陰陽五行は、グー・チョキ・パー
 
川瀬の学んだ東洋医学は陰陽五行論に基づいた病気治療方法だ。
この陰陽五行論は、東洋医学だけでなく、東洋思想全体に大きな影響を及ぼしていて、それは中国武術といえども例外ではないのだ。
なぜ、ここで陰陽五行について特別な説明をするかというと、これに対する理解のあった方が、読者がより深く川瀬健一の人生哲学に踏み込むことができると、筆者が確信するからである。 
「えっー、陰陽五行論・・・ ? 」などと首をかしげないで欲しい。
陰陽五行などというと、だいぶ難しそうだが、それは文字が見慣れないだけであって、理論そのものは、ジャンケンポン、グー・チョキ・パーの関係だと思ったらいいのだ。グーはチョキには勝つがパーには負ける。パーはグーには勝つがチョキには負けるといった循環の理論が、いわば、これが陰陽五行論なのである。
では、この陰陽五行の「陰陽」とはなんなのであろうか。まず、それから説明することにしたい。
陰陽というと、筆者などは。すぐに夢枕獏による小説 陰陽師 ( おんみょうじ )」の安倍晴明を思い出すが、「どうも読み物は苦手だ」という人なら、狂言和泉流の野村萬斎の主演映画「陰陽師」などを連想されるのではないだろうか。
安倍清明は、後世にだいぶ神格化されたきらいはあるものの、九八四年~一○一一年花山天皇一条天皇の時代に実在した陰陽師で、当時の朝廷や貴族たちから多大な信頼を受けたと今に伝えられている。
この安倍清明に代表される陰陽師というのは、陰陽五行思想をもとに、物事の吉凶を占ったり、呪術祭祀を行ったりする者の総称だと思ったらよい。そして、この陰陽五行思想そのものは、中国古代の陰陽論と五行論という二つの思想が結びついたものなのである。
陰陽論はすべての物事を、陰と、陽の、二面からとらえる考え方である。
たとえば、昼が陽なら夜は陰で、夏が陽なら冬は陰で、男が陽なら女は陰、上半身が陽なら下半身が陰というふうに、「なにかがあれば、必ずその反対がある」といった哲学なのである。
読者も、こうした考え方は覚えておかれるべきだ。人間というものは、イイことがあれば、これがいつまでも続くものだと考えたり、ワルイことがあっても、これがいつまでも続くものだと考えやすいものだ。しかし、イイことの裏には必ずワルイことがあり、ワルイことの裏には必ずイイことがあるという、陰陽一体の考え方を、いつも持つように心がけたらよいと思う。
陰陽論からいうと、ワルイことがあってもいいのだ。それは極めて正常なことなのである。要は、ワルイことと、イイことのバランスがとれている状態が理想的なのである。ところが、こうしたバランスがどちらか一方に大きく傾くことがある。こうしたときが、いわば危険なときなのである。イイことがありすぎる、つまり過度にありすぎると、今度はその揺れ戻しが怖い。ワルイことがありすぎると、今度はその揺れ戻しが怖い。「ワルイことの揺れ戻しならイイことではないか、なんでそれが怖いのだ」と言う読者もおられると思うので説明するが、それは有頂天になってしまうからだ。
有頂天になると、必ず取り返しのつかない事が起きるのだ。これをわかりやすく言うと、急激に膨らみすぎた風船が爆発してしまうのと同じことである。陰陽どちらに大きく傾いても、生命という風船玉は爆発してしまう。
爆発さえしなかったら、人生は、ふくらんだり、縮んだりしながらも、正常に機能してくれるが、爆発してしまったら、「はいそれまでよ」なのである。仏教の「倶舎論」でいうと、有頂天とは生死の境を意味するそうだ。お互いに、できるだけ、なるべく境だけは超えないようにしたいものである。
こうした陰陽論を、川瀬が学んだ東洋医学でいうと、病気は、身体の陰陽のバランスが崩れたからおこると考える。
健康とは、陰が五○%、陽が五○%のバランスのとれた状態を指す。この陰陽のどちらかが過剰になったり、また不足したりする、いわばバランスが失調した状態が病気なのである。だから、東洋医学の治療は、この失調したバランスを取り戻すことにつきるわけである。
貴方は、身体のバランスを考えたことがあるだろうか。身体のバランスをとる一番よい方法は、昔から「過ぎない」ことだと言われている。
食事なら、なんでも食べ過ぎない、酒でもジュースでも飲みすぎない、煙草なら吸いすぎない、運動でもし過ぎないといったことが、昔から、陰陽のバランスを保つことにつながるといわれている。
だから、「精をつけるぞ!」などといって、焼き肉ばかり食べたりするのは、身体のバランスが過度に陽に傾いてしまって、あまりよいことではないのである。
しかし、これが、世の中の動き全体を陰陽でとらえるとなると、「これが陰だ」とか「これが陽だ」とかの絶対的な基準がないからやっかいだ。陰陽はあくまでも相対的な関係を示す概念にすぎず、互いのなかに互いを含むという、ややこしい関係にあるのだ。これを「陰中陽」、「陽中陰」といって、陰は自らの中に陽をふくみ、陽は自らのなかに陰をふくむのである。
また別の表現をすると、「不幸のなかにも幸せの芽があり、幸せのなかにも不幸の芽がある」とでも言えるかもしれない。
その上、周囲の環境によっても陰陽は変化する。たとえば、蝋燭の火は、太陽の下では「陰」であるが、闇の中では「陽」となるようにである。つまり、陰陽は、絶対的なものではなく、周囲の状況の変化することによって、「今日まで幸せと思っていたことが、明日からは不幸の原因」になるといったように、正反対へと激変することもありうるのだ。 
これは大切な点なので繰り返すが。「陰」と「陽」は対立するものであるが、それは互いに相容れないものではなくて、極めて流動的で変質しやすいものだと思って頂きたい。それはなぜかというと、この陰陽の二つの要素は、二つで一つの存在だからである。これを 太極 ( たいきょく )という。この陰陽の動きは無窮といってもよく、たがいに引きあい押しあい、陰が進むと陽が退き、陽が進むと陰が退き、大極が陰で満ちると、自然に陽が生まれ、陽が満ちると、自然に陰が生まれるといったように、無限の循環と交代とをくりかえすのである。そして、東洋思想では、この両者が混じり合うことによってこの世の万物が生まれるとされるのである。
これで、陰陽が対立しながらバランスをとりあうものであるということは、おわかり頂いたと思う。
次に五行論だが、まず、五行論では、この世界を「木・火・土・金・水」の五つの根本的な元素にわけて、この組み合わせによって、この世の中の全ての出来事が起きるとするのである。
 自分の周囲を見回してほしい、会社でいばりちらしている上司が、家にかえると奥さんの前では借りてきた猫みたいになっている場合もあれば、会社では「仏の○○さん」と呼ばれている人が、家にもどると家族を怒鳴り散らす亭主関白だったりすることがあるのではないだろうか。
誰にでも強い人もいないし、また誰にでも弱い人もいない、先ほど述べたグー・チョキ・パーのように、勝ったり負けたり、負けたり勝ったりするのが、この世の実相ではないだろうか。
昔の人は、こうした世の中の動きを、「火に勝つのは水、水に勝つのは土・・・」というふうに、苦手なものとの相性 ( あいしょう )を決め、これを「五行相剋 ( そうこく )」と名付けた。これとは逆に、世の中には、気が合うとか、馬が合うとかいう人間関係もあり、また、味覚でも、色彩でも、相乗効果を引き出すような組み合わせがある。これを「水は木を生み、木は火を生み……」というふうに、相性の良いものとの組み合わせを「五行相生 ( そうじょう )」と呼んだのである。
そして、こうしたセオリーが、政治や、経済や、自然現象や人事現象といった世の中の森羅万象の説明に応用されるようになったのである。

