話が伝わる人、伝わらない人


〜伝える側として本当に大切なこと〜


「どうしたらもっと伝わるのだろう」


人に何かを伝えていると、

誰もが一度は感じることかもしれません。


同じ話をしても、


深く頷き、

涙を流しながら受け取る人もいれば、


まるで風のように

通り過ぎていく人もいる。


昔は、

「言い方が悪かったのかな」

「説明不足だったのかな」

と思っていました。


でも、今は少し違うように感じています。


話が伝わるかどうかは、

知識や理解力だけではなく、


その人が

「どこで聞いているか」

によって大きく変わるのだと思うのです。


頭だけで聞いている時。

損得で聞いている時。

自分を守りながら聞いている時。


本当に大切な言葉ほど、

奥まで入っていきません。


反対に、

理屈ではなく、

その人が魂で受け取る瞬間があるのです。


だから私は最近、

伝わらないことに、

以前ほど焦らなくなりました。


どれほど素晴らしい種でも、

芽吹く「季節」がある。


古事記でも、

神々は「時」を待ちます。


無理に岩戸をこじ開けたりはしない。


その人の内側から

静かに「開きたい」と願った時に、

初めて本当に届くのでしょう。


だから、

伝える側に必要なのは、

無理に理解させようとする力ではなく、


相手の時を信じて待つこと

なのかもしれません。


そしてもう一つ、

とても大切だと思うことがあります。


それは、「何を語るか」以上に、


「どう生きているか」

が伝わっているということ。


人は、

言葉よりも、


その人の空気、

眼差し、

静けさ、

在り方を感じています。


だからこそ、

伝える側は、


知識を増やすこと以上に、


自分自身を整え、

出来ないながらも誠実に、

善(うるわ)しく生きようと努めていること、


そして同時に、

自分もまた、学びの途中であることを忘れない

こと。


「自分は分かっている側」

になった瞬間、

言葉は硬くなり、

どこかで人を裁き始めてしまう。


でも本当は、

誰もが未熟で、

誰もが人生の途中。


だからこそ、

相手にも余白を持てるし、

待つことができる。


私たちは皆、

それぞれの痛みを通りながら、

少しずつ、

いのちを学んでいるのだと思います。


人を変えようとしなくていい。

無理に引っ張らなくていい。


ただ、

自分の光を静かに灯して生きる。


その姿そのものが、

いつか誰かの岩戸を開く光になる。


私は、

そんなふうに感じています。


全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す


絵の題名「宇宙の目」


《宇宙の目》

それは、はじまりのまなざし。

この目は誰をも裁かない。

ただ、ありのままを抱きしめる。

宇宙は外にあるのではない。

あなたの内側で、いまも静かに光っている。