〈善とは何か――古事記の“善・うるわし”〉
私たちは普段、
「善い人」と聞くと、
正しい人
立派な人
我慢できる人
そんなイメージを持つかもしれません。
けれど古事記では、
「善」はもっと深く、
もっと命そのものに近い感覚で語られています。
それが
「うるわし」です。
「善・うるわし」とは、
単なる「綺麗」や「美しい」ではなく、
「汚れを祓い、
その中より“うるわしきこと”を生ぜしむること」
命が本来の姿へ戻り、調和している状態 を表しています。
だから古事記でいう「善」とは、
誰かを打ち負かす正しさではありません。
その人の命が、
その人らしく美しく響いていること
なのです。
さらにとても深いのは、
「善・うるわし」と決定する権威は
〈ひのかみ〉にある
これは、
人間の狭い価値観で
成功したから善い、
お金があるから善い、
有名だから善い、
そうではない。
本当に“うるわしきひと”とは、
🌿 人を安心させ
🌿 調和を生み
🌿 命を活かし
🌿 周囲を和ませる
そんな存在だったのだと思います。
古代日本人が目指したものは、
「何を持ったか」ではなく、
✨ どんな存在になったか ✨
でした。
だから「善」は、
誰かを裁くためのものではなく、
命が本来の調和へ戻っていくこと。
真・美・愛が
ひとつに結ばれている状態。
それが日本人の最高目的
「善・うるわし」なのでしょう。
人は皆、
まだ途中だから
祓いながら、
迷いながら、
揺れながら、
未熟さを抱えながら生きている。
それでも命は、
“善・うるわし”へ向かっている。
その眼差しこそ、
古事記の語る「善・うるわし」なのだと感じます。
昨日の神戸古事記塾の学びよりシェアします。
全国古事記塾主催 今野華都子絵と文記す
題名
【アマテラス「ほむら」】
