2014年05月11日(日)

集団的自衛権の行使について考えてみる

テーマ:雑感・思うこと
安倍政権が集団的自衛権の行使容認を目指していると、このところ盛んに報じられています。
毎回、選挙には参加するものの、日頃からあまり政治には興味がないというか、誰かが何かやってくれるだろうという他人任せの考えを持っている僕ですが、何だが恐ろしい方向に進むと嫌なので、とても微力ながらちょっとだけ抵抗してみようと思います。
というのも、昨年末に帰省した際に読んだ雑誌の中に「傍観して自分の意見を言わないことは中立とは言えず、権力に力を与え続ける暴力行為だ」という言葉があって、ずっと気になっていたものですから。

さて、集団的自衛権の行使とは、言い換えれば戦闘であり殺し合いです。
実際に誰が戦うのですか?
自衛隊が戦ってくれるから僕たちは何も気にしなくて良いのですか?
自衛隊の人たちは皆、自国が攻撃されてもいないのに戦闘することを納得しているのですか?
中には戦闘がしたくて仕方がない人もいるかもしれません。
でも、きっと多くの人は戦闘なんてしたくないはずです。それでも、自衛隊に属していたら、戦地に行くことを拒否できないのでしょうね。
自衛隊だけでは人が足りなくなったらどうしますか?
国費で他国から傭兵を雇いますか?それともやはり、徴兵制度を復活させて、少子高齢化の中で貴重な若者を強制的に戦地に送りますか?
僕自身は戦地になど絶対に行きたくないですし、罪の無い他国の人を殺さなければ生きられないのだとすれば、そんな世の中で生き残りたいとは思いません。
国のために戦って傷ついたり死んだりする人に対して、気の毒だとは思いますが、尊敬も感謝もしません。
集団的自衛権の行使とは、多くの人の命に関わることですから、そんなに急いで決めることではないはずなのに、なぜそんなに急いでいるのか理解できません。

先の大戦の反省から、我が国の多くの人々は戦争の悲惨さ、愚かさを知り、戦争を放棄することに賛同していると思いますし、その理念は崇高なものだと思います。
アメリカから押しつけられた憲法だからと否定する意見もありますが、戦争を放棄することに全く異論はありませんし、今の政権が考えている憲法よりもよほどまともだと思います。
そもそも憲法とは、国民主権を保障し時の政権の暴走を防ぐためのものであると理解していますが、安倍政権のやろうとしていることは、憲法を無視した暴走に近いものではないでしょうか。
靖国参拝、特定秘密保護法、集団的自衛権行使、どれをとっても僕には理解できませんし、まるで国民を持ち駒のように考え、自分の理念を実現するためのゲームを行っているのではないかと思えるほど、リアリティの感じられない政策ばかりです。

考え方は人それぞれですから、僕が望む方向に世の中が進まなくてもしかたがないと思います。
しかし、一部の愚かな権力者の考えによって世の中が大きく変わっていくことは阻止しなければなりません。
同じ過ちを繰り返さないためにも。
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2013年08月31日(土)

高所恐怖症って・・・

テーマ:雑感・思うこと

このところブログの更新をサボっていたら、あっという間に八月も終わりです。

といっても、大したネタもないので、以前からちょっと気になっていたことを記しておきます。


先週、テレビで白馬のサマージャンプが開催されているのを見て、数年前にそのジャンプ台に上ったことを思い出しました。

それはもう怖くて怖くて、上り下りも慎重に一歩ずつ、ものすごく時間がかかりました。


そんな高いところが苦手な僕の姿を見て、人は「高所恐怖症」だと言います。

しかしながら、高所を怖がるのは、危険を回避するための、人として当然の本能ではないかと思うのです。

それなのに、何やら異常であるかのように「~症」と呼ばれるのは納得がいきません。

むしろ、高所を怖がらない人こそ「高所不感症」と呼ぶべきかと。


ま、どうでもよい話ですけど・・・


カルマンギアのある生活

写真はもちろん妻が撮ったものです。

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2012年03月27日(火)

知識は更新しなければ…

テーマ:雑感・思うこと

限りなくどうでもよい話なのですが…


カルマンギアのある生活
帰ってきたウルトラマン


子供の頃によく見た馴染みのあるヒーローですが、周りの人(?)が「セブン」だの「エース」だの「タロウ」だのと呼ばれている中で、固有名詞を与えられず、「帰ってきた」と形容されてしまう彼に、少なからず同情の念を抱いていた僕でした。

