続・教育って何?

 

教育って何?と突然聞かれたということを書きました。

その続きです。


「教育って何?」ということを聞かれて、ある意味では、お蔭様ということがわかるように、教えるのではなく学びとれるようにすることだと思っています。

これは意外と難しいことだと思うのです。

何でもやってもらって当たり前では、お蔭様などとは感じないし、教えられて理解するというのも、本当にお蔭様などとは思いません。

お蔭様と感じ取れることは「教育」の一つだと私は思います。


しかし、それも、教育が目指した結果の現れ方の一つだと私は思っています。


教育って何?と聞かれたら、間髪入れずに、

「教育とは、人をつくり、国をつくること」

と私は答えています。


教育と言われれば、学校教育を思い浮かべるかもしれませんが、私は学校教育も、家庭での教育も、社会や企業での教育も全て含めて「教育」だと思っています。


社会で活躍するために、必要な知識と物事の考え方、人としての在り方と知恵を学び、日本という国の一員として、社会で働き、納税をして、日本を支えていくことができるようにすることを「教育」だと考えています。


どの国のリーダーも教育が大切だと言います。

それは当然のことだと思うのです。

国が栄えていくためには、その国で働く人たちが、自分達の生活のため、そして、社会が繁栄するために、一所懸命に働くことが必要です。

だからこそ、国が栄えるためには、その国で働く人たちが、一所懸命に働くようにしなければなりません。

第二次大戦後、日本は少なくなった労働人口を補うために、生産性を上げ、少なくなった人口で、世界経済で第2位になるまでの成長をとげました。


日本は、特別な資源のない、小さな島国です。

この国が発展するために、あるのは「人」だけです。

言い換えれば「人」が一番の資源と言えるのです。


これまで日本は世界に多くの技術を提供してきました。その技術を生み出したのは、資源である「人」です。

時速200kmを超える速度で運行する新幹線が走ったのは大東亜戦争敗戦後、たった19年の1964年です。

戦後25年の1972年、車のエンジンの排出ガスにおいて、当時世界一厳しく、パスすることは不可能とまで言われた米国のマスキー法という排気ガス規制法(1970年12月発効)の規制値を、最初にクリアしたエンジンを開発したのも日本だったことを、今の子ども達は全く知りません。

CD(コンパクトディスク)を作り出したのも日本だということも、今の子ども達は全く知らないのです。

コンピュータの基本OSや半導体の技術など、日本は素晴らしい技術を世界に送り出しています。

技術の分野だけではありません。

学問の分野では、今ではたくさんのノーベル賞を受賞されている先生方がいらっしゃいます。

また、スポーツの世界でも、文学の世界でも、芸術の世界でも、様々な分野で多くの日本人が世界的に活躍しています。

日本が繁栄してきた一番は「人」であり、その「人」が活躍することができているのは、「教育」で国を作ってきたからです。

それしかないのです。


詰め込み教育がダメだ、ゆとり教育がダメだなどと批判することは簡単です。

じゃあ、私たち大人は、一体、どういう教育をして、どういう国にしていこうとしているのでしょうか。

どこかで、政治家や文部科学省が決めたらいい、と他人ごとにしていませんか?



どういう国にするかが決まらないのに、教育などあり得ません。

なぜなら、30年後、50年後の日本をどうするのか、その日本を支える人をどう育てていくのか、そんな指針もなしに教育などできない、と私は思うのです。

「こういう国にしたい、だから、こういう人を育てたい」これが本来のあるべき姿です。

人々が安心して生活できる国であって欲しい。
子ども達が成長し、幸せに暮らしていける国であって欲しい。

そんな国をつくるためには、「教育」が必要です。

私は「教育」とは、「人をつくり、国をつくる」ことだと思うのです。

 

だからこそ、学校の先生や塾の先生、教育に携わるすべての人が、もっと言えば、すべての大人が、国をつくっていく子ども達を育てている自覚と誇りをもって、子ども達にも、「あなた達がこれからの日本を作り、発展させていくんだ」と伝え、育てていかなければならないと、私は思っているのです。

 

 

そうでなければ、子ども達の将来を、私達、大人が暗いものにしてしまうと、私は思っているのです。