生まれながらにして類まれなる才能を秘めていたピカソ。その才能がいかんなく発揮された背景には、自らの絵筆をきっぱりと捨てた父の存在がありました。



学校へ上がってからも、ピカソは絵ばかり描いていた。

教科書の余白は絵で埋め尽くされたが、
読み書き計算はまるでできず、アルファベットの
順序を覚えることすらできなかった。

ピカソがなぜそこまで絵を描くことに夢中になったかといえば、
画家の父親がいつも絵筆を握っているのを見ていたからである。

幼い頃の環境がピカソの才能を育んだのである。
彼の家族は、決して絵を描くことを禁じたり、
勉強を押しつけたりはしなかった。父親は、
息子ほどの画才があれば必ず将来立派な画家になるだろうと
期待を寄せ、母親も、我が子は何をやっても最高の能力を
発揮するだろうとその将来を信じて疑わなかった。

一家を挙げてピカソの才能を称賛して止まなかったのである。

ピカソが10歳になると、父親は自分が教師を務める
美術学校に我が子を入れ、学校でも自宅でも徹底的に
絵の基礎を教え込んだ。生涯に2万点もの作品を描いたピカソだが、
実は描いたデッサンの数も膨大であった。

父親のもとで徹底的に基礎を養ったからこそ、
ピカソはその才能を大きく開花させることができたのである。

そうした父と子の関係は、ピカソが13歳の時に転機を迎える。

ピカソが描いた鳩の絵を見て、我が子が自分の力量を
凌駕していることを悟った父は、自分の絵筆を息子に譲り、
以来絵を描くことを一切やめてしまったのである。

(中略)

ピカソが幸せだったのは、同じ絵の道を歩んでいた父親が、
我が子の才能を素直に認め、いたずらに矯正しなかったことである。
教えることばかりが父親の役割ではない。
我が子の素質が開花するよう温かく見守ることも父親の役割であり、
愛情の表現であると私は思う。

致知出版社の人間力メルマガ 2018.5.16
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木原 武一(評論家)

※『致知』2018年6月号【最新号】
※特集「父と子」P44
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