ところが、そんな彼にいつの間にか「ジャック」という名前が与えられていたことを、今朝のテレビで初めて知り、円谷プロの粋な計らいに心の中で拍手を送ったのでした。

そうなると今度は初代ウルトラマンが何だか可哀想に思えてきたので、円谷プロのさらなる英断に期待しています。


同様に、子供の頃にテレビでよく見た彼女(?)、


カルマンギアのある生活


僕たちが子供の頃は「ノンノン」と呼ばれていたはずなのですが、いつの間にか「フローレン 」と呼ばれるようになっていました。

原作者であるトーベ・ヤンソンから「ノンノン」という名前にクレームがついたそうなのですが、それなら原作でちゃんと名前をつけておいてくれればいいのに、と日本のアニメ担当者は思ったのではないでしょうか。


こういったことは、同世代の人でもお子さんがいる方はわりとご存じかもしれませんが、ウチのように子供がいない家庭ではなかなか知る機会がありません。


子供向けの特撮やアニメのみならず、日本史でも同様のことがありました。

僕たちの学生時代は、高床式の建築は弥生時代に始まったものと習ったのですが、いつの間にか縄文時代に始まったものとされています。

これは、三内丸山遺跡や桜町遺跡など新たな遺構の発見によるものですが、過去の歴史も変わる(実際には変わっていませんが…)ことを忘れてはいけません。


というわけで、ウルトラマンをきっかけに、知識とは覚えておくだけでなく常に更新しなければならないものだ、ということをあらためて感じさせられたわけです。


過去の歴史ですら変わるのですから、現在進行形の社会に関しては言うまでもなく、子供の頃に社会科で習った国はどんどん変わっていきます。

西ドイツと東ドイツが統一されて一つの国になったかと思えば、ソ連は崩壊し多くの国に分かれました。

チェコスロバキアも、いつの間にかまたチェコとスロバキアに…


「そういえば、昔、北朝鮮って呼ばれてた時代もあったよね」

なんて会話ができる時代が早く来ることを願っています。


と、どうでもよい話を、無理やり時事ネタに持っていってみたのでした。

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2011年09月23日(金)

天に向かって唾を吐いているのか?

テーマ:雑感・思うこと
昨日から新聞やテレビでの報道をよく目にするのですが、NASAの発表によると、アメリカの古い人工衛星「UARS」(重さ6トン)が、今日か明日にも地上に落下するそうです。
落下予測地域は、北緯57度~南緯57度というかなり大雑把な範囲だそうなので、日本もすっぽりおさまっています。
大気圏突入の際に大部分が燃え尽きるものの、金属破片26個(計532キロ)が燃え残り、地上に落下するのだとか。
で、その金属片が世界中の誰かに当たる確率は3200分の1、自分自身に当たる確率は21兆分の1になるんだそうです。

もしも自分に当たったとしたら、これはもう運が悪すぎるとしか言いようがないのですが、3200分の1なら、どこかの人間に当たっても不思議ではないですよね?
人じゃなくて、車や建物に当たる確率はさらに高いでしょうから、落下する場所によっては大惨事になることもあり得ます。

地球上は隕石落下の危機に常にさらされているわけですから、それに比べれば、確率的には大したことはないのかもしれませんが、同じように宇宙から落下してくるとはいえ、人工衛星の場合は明らかに人災です。
地上に落下する人工衛星の大半は燃え尽きてしまうようですし、今まで大きな事故につながっていないために注目されていませんが、一度、大きな事故が発生すれば急に問題視されるのかもしれませんね。
ちなみに、JAXAによれば 、現在までに世界中で6000個以上の人工衛星が打ち上げられ、現在も約3000個以上が地球の周りを回っているそうなので、問題視されたところでどうしようもないかもしれませんが。
なお、アメリカや日本は宇宙損害責任条約を批准しているため、落下した衛星で被害にあった場合、衛星の所有国が損害を補償する責任を負うのだそうです。