五行には相剋と相生があることを述べたが、これには決められたセオリーがある。

まず、木 → 土 → 水 → 火 → 金 → 木 のように循環しながら、相手と対立し傷つけあう関係がある。これを古い言葉でいうと、木は土中の滋養を奪うから「 木剋土 ( もくこくど )」、土は水をさえぎるから「 土剋 ( どこく ) 水 ( すい )」 、水は火を消すから「 水剋 ( すいこく ) 火 ( か )」、火は金属を溶かすから「 火剋 ( かこく ) 金 ( ごん )」、金物は木を傷つけるから「 金剋 ( ごんこく ) 木 ( もく )」という関係になるのである。

こうして互いに相手を傷つけあう相剋とは違って、互いに相手にプラスになるよい相生の関係もある。

木 → 火 → 土 → 金 → 水 → 木のように循環しながら、相手を活かし合い、プラスになっていくのである。
木は燃えて火を生じるから「 木生 ( もくしょう ) 火 ( か )」、火は物を燃やして土に返すから「 火生土 ( かしょうど )」、土は金属を生むから「 土生 ( どしょう ) 金 ( ごん )」 、金属は表面に水気を生じすから「 金 ( ごん ) 生水 ( しょうすいい )」、水は木を育てるから「 水 ( すい ) 生木 ( しょうもく )」となるのである。
 こうした説明をすると、なんだかこじつけたようであるが、決してそうではなくて、この世の中の、こうした互いにマスナスになったり、互いにプラスになったりする関係を、便宜的に、「木・火・土・金・水」として表現しただけだと考えて欲しい。
五行の相剋と相生の関係が定まると、これが世の中の全てに応用されるようになる。この世のあらゆる自然現象や人事現象が、五つに分類整理されたのである。さらに陰陽五行論では、十干と十二支がこれに加わるのだが、ここでは、中国哲学の根本思想である陰陽と五行を述べるだけに止めておきたい。
こうした陰陽五行論を川瀬は勉強したわけだが、これがわかると無理押しをしなくなるのである。相性の悪いモノはどんなに努力をしても、それが無駄なことだと気づくのである。
世の中には、貴方と相性のよい人や仕事もあるが、また逆に相性のわるい人や仕事もある。無理押ししなくても、成功するものは自然と成功するし、満身の力こめて無理押ししても、びくともしない場合もあるではないか。それは、相性からきていると思ったらいい。
こうした考え方は、東洋医学、東洋武術の普遍的な考え方であり、仙道でも、またそう考えるのである。