか・・・ということか。あるいは、「死の受容」と言ってもいいかもしれない。
最後まで生き抜こうとする人。
せめて家族だけでも助けようとする人。
自分だけ生き残ろうとするエゴイスト。
いろいろな人たちの、「生」と「死」を巡る極限の人間ドラマは感動的だ。ストーリーに「あっ」と言わせる点が一つでもあれば、もっと高い評価をつけられたのだが・・・。
樺沢の評価 ★★★☆
(★★★★★が満点。☆は、★の半分)
この記事は、樺沢紫苑が発行する日本第2位の映画メルマガ「映画の精神医学」で配信した記事をリライトしたものです。あなたも「映画の精神医学」を読んでみませんか?