今期から参加する事になった、全7回の経営スクール。2~3回目の研修テーマの一つとして、吉川英治著『新書太閤記』が課題図書として出された。




前回の八甲田山に続いて、今度は歴史小説から組織マネジメントを学ぶというので、ちょっと厚めな文庫本をお気に入りのブックカバーに包み、通勤の行き帰りに読み進む。フムフム、なるほど得意げひらめき電球 400年以上の時を超えて時計、講師・信長、講師・秀吉に東進ハイスクール的な授業を受けている気分になれるのも“いとをかし得意げ”。


本 講師・木下藤吉郎 メモ


『藤吉郎の過去は汗の中の生活だった。汗の真価を知っている。汗の美しさを知っている。労働は肉体のものだというのは嘘である。労働にも精神がこもっていなければ牛馬の汗と差別はない。-彼は、真実の汗と真実の労力が、どうしたら人間から発揮されるか、口を結んで考えていた。

喰うために彼らは働いている。或いは、親とか妻とか子とかを喰わせるために働いている。いずれにしても、彼らの働く意思は、食のためとか、享楽のためとか、それ以上に出ていなかった。

小さいのだ。卑屈なのだ。もともと、その程度の望みしか持たない彼らなのである。藤吉郎は不憫を催した。(かつては、自分もそうだった・・・)と、思う。

小さい望みしか持たない人間に、大きな働きを求めても無理である。大きな精神を把持させなければ、大きな労力の効果と効率はあがる筈がない。』


本 講師・織田信長 メモ


『使いを立てた出先の用事が、首尾よいか、不首尾か、待つ身は案じておるものじゃ。要らぬ枝葉のはなしは、後にて足せ。主人の前へ復命に帰りなば、口を開く第一に、お使いのこと、調いましてござりますとか、お使いの儀、残念ながら不調に終わりましたとか、肝腎の結果を先に申し告げて、それよりゆるゆると、かくかくの仔細とか、先方のはなしとか、何なりと余談いたすがよいものぞ」


もちろん作者の吉川先生が、タイムスリップして本人から取材してきたわけではないけれど、歴史的に語り継がれてイメージ作られた、苦労人の秀吉や気が短いとされた信長の口を借りて発せられた説諭は、今尚錆びることなく、現代に生きる我々への教訓として心に響く。


「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。

              ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
 (人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れてくれべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。)


信長公が好んだという能楽の「敦盛」の有名な一説も、拾ってみました。

自分は今年で53ですが、当然ながら歴史上の偉人たちと肩を並べるつもりはさらさらないので、まだまだ煩悩の赴くままにひひお酒カラオケ温泉¥キスマークに、人生を満喫したいですね。あれっ?秀吉公の教えが、いっこうに生かされていないガーンはてなマーク 小さいのだダウン 卑屈なのだダウン べーっだ!チョキ音譜