北九州の北部にある工業出島の一角に、

大東亜戦争当時の駆逐艦の朽ちた姿が、

いまも見られる場所がある。

響灘沈艦護岸。通称、軍艦防波堤。

 

終戦後、柳、涼月、冬月の駆逐艦を沈設

して防波堤とし、今は柳だけが残って、

他の2艦は埋められてしまったとのこと。

涼月、冬月は戦艦大和最後の戦いに同航し、

生き残って帰還した伝説的な駆逐艦であり

是非見たかったものである。

 

 

 

Konica BIGmini BM-301

 

艦の先端をこちらに向けた状態で

駆逐艦柳の輪郭が見えてくる。

長閑な釣りの風景と違和感がある

無骨で異様な存在感。

 

 

 

 

 

Konica BIGmini BM-301

 

最近作ったのか、きれいな案内板には

沈設されている駆逐艦の写真と解説が

詳しく書かれている。

駆逐艦柳は1917年の建造で100年以上

時が過ぎての現存となり驚き。

 

 

 

 

 

Konica BIGmini BM-301

 

この角度で見ると艦の形が分かる。

いまはコンクリートで囲われているが、

沈設当時、艦そのものが横たわっていた

と想うと何とも逞しい再利用だろうか。

感心する意味でも、哀しい意味でも、

感嘆せざるを得ない。

 

 

 

 

 

Konica BIGmini BM-301

 

上に乗って艦先を見た状態。

案内板に解説によると駐車場スペース

あたりに涼月と冬月が埋まっている。

思わず艦の形を想像してしまう。

 

 

 

 

 

Konica BIGmini BM-301

 

艦の外側の部分は鉄の朽ちた状態が、

赤錆たまま海風に晒されている。

もう消滅しそうなくらいに風化して

いるが、大海原を渡って戦ってきた

証が垣間見えるような気がしてくる。

 

 

 

 

 

Konica BIGmini BM-301

 

最後尾と思われる鉄の輪郭を艦先の

方向に向かって眺めてみる。

全長約90m。駆逐艦としては大きい

方ではないが、これだけの鉄の塊が

海に浮いて、しかも砲撃をしていた

と思うと脅威なことである。

 

 

 

 

 

Konica BIGmini BM-301

 

ふと横を見れば、穏やかな海と青空の下、

釣りを楽しむ人が多くいる。

柳の第二の人生(艦生?)は国民を見守り、

平和を守ることだったのだろう。

 

 

 

 

戦争遺跡の中でも復元ではない兵器が、

そのまま残っている例は極僅かである。

人の手でガチガチに保存されることも

大事だとは思うが、万物の理として、

朽ちていく儚さを見られることも、

大事な遺産の姿なのだと感じる。