沈丁花が咲き始めましたね。
日本橋大伝馬町から伊勢に引っ越して来るまで、いつも日本橋の小津和紙店のミツマタの咲くのを楽しみにしていました。
そこで多摩古事記塾の翌日行ってみることにしました。
この街もよく整備されて若い方々が多くて活気があります。
キティちゃんお雛様の前で写真を撮る親子さんをたくさん拝見して嬉しくなりました。
1時間後日本橋に着いて
久しぶりに娘とランチへ
久しぶりにハンバーグ、たまごサラダ、ひじきの煮物、刻み漬け
腹ごなしも兼ねて昭和通りまで散歩をしました。春のような日差しを浴びて娘と二人で歩くだけで楽しい。
娘「最近の体の調子良さそうだね」
私「人生で今が一番い良いかも😊❤️」
娘「そんなにスッキリしても、全然やつれ感もないし、シワシワになって年寄りじみたところも出ない、小顔になっても肌の張りもすごくあって艶々!すごいメソッドだね。
さらに3回ぐらいでブラッシュアップ終わって完成しているものすごいよ〜!」
時々こう言う視点で褒めてくれるのも嬉しい😘😘
私「ありがとう😊自分でやってみて、結果が良かったことだけ伝えているからね」
そんな会話をしながら
「アッ!咲いてる〜
今年も無事にミツマタの花に会えました。
娘にたくさん写真を撮ってもらってから、、
私「このまま東京駅まで歩いて帰る」
娘「信じられない」と(笑)
大伝馬町から日本橋三越を経由して日本橋へ
実はこの道は特別に思い入れのある場所なのです。
銀座側から見た日本橋
実は首都高速は川の上を通っています。川の上に道路を作ると言うこの当時の発想にも驚きでした。
遊覧船の船着場もあります。
日本橋の由来が書いてあります。
日本橋は、家康が市街地の造成を命じたことがきっかけで作られたそう。慶長8年(1603年)に、江戸城の外堀と江戸湾を繋ぐことを目的に、平川(日本橋川)の河口を延長して木橋を設けたのです。この木橋が、後に日本橋と呼ばれることになりました。
ここは私が初めて就職した会社の所在地です。
毎日この日本橋を渡っていました。
私の同期で入社した彼女は、定年まで同じ会社で勤めて退職しました。ある日駅でバッタリ会ってもお互いにすぐ分かりました〜。「ずっと定年まで勤めあげるってすごいな〜」
初給料の時は、「まだお仕事を教えていただいているのに、お給料をいただき申し訳ありません」と思っていたのを思い出しました🙏💕
新入社員の時の謙虚さと初々しさを忘れてしまっていました〜💦💦
そしてここは別な意味でもスタートの地なのです。
こちらのブログ
今では本居宣長先生、賀茂真淵先生、吉田松陰先生の魂にこの地に導かれたとしか思えません。
思えば、本居宣長先生のお母さんも奥様も「カツ」と言う名前でした。
私も「華都子・カツコ」
その後本居宣長先生出身地の松阪近くにすむことになりました。
振り返ってみればきっと後でちゃんとわかるように繋がっているに違いないです。
いつもこころざしを忘れないようにお家にミツマタを植えようと思います。
では、今日も読んでいただきありがとうございました。
感謝💕🙏