本ブログは前の記事を参照して書き進めていますので、 

最初の記事「ちはやぶる神」から読み進めて頂ければわかり易いと思います。


『古代の鉄と神々』は古代史に興味がある人ならば必読の書です。

■『古代の鉄と神々』 真弓常忠 ちくま学芸文庫
  2018年7月18日 第一刷発行

本書がなければ本ブログはなかったとも言えるほど私にとって重要な本です。
本書を読めば古代日本が「豊葦原の瑞穂の国」と呼ばれた理由がわかります。
本書を読むまでは古代(スサノオの時代)に日本で製鉄が行われていたとは
全く思っていませんでした。

私はちくま学芸文庫から発刊されたことをネットで初めて知って購入したのですが、
最初は1985年に学生社から出版された本を再刊したものであるとのことです。
著者の真弓常忠氏は2019年になくなられたようですが、
本書のカバー裏で以下のように経歴が紹介されています。

 大正12年、大阪市生まれ。旧制官立神宮皇學館大学に学び、住吉大社禰宜、皇學館大学

 教授を経て、八坂神社宮司、住吉大社宮司を経て、現在、皇學館大學名誉教授、住吉大社

 名誉宮司、神社本庁教学顧問

さて、この『鉄と古代の神々』の123ページに『延喜式』に載っている兵主神社の一覧表が載っています。この表をここに転記しようかとも考えましたが、幸いネット上に兵主神社の一覧表を載せているサイトがありましたので、それを紹介することにします。

■ [神奈備にようこそ!] 兵主神
  http://kamnavi.jp/ym/hiboko/index.htm

情報元が違うので『古代の鉄と神々』とは祭神が微妙に異なるのですが、
私が主張したい以下の点に変わりはありません。

祭神がほぼスサノオとオオナムチである。

神社名が同じでも祭神が異なることも多いのにこれは重大なことです。

ホツマツタエに以下のような記述があります。

■ [ホツマツタヱ 解読ガイド]
  ほつまつたえ 天の巻8 たまかえしはたれうつあや【霊還しハタレ打つ文】
  https://gejirin.com/hotuma08.html

 『ツハモノヌシが 霊還し 清き真の はな振りて 道に阿も無し 
  シキ県 阿無し央尊 ヲシテ添え 据えて写し日 代治人ぞ』

これに対応すると思われる神社が奈良県桜井市穴師にあります。

■ 穴師坐兵主神社
 [神奈備にようこそ!] 穴師坐兵主神社
 http://kamnavi.jp/as/yamanobe/anasi.htm
 所在地:
  奈良県桜井市穴師1065
 祭神:
  中殿:兵主神
   境内表示「崇神天皇の六十年、命を受けて皇女倭姫命が創建され、天皇の御膳の

   守護神として祀られ、天孫降臨の際の三体の鏡の一体を御神体とし、御食津神と

   申し上げる。」
   祭神については、御食津神・天鈿女命、素盞嗚尊、天富貴命・建御名方命、大己貴神の

   分身伊豆戈命、大倭大国魂神とする説がある。祭神の重層化のようだ。
  右社:若御魂神
   境内表示「三種の神器を御守護された稲田姫命を御祀りし、御神体は匂玉と鈴で、

   芸能の神として崇敬を受けられています。」
   また豊宇気毘売命の親の和久産巣日神とする説がある。 
  左社:大兵主神
   境内表示「纏向山上の弓月嶽に祀られたが、後に下られて御祀り申し上げています。

   御神体は剣(ほこ)で武勇の神、従って相撲の祖神となった。」
   八千戈命、素盞嗚命、天鈿女命とする説がある。兵主の神であり、天日槍命と見る事が

   出来る。
  摂社:
   相撲神社「野見宿彌命」
 由緒:
  式内社である三社、穴師坐兵主神社、穴師大兵主神社、巻向坐若御魂神社の三社を

  合祀したものである。
  かっては上下二社にわかれ、上社は弓月岳に穴師坐兵主神社があり、下社が現在地に

  あり穴師大兵主神社であった。

この神社は"名神代"であり、他の兵主神社の祭神名が"建速須佐之男命"や"大己貴命"等であるのに、祭神名も"兵主神"や"大兵主神"となっており別格な感じがします。

私たちはホツマツタエによって大物主(オオモノヌシ)や事代主(コトシロヌシ)が
特定の個人を指すのではなく職種名であることを知っています。
それと同じようにに兵主(ツハモノヌシ)も職種名であり
初代がスサノオで2代目がオオナムチということなのだと思います。

穴師坐兵主神社が"名神代"であると書きましたが、
"名神代"となっている兵主神社がもう一社、長崎県の壱岐島にあります。

■兵主神社
 [玄松子の記憶] https://genbu.net/data/iki/hyousu_title.htm
 所在地:
  長崎県壱岐市芦辺町深江本村触1616 
 祭神:
  素盞嗚尊 大己貴神 事代主神

以前の記事「ツハヤムスビはスサノオである」でスサノオと津島神社、対馬との関連について書きましたが、壱岐の島の兵主神社も"名神代"となっており、対馬、壱岐島の重要性がわかります。

さらに、証明する術もないと思うのですが、ツハヤムスビ(津島、対馬)との関連から以下のような妄想が浮かびます。

  • 元は「津ノモノヌシ」と言っていたが、発音しにくいので「ツハモノヌシ」に変化した。
  • 穴師坐兵主神社に初代ツハモノヌシとしてスサノオがいたが、オオナムチが2代目として就任するにあたって初代と区別するために「オオツハモノヌシ」とした。
  • 「オオツハモノヌシ」は長く発音しづらいので「オオモノヌシ」となり、代々、それが使用されるようになった。

結論
ともあれ、兵主神社の祭神より以下の結論が導かれます。

★ツハモノヌシはスサノオとオオナムチである。