映画「真昼の決闘」(1952年)は、上映時間が85分とずいぶん短い映画です。本年度の上映作品のうち、日本映画(中国含む)の上映時間の平均が130分、欧米の作品の平均が112分です。洋画が邦画より、短いのはなんとなく感じておりましたが、85分というのもずいぶん短い。3年前に上映された「ハドソン川の奇跡」(2016年)は96分で、あのときは短いと思ったものですが、それよりもさらに10分以上も短い映画です。

 

映画の長さというのは国によっても違います。日本の映画に比べて、欧米は20分ほど短いし、逆にインドの映画は平均144分くらいで、ずいぶん長い感じがします。基本的には映画を観る国民が楽しんで観られる時間に合わせているのでしょうけれども、映画はあくまでもサービスの提供ですから、製作会社および上映館としては、回転率をあげられものの方が収益は大きくなりますから、短い映画が好まれます。監督としては、観客に理解してもらうために、少しでも長い映画を作りたい。そんなわけで、いろんな方面からの圧力をバランスさせた結果が、映画の長さなのでしょう。

 

 だいたい喜劇映画は短くて、ドラマは長くなる傾向があります。ドラマは、観客に理解してもらうために、人間関係や状況がそれとなくわかるようなシーンを初めにたっぷりと入れておかないといけませんが、喜劇などは説明不要、お笑いがつながっておればいいのです。テレビ・ドラマ「水戸黄門」は54分でしたが、善玉悪玉が決まっており説明不要でしたし、由美かおるの入浴シーンと葵の御紋を見せれば、だれもが納得してくれました。アメリカのテレビ・ドラマ「コロンボ」も72分でしたが、こちらもパターンは決まっており、犯人は初めからわかっていて、あとは謎解きだけでした。

 

 今回の映画が短いのには、いくつか理由がありそうです。状況の詳しい説明がなく、ストーリーの展開で人間関係や状況がわかるようになっております。ただし、どうしてそうなのか、という理由の説明はなく、観客が想像しなければなりません。なので、想像がつかない人には、なにがなんだかわけのわからない映画かもしれません。ただ、西部劇お決まりのアクション場面がありますし、結末がハッピーエンドですから、それなりに満足のいく作品でしょう。

 

 映画が短いもう一つの理由として、かなり緊迫した場面がつづきます。観客の緊張感はそんなにもたないですから、ストーリー展開を早めております。それに合わせて音楽もテンポがよく、場面が心臓の鼓動に合わせてハラハラ・ドキドキの連続です。

 

 そして映画の長さが85分なのは、映画の冒頭の場面、ある夏の日の日曜日の10時35分、保安官に恨みを晴らすために三人の男が町の外に集まり、首謀者の男が来るのを駅まで迎えにいきます。そしてその首謀者が汽車で到着するのが12時ちょうど(真昼=ハイ・ヌーン)。その間が85分。決闘が始まるまでの緊迫した場面展開が85分つづくのです。まるで現場中継のようです。

 

 ストーリーは単純なのですが、どうして保安官があらくれ男どもに襲われることになるのか、という理由の説明がないので、それを理解しておかないと、混乱してしまいます。理由は単純で、かつて町を支配していた者の愛人だったメキシコ女が、保安官に乗り換えて、男を保安官に売ってしまった。男は逮捕され追放されて、町は平和だったのですが、男はアメリカ北部で行われた裁判で無罪となり、復讐のため町に戻ってくるというのです。保安官は、メキシコ女とは縁を切り、いまでは若い女性と結婚したばかり。メキシコ女はいまではその保安官の助手を愛人にしている。保安官はそんな助手を嫌っています。そんなこんだで保安官は町のだれからも助けてもらえない。町から逃げるべきなのか。メキシコ女は町から逃げるのか。新婚の女性は保安官のところにとどまるのか。息詰まる展開です。

 

 保安官は町の平和を守るのが仕事、悪者が復讐に来るから手を貸してくれと言われても、町民が尻ごみするのは当然のこと。男一匹の西部劇にあるまじきストーリーには賛否がありました。ただ当時のアメリカは赤狩りの最中で、政府のやり方に文句を言おうものなら、「アカ」のレッテルを貼られて映画界から追放され、だれもが口をつぐんでいた時代ですから、そんなアメリカ社会への批判とも考えられております。いずれにしろ、アクション映画だった西部劇がドラマになった最初の作品でもありました。

 

 主演のゲイリー・クーパーは当時、女性の胸を熱くさせる俳優のNO1、多くの有名女優とも共演しています。「モロッコ」(1930年)ではマレーネ・ディートリッヒと、「誰が為に鐘は鳴る」(1943年)ではイングリッド・バーグマンと共演しました。ただ1939年に大ヒットした、「風と共に去りぬ」ではレッド・バトラー役をオファーされたのに辞退しており、その後もヒチコックがクーパーを希望したのに、サスペンスは当時、低俗映画とされており、断ってしまったが、後で後悔していたとされております。「真昼の決闘」の共演は、アメリカ映画の上品な女優の代名詞だったグレイス・ケリー。「グレイス」という芸名も、優雅な上品さ、という意味です。まだ映画界に入ったばかりで、クーパーの共演に抜擢されました。それからはヒチコックに見出されて、ヒチコック映画にずいぶん出演しておりました。私が大好きな映画「裏窓」(1954年)はヒチコック映画の傑作とされておりますが、グレイス・ケリーはしばらくしてモナコ王妃となり、芸能界から足を洗ってしまいました。後に、交通事故で亡くなってしまいました。「裏窓」といえば、妻を殺した犯人ではないか思われる男(レイモンド・バー)が、グレイス・ケリーの恋人を襲いにいく場面があり、そのときのその男の目が怖かった記憶がずっとあったのですが、先日に上映された「陽のあたる場所」(1951年)に登場する検事が恋人を殺害したという主人公をにらみつけるときの目とそっくりでした。目だけで俳優がだれかわかるというのもすごいことです。