老いていく親の面倒を見るのはライフステージの中では自然な流れなのだろう。

しかし毒親に育てられた子供が、その毒親の面倒を見る事ほど酷な事はない。

なぜ悲しい想いをさせられた親を、心の支えにはなってくれなかった親を、私が支えなければならないのか。

なぜ歳をとってから弱い姿を見せ、その親を放っておく事に罪悪感を抱かせるのか。

 

 

 

 

親が今の私と同じ年の頃は、私は小学校高学年だった。

父の暴力から逃げるように居酒屋やスナックに母が通い始め、家に帰ってこなくなった頃だ。

父はなぜかすぐに金属バットを取り出し、帰ってくる母を玄関で仁王立ち。

私が自分の部屋からそーっと除くと階段でバットを持って座りこんでいる。

私の部屋は二階で部屋の扉は引き戸だった。

たまにスイッチが入り引き戸を開け怒鳴ってくるので、学習椅子を引き戸の所に置き、扉が開かないようにしていた日もある。

 

 

 

 

去年実家の断捨離をした。とにかく色々な物を処分した。そこで出てきた金属バット2本。

業者に持って行って貰ったと思っていた。ところが玄関の外に置いてあるのを発見した。

父は野球が好きだったし思い入れがあるのだろう。

私は見ると嫌な気持ちにしかならない。

 

 

 

 

昔の親と老いて弱々しくなった親。

どちらの親の姿も私の心をかき乱す。

 

 

 

身体が「ノー」と言うとき