【残念とは何かと思う。残念とは念が残ること。残念無念は、その念すら見あたらないときをいう。本来の無念は覚悟そのもののこと】



西郷隆盛を読んでいてこの覚悟のほどが半端ないことを感じる。度量を大きくするなんて簡単には出来ないけど、広げる方法は自分におこる想定外をどれだけ静かに受け入れられそこでより良く生きるかと思う。

そんな時、古事記塾 「新釈古事記伝に日本人の生き方を学ぶ」会員さんからこんなお話しを聞きました。

 父は学徒動員で一ツ橋大学生の時に、戦争にいき、ロシアに捕まり、最高刑の11年の捕虜生活をして、みんなを早く帰らせ最後の船で帰ってきたそうです。捕虜は強制労働と劣悪な環境だったようですが、父はそこで、捕虜仲間と勉強会をしていたそうです。帰国できてからも、働きながら、コツコツ税理士の資格を取り、私を自由に伸び伸び不自由なく育ててくれました。だから、父のことは、尊敬していましたが、父の本当の心、生き方はわかっていませんでした。父は、辛かったはずですが、そのことについては一言も言わず、毎日の食事や一日生きてることに感謝しておりました。そして、今日死んでもいい覚悟を持っていきていました。覚悟を持っていきていました。

父はその与えられたところで、大和魂で生きていたんだと、今日も、また深くわかり涙が溢れました。父の声が聞こえたような気がしました。
ーーーーーーーーーーーーーーーー


 残念とは何かと思う。残念とは念が残ること。残念無念は、その念すら見あたらないときをいう。本来の無念は覚悟そのもののことである。
西郷さんや今ここを静かに生きるやまとの生き様を示してくださる先人達がいました。


今日も想定外がいっぱいかもしれません。
残念! その瞬間は「えっ!そんな~」と思う!思わないわけはない、それが想定外ということ。

すぐに立ち直るのは難しくでも、
苦しみや悲しみの渦に長い時間からめとられないで、起きたことを受け入れ ここを生きる覚悟。「無念」やがて起きたことを普通に腹に落とせた時、度量が広がりの想定外が普通になる。

どんな時もここが生きる場所。

この世に来たからには覚悟を決めて
ここを良くしていきます。

今日も命を輝かせる時間をありがとうございます。

今日は柏エステルームパセオで施術をさせていただきます。今日も良い日にします。
どうぞよろしくお願いします\(^o^)/