プレスリーは徴兵された。

芸能界には特別枠があり、プレスリーはそれを望んだが、プレスリーに敵を増やすのが不安だったパーカーは、普通兵士の位置に置いた。必ず付いていったが、西ドイツは行かなかった。密入国の事実を、プレスリーに知られる事が怖かったらしい。兵隊にあっても、ラジオや新聞などは一切読ませなかった。神経質でもあったプレスリーを不安にさせない為だった。逃れさせる為に、酒、女、遊びで目眩ましをした。パーカー自身も、出てくる若いスターを人一倍警戒していた。


兵隊から帰還したプレスリー。

この時、スターになっていたフランク・シナトラが自分の番組にプレスリーを呼んだ。プレスリーに交渉しようとしたが、パーカーが割り込み、8分間で12万5千ドルを要求。シナトラに、うん、と言わせた。(これも、マフィアまがいな感じ。)

1965年までは、エルヴィスプレスリーの天下だった。しかし。

遂にその日が来る。

ビートルズの出現である。


プレスリーの人気はゆっくりだが確実に衰えていった。ここで、プレスリーは

オピオイドを使うようになる。プレスリーは違法薬物とは思っておらず、あくまで医師によって与えられる、処方薬だと信じていた。

人気が落ちだしたプレスリーに慌てたのはパーカーだった。ギャンブルの為だ。

パーカーは当時付き合っていたプリシラとの、ド派手な結婚パーティーを計画するが、プレスリーが嫌がり、質素に終わる。

何とかしないと。焦るパーカー。

思いついたのが。

全世界に配信する、ラスベガスにおける、公開レコーディング、だった。パーカーの賭けだった。

これが当たった。

パーカーは又もギャラ交渉で収入の半分を要求。プレスリーは承諾した。


これ以降、プレスリーの人気は下降線を辿る。レコードは売れず、副収入め芳しくない。不安から一層プレスリーはオピオイドに依存。

自分に課していたダイエットなどを放棄。夜中に油で揚げた、南部料理を食べたりした為、異常に太りだす。

ラスベガスのショーは荒れに荒れた。

パーカーは何とかしようとアメリカ中を駆け回る。だが、高収入になりワールドツアーにはガンとして行かせなかった。

悪事画ばれるのを恐れた、と言われている。

薬物依存のプレスリーは、舞台で柔道の真似をしたり、マントを掴んで舞台から飛び降りようとしたり、とにかく目茶苦茶になっていく。酷い時には40人くらいしか客が集まらない時も。


プレスリーはお金の使い方が解らない為、湯水の如く使いパーカーに借金していた。そのパーカーも借金まみれ。

どうにもならない。


周りはさすがに心配し、暫く安めと忠告したが、借金があるからダメだ、と断った。ある時、側近が怒りに任せ怒鳴った。プレスリーは激怒。大切な仲間をクビにしてしまう。

それからプレスリーは寝室に籠るように。パーカーとも言い争うように。

パーカーはそれでも、ラスベガスツアーを止めなかった。プレスリーに、と言うより、自分のギャンブルの為に、プレスリーを働かせた。


そして。1977年、8月。

プレスリーは浴室で意識不明になり倒れた。病院に運ばれたが死亡。

享年42。


だが。

パーカーはしつこく生き、死後のプレスリーの契約により、報酬を、死ぬまで得ようと画策。

1997年1月、87歳で死去。


ある意味、凄い人。

でも。

優しくて可愛くて、明るいエルヴィスプレスリーには会わせたくなかったなあ、と、私は思いました。


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ありがとうございました。

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