今回の場合、燃え尽きずに落下する金属片が26個と予測されているということは、それらのパーツに使われている金属が大気圏突入時の温度でも燃え尽きないものであること、それらが落下することにより災害につながる危険性が0ではないことは、打ち上げ時に把握できていたはずです。
だけど、災害につながる危険性は極めて小さいし、それを限りなく0に近づけるには膨大なコストと時間がかかるから、とりあえず開発を優先して、災害については補償という形で対応した方が安上がりと判断したのでしょうね。
何だか、原発推進における考え方と似ているような気がするのは僕だけでしょうか?
いえ、科学技術や文明なんて、大小の差はあれ常に危険性を孕んで発展していくものだから、当然といえば当然なのでしょうが。
ただ、科学に真摯に向かい合う研究者や技術者ばかりではなくて、利権に群がったり、不誠実な対応をしたりする人が多いと、先の原発事故のようなことになってしまうのでしょう。
ま、これも人間らしいといえばそれまでなのですけどね。

とにかく、目先のこととして、今回の人工衛星の落下が大きな事故につながらないことを祈っています。

なお、この件に関しての最新情報は、文部科学省のfacebook で公開されています。


さて、話は大きく変わって、一昨日、8月の車検 以来、久々にカルマンギアを動かしました。
といっても、台風の襲来に備えて、ビニールハウスから工場の中に移動しただけですけど…
photo:01
工場におさめられたカルマンギア

無事に台風も過ぎ去ったので、昨日またビニールハウスに戻りました。
とりあえず、マイカルマンの近況報告まで。
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2011年03月31日(木)

花見は自粛しますか?

テーマ:雑感・思うこと

じ しゅく 【自粛】 … 自分から進んで自分の言動を慎むこと。 (大辞林より)

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石原都知事が、花見を自粛するようにとの発言をされたようです。

・花見は自粛を=被災者に配慮必要-石原都知事
・時代錯誤では…慎太郎“花見禁止令” 戦争時の「連帯感は美しい」


同じ発言を受けての報道のようですが、微妙にニュアンスが異なります。


最近、「自粛要請」などという言葉を耳にすることも多いのですが、そもそも、自粛するかどうかは各人が判断することであって、他者から要請されて慎むのは自粛とは言わないのではないか、などと思いつつ、とりあえず元の発言を聞いてみたいと動画を探してみたら、これしか見つかりませんでした。


・FNNニュース:石原都知事、ライトアップされた桜の下で…


残念ながら、「やめたらいいんだよ、こんなものは!」とちょっと過激な発言の部分だけが取り上げられていて、発言の全体が分かりません。

あの部分だけを見ると、ずいぶんと乱暴な言い方をしている印象を受けますね。

あの発言の部分を見て、「言葉は乱暴だけど、心はやさしい人だ」と感じるか、「相変わらず気に入らないオヤジだ」と感じるかは人それぞれですが、都知事選挙が近くても、都民に媚びようとしない姿勢だけは評価できます。


いずれにしても、同じソースを取り上げても、報道の仕方によって印象が大きく変わるということが分かりましたね。

メディアって恐いですね。


ところで、実際のところ、本当に実質的な「花見禁止令」なのでしょうか?


都のホームページを確認してみましょう。


・知事の部屋/東北地方太平洋沖地震・東京都知事発言|東京都


う~ん、これまたずいぶんと違ってますね。

これによれば、「夜間、明かりをつけての花見などというのは自粛すべき」とのことです。

ただし、「本文は口述筆記ではありませんので、表現その他に若干の変更があることがあります。」との注釈がありますので、都の広報担当職員の方のご苦労がうかがえます。


さて、僕自身は今のところ、先日の行動指針 に従って花見を行おうと思っています。

それによって被災者の方々が気分を害されることは、本意ではありません。

ただ、色々な考え方があるとは思いますが、僕たちが花見を自粛しても、被災地の方は喜ばないんじゃないかと思うのです。


こんなブログ記事を見つけました。


・お花見してくださいね@被災地より


まゆさん、ありがとうございます!心の迷いがずいぶんと晴れました。


カルマンギアのある生活
播磨坂(東京都文京区) … 昨年の様子

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2011年03月29日(火)

東電の責任でしょうか? いいえ・・・

テーマ:雑感・思うこと

今回の震災に関連した福島第一原発の事故で、東電を責める報道等が目につきます。

本当に東電の責任なのでしょうか?

