美構造®メソッド開発ストーリー「第一章 からだの探求のはじまり」①負け犬根性はピカイチ | 美構造メソッド代表 藤原ヒロシ公式ブログ「身体の魔法使い講座」

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全国テレビ東京系列「主治医が見つかる診療所」出演、書籍「一瞬でかたい体がやわらかくなる美構造メソッド 学研プラス」出版。7か月で6刷増刷
セラピスト・エステ・インストラクターなどプロが取り入れる美構造メソッド代表

こんにちは、美構造®メソッド代表の藤原ヒロシです。



前回の記事「はじめに」はこちら
https://ameblo.jp/k98l098/entry-12425428906.html


前回の美構造®メソッド開発物語では、私の現在地点をサラッとまとめましたが、今日から過去を振り返っていきます。



美構造®メソッド開発ストーリー「第一章 からだの探求のはじまり」



①負け犬根性はピカイチ



現在の私しか知らない方からは、子供のころから何か特別な能力があったんでしょう。と言われますが、どこを掘り返しても見つからない。





見つけたいけど見つからないです(笑)





うーん、特筆すべきは人一倍負け犬根性が立派に育ってしまったということでしょうか。





サッカーをはじめたのは、小学校4年生から。
出身が田舎で小3までは1クラス8人の分校で過ごしました。



男子は5人ですので、分校の中ではスポーツ好きなのでその中では結構できるわけです。



で、父親が小学校教員で別の学校のサッカー少年団の監督をしていたこともあり自然とサッカーに興味をもっていきました。


小学校4年生からは本校1クラス40人に混ざっていくのですが

まあ意気揚々と、入部するわけです。

でも、入ってみると自分が全然通用しないという現実にぶつかります。



なんとかレギュラーになりたいと自分なりに頑張ってはみたのですが、、、
身体能力・サッカーの実力ともにレギュラーには程遠い存在でした。



今思い出しましたが。それ以前に監督は熱血だったので。


機会があればいつも「ヒロシよ、もっと熱くなれ!お前の中の燃える心を呼び覚ませ!」と言われていました。



実力以前に、メンタルが弱いというか勝負を諦めてしまってたんでしょう。



勝負がない、地域の獅子舞では自主的に風呂場でも風呂桶を獅子がわりにして湯冷めしながら延々と裸で練習してましたから、勝負事に向いてないのかもしれません。



それから中学校に進学(小学校と同じメンバー)したときに部活を変えるチャンスがあったわけですが、
ここで僕は周りのサッカー友達と離れることが嫌だな~と思い、スポーツから離れるチャンスを逃します。



機会を逃したのは、僕が「人に合わせる」「周りの目を気にする」妄想をずっとしていたからなのですが、
この性質は、今思い返すと30歳まで引きづっていたと思います。



周りに合わせて、中学校でもサッカー部を継続したものの自分でも予想通り中学3年間ベンチ。


補欠生活が6年も続くと、負け犬根性が確立されるものです。


自分ができない言い訳・努力しない言い訳を確立させていました。


その言い訳の一番手は、「喘息」です。


アレルギーや喘息がひどくて、「ヒュー、、ヒュー、、」と息苦しくなってしまい
たしかに体調に波が大きかったんですが


今思えば自分で喘息を自己保身に利用していたと思います。


弱い自分
できない自分

だからできないと諦めていました。


そんな、自分は負け犬で当然だ。いやむしろ目立たないほうが居心地がいいなぁと自己肯定しながらサッカー少年時代を過ごしていました。


 

優柔不断

負け犬根性

 


で藤原少年はどのように成長していくのか、自分に希望は全くありませんでした。




次回、このままでは終われないと高校へ進学したお話に続きます。