読んで気持ちの良い記事では ありません。
メンタル不調な方は このまま 閉じてください。
それから
子を精神科医に見て貰い
東大の心理研究室に通った
東大の心理研究室では
わたしの受けている内縁の夫からの暴力を
わたしが 我慢しなさい、という方針だった
その時に
子を ここで見て貰うのは、違うと思った
わたしは、自分の住んでいる区の教育相談室に
連絡して、通う事にした
子には「遊びのお医者さん」と説明した
「遊びのお医者さんなのだから、楽しく遊んでいいんだよ。落書きしても 何か作っても足りたい物は 何が欲しい!って言っていいんだよ
◯◯ちゃんがかしたい事をしていいんだよ」と伝えた
毎週通うのは、体力的に大変だった
しかし
そんな事を言って いられない
子の描く絵は
「手足が無く、顔が大きく描いてあり、後は棒だった
色は黄色1色だった」
手足が無いという事
色が希望の黄色という事にショックだった
手足が 無い と言うことは
身動き が 取れなかった のだろう
思春期には「どうしたら◯ねるんだろう…」と言われた
わたしは 逃げてはダメだ、一緒に考えよう
と思った
◯吊りは◯んだ後にオシッコは出るし、う◯ちは出るし、舌もベローンと出るし…
いろいろな◯に方や
◯んだあとの事を話した
富士山の樹海も動物に食べられるし…などなど
飛び降りても他人を巻き込んでしまうし
電車は補償金が払えないし…。
第一 火葬場まで行けないし…、などなど
◯ぬのもお金がかかるんだよ
これが良かったのか…
絶対じゃ無いし…
子は
遊びのお医者さんに 通いはじめて
少しずつ
笑うようになってくれた
小学校は ほとんど 行ってない…
中学校は 真面目に 登校した
高校も
中学校の担任から
「そこは 無理かも 知れないよ」
と 言われた
しかし
子は 自分の 行きたい 高校を 受験した
わたしの 母校 である
見事に 合格した
今では
立派な 就職先で
立派な 社会人 に なってくれた
あの
黄色一色の絵 を 大切に 取ってある