剣豪宮本武蔵は「五輪の書」を書き、水墨画に優れ、文字どおり文武両道の達人だった。
その宮本武蔵、生涯六十余回の戦いで負けたことが無かったといわれるが、それは事実なのか。
しかも、その戦いぶりは必ずしも正々堂々としたものではなかった。
有名な巌流島の決闘にしても、実際は武蔵は小次郎とは対戦せず、岩陰に隠れた弟子たちが小次郎を滅多打ちにして逃げて帰ったという説がある。
昔観た東映映画では、巌流島へ向かう武蔵が船の上で櫂を削って木刀を作るシーンがあったが、これも実際はどうだったのか。
これから決闘に臨む男がそのような体力を消耗するようなことするのかね。
あのシーンは恐らく話を面白くするための創作であろう。
しかも、映画の中の宮本武蔵、その風貌たるや見るからにむさ苦しい格好の浪人となって現れる。
そのせいか、奴は宮本武蔵というより、むしろ宮本むさ苦し、である。
いつの時代にも見るからにむさ苦しい風貌の男はいる、その代表格として、「紅茶は左手で」の芥川賞作家・五味康祐の名が挙げられる。
この男テレビに出た時は常に着物姿で草履履き、長い髪と無精髭は伸び放題、だらしない格好でテレビ出演。
しかもこの作家、外車に乗ってスピードの出しすぎで二人の人間をあの世に送った。
そのために作家仲間が彼の罪を軽くする為、色々なところに働きかけたらしい。
他にも、見るからにむさ苦しい格好の有名人として、髭ぼうぼうの昔の詩人サトウ・ハチロー、たけし軍団・グレート義太夫、他にはオウム・アサ○ラの名が挙げられる。