菖蒲城(しょうぶじょう)は、現在の埼玉県久喜市菖蒲町新堀にあった城です。
康生2年(1456年)、古河公方足利成氏が金田式部則網に命じて築城しました。
城の竣工が5月5日の菖蒲の節句であったために菖蒲城と命名されたそうです。
天正18年(1590年)小田原征伐ののち廃城となり、以降は徳川家康に仕えた
内藤正成が栢間陣屋(現在の久喜市菖蒲町下栢間)を構えて支配し、上級旗本
として14代、幕末まで同地を治めました。
現在は遺構は残っていませんが「菖蒲城址あやめ園」として市に管理されています。

 
旗本内藤家栢間陣屋門
菖蒲城址あやめ園の入り口には旗本内藤家栢間陣屋門が移築されています。
明治政府により陣屋は破却されましが、門は領内の名主だった三須家に引き
取られていたそうです。
あやめ園では、6月上旬から中旬にかけて約50品種、35000株の花菖蒲が
見ごろを迎えます。

 
菖蒲城址の石碑、あずまや、木道などが花菖蒲を引き立て風情を感じます。

 
例年6月上旬の日曜日に開催されるあやめ祭りでは、地元の特産品販売や
各種イベントが行われます。

 
芸術カットを一枚。
あやめの咲く沼地に菖蒲城の歴史が眠っています。

菖蒲城址
埼玉県久喜市菖蒲町新堀