北九州の北部にある工業出島の一角に、
大東亜戦争当時の駆逐艦の朽ちた姿が、
いまも見られる場所がある。
響灘沈艦護岸。通称、軍艦防波堤。
終戦後、柳、涼月、冬月の駆逐艦を沈設
して防波堤とし、今は柳だけが残って、
他の2艦は埋められてしまったとのこと。
涼月、冬月は戦艦大和最後の戦いに同航し、
生き残って帰還した伝説的な駆逐艦であり
是非見たかったものである。
艦の先端をこちらに向けた状態で
駆逐艦柳の輪郭が見えてくる。
長閑な釣りの風景と違和感がある
無骨で異様な存在感。
最近作ったのか、きれいな案内板には
沈設されている駆逐艦の写真と解説が
詳しく書かれている。
駆逐艦柳は1917年の建造で100年以上
時が過ぎての現存となり驚き。
この角度で見ると艦の形が分かる。
いまはコンクリートで囲われているが、
沈設当時、艦そのものが横たわっていた
と想うと何とも逞しい再利用だろうか。
感心する意味でも、哀しい意味でも、
感嘆せざるを得ない。
上に乗って艦先を見た状態。
案内板に解説によると駐車場スペース
あたりに涼月と冬月が埋まっている。
思わず艦の形を想像してしまう。
艦の外側の部分は鉄の朽ちた状態が、
赤錆たまま海風に晒されている。
もう消滅しそうなくらいに風化して
いるが、大海原を渡って戦ってきた
証が垣間見えるような気がしてくる。
最後尾と思われる鉄の輪郭を艦先の
方向に向かって眺めてみる。
全長約90m。駆逐艦としては大きい
方ではないが、これだけの鉄の塊が
海に浮いて、しかも砲撃をしていた
と思うと脅威なことである。
ふと横を見れば、穏やかな海と青空の下、
釣りを楽しむ人が多くいる。
柳の第二の人生(艦生?)は国民を見守り、
平和を守ることだったのだろう。
戦争遺跡の中でも復元ではない兵器が、
そのまま残っている例は極僅かである。
人の手でガチガチに保存されることも
大事だとは思うが、万物の理として、
朽ちていく儚さを見られることも、
大事な遺産の姿なのだと感じる。