※守護霊との対話を元にしたフィクションです

 

ブログに訪問下さり、誠にありがとうございます😊

 

 

患者さんから、本シリーズが面白いとか共感すると感想を頂けたので、

 

思い出すがままに続けていきたいと思います。

 

 

あくまでも”客観的事実”と、そして僕の感情・意識がどうであったか、という対比で意識の学びとしていきたいという趣旨です。

 

 

とても順風満帆で飛ぶ鳥を落とす勢いであったのが、次第にヨレヨレになっていく様子を描いていきます。

 

・・・・・・・

 

何年目に限りませんが、仕事が終わった後に報告書を書くよう言われました。

 

報告書は管理職に回覧された後、掲示板に張り出されます。

 

 

仕事ですから普通は事務的な内容を羅列するだけなんですが、

 

僕はそんなんじゃつまらないので、エッセイ風に文章を付け加えました。

 

次長クラスの上司が僕のそれを読んでくれて、笑顔で「読ませるねー!!」と激励してくれました。

 

嬉しくなっていい気になっていたら、ある先輩から”くだけた表現はダメだ”とケチをつけられてしまいました😆


あー、めんどくせーなー・・・ただ事務的なこと書いたって、どうせ誰も読まないじゃん・・・とか、思っちゃいました😅

 

型に嵌められるのがとにかくイヤだったんですね。

 

悪く見る人もいるかも知れないけど、僕は僕の特色を出していこうと思いました。

 

年の近い若手や尊敬する管理職からはおおむね好評で、不満をぶつけてくるのはだいたい中堅の人達の一部でした。

 

・・・

 

5年目から6年目にかけてのことです。

 

番組制作技術の仕事の合間に、完成した放送用テープを自動的にチェックするシステムの開発に携わりました。

 

当時のパソコンはまだWindows95が発売される前で、MS-DOSという古いシステムでした。

 

まだインターネットもない頃でした。

 

僕はプログラミング担当で、ハードに詳しい後輩(といっても二つ年上でしたが)とチームを組んで、日々深夜まで開発に没頭しました。


この開発は特に面白くて、朝から深夜の終電までの時間がまさにあっという間でした。

 

まばたきをしたら1時間経っているような感覚でした。

 

 

これも有難いことに部長に気に入って貰い、部長賞を頂きました。

 

開発したシステムが20室ほどあったVTR編集室の全室に導入されることになり、1500万円ほどの予算がつきました。

 

・・・

 

その後、また別の開発担当になりました。

 

前回と同じく僕がプログラミング担当、前回とは別の人がハードウェア担当。

 

その頃はWindowsパソコンが主流となっており、プログラミングも全く新しいことを学ぶ必要がありました。

 

開発したシステム自体は完成こそしたものの、日の目を見ることはありませんでしたが、

 

僕としてはWindowsのプログラミングを学べたことがとても大きく、これが数年後にとても役に立つことになります。

 

・・・

 

これらの開発に関しても報告書やドキュメントを書きましたが、

 

開発したシステムが関連団体にも導入されることになったことにより、きちんとした規約書類を作る必要性があったこともあって、

 

この頃は逆に”ものすごく堅苦しく真面目な”文章を書くことが面白く感じていました。


 

こうして振り返ってみると、20代の半ばまでの東京での仕事は本当に充実した日々でした。

 

最初の2年間の研修では、あまりの厳しさに家に帰ってから枕に突っ伏して泣いていた頃もありましたが・・・。

 

・・・

 

別件ですが、2階の温水便座は迅速に修理が完了しました。

 

しかも2年経っているにも関わらず無償にしてくれました!!

 

すごい!!

 

有難いですねー😊

 

新聞の占いは、「機械が壊れる」は当たりましたが、「金運が悪い」は良いほうに外れてくれたようです😆

 

 

 

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