もちろん、東電や国の関係機関(原子力・安全保安院等)の責任が小さいわけではありませんが、結論として僕は、我々国民全体の責任だと考えています。


以下は、責任の所在を追及する(犯人探しする)ことが目的ではなく、自分なりに調べてわかったことから、自分の考えを整理しておくためのものであることを、あらかじめお断りしておきます。

また、4年ほど前にこんな記事 を書いていて、基本的なスタンスは変わっていないものの、その時点で勉強不足だったことへの反省も含んでいます。


地震発生以降、色々なフェーズで問題が指摘されていますが、ここでは、地震と津波による原発事故発生段階について主に取り上げることにします。

今回の原発事故発生の原因は、大規模な津波が「想定外であった」または「想定を超えていた」ということに尽きると思います。

「なぜ想定していなかったのか?」、「想定していて当然ではないか?」という指摘もありますが、そもそも、どのような想定がなされていたのでしょうか?


まず、原子力発電所のような極めて重要な施設が、東電のような一民間企業の独自の判断で建設できるわけがありませんから、そこには当然、国が定めた基準があります。

その大もととなる法律として、「原子力基本法 」や「原子力委員会及び原子力安全委員会設置法 」等があり、それらの法律に基づいて、報道等でも耳にする原子力安全委員会 が設置されています。

そこでは、原発に関する様々な指針類 が定められているのですが、その中で、今回、注目すべきはこれです。


・発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(H18.9.19)


この指針は、1978年に策定され、現行版を含めて、3回の改訂がなされています。

現行版への改訂にあたっては、6年間に計48回の会議 が開催されたようです。


この指針の中では、原発施設の耐震設計に対する考え方が整理されていて、極めて簡単に説明すると、原発内の各施設をその重要度からS、B、Cの3クラスに区分して、Sクラスについては、建築基準法で規定している一般的な建築物の耐震基準と比較して、3倍程度以上の大きさの地震に耐えられるように設計することと規定されています。

ここでいう地震の大きさとは、マグニチュードなどで示される地震のエネルギーではなく、地震によって建物に加わる水平方向、垂直方向の力です。

地震や構造設計の専門家ではないので、細かい部分では理解できない部分も多いのですが、地震に関する最新の知見を集結して、安全かつ合理的な設計がなされるように議論が重ねられていることがわかります。

実際、地震の揺れによって施設が破壊されたわけではなさそうですから、地震の揺れの大きさに対する想定には問題がなかったように思われます。


一方で、津波に対する想定はどうだったのでしょう?

驚くべきことに、この指針の中では、「地震随伴事象に対する考慮」として最後のページに次の1文が示されているだけなのです。

「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと。」

これ以外に、津波に対する具体的な指針は見当たりません。


つまり、地震そのものについては、過去の災害事例等に基づく最新の知見をもとに詳しく検討がなされ、設計に対する具体的な数値や計算方法が示されているものの、一方で、津波については、「津波のこともちゃんと忘れないでね」といった程度の指針しか示されていないというわけです。

実際に、福島第一原発で津波に対してどの程度の考慮をしていたかは不明ですが、少なくとも、それを審査する側が明確な基準を持っていなかったことは間違いなさそうです。


このような災害が発生した後の今となってはお粗末な印象も受けますが、地震と比べると事例や知見が極めて少なく、具体的な設計基準を示すことが困難であったことは容易に想像できます。

なので、不正な金銭の授受などがない限り責任を追及すべきではないと思いますし、頭の良い専門家の先生方が真剣に考え議論をされていても、現代の科学には限界があるんだということ、そのような社会の中で我々は生きているんだということを理解しておくことが重要だと思うのです。


普段、難しいことは頭の良い専門家に任せて、その恩恵に与って便利で快適な生活を送っている僕としては、事故が起こったときだけ文句を言うのは筋違いだと思っています。

上記の指針改訂についても、議論の内容は公開されていますし、パブリックコメントも募集されていました。

なので、このような事故が発生する前に問題点を指摘することも意見することも可能だったわけですから、そのことに対して無関心であった(一部には以前から指摘されていた専門家の方もいらっしゃるようですが…)国民全体の責任であると思うのです。

政治家に対しても同様で、選挙で自分たちが選んだ人たちですから、最終的な責任は国民にあるはずです。


と、キレイごとを言いつつも、当然ながら今の政治家に腹が立たないわけではありませんけど…


ちなみに、専門家の先生方が真剣に考え議論されてこられた様子は、会議の速記録から読み取れますし、石橋克彦先生 (神戸大学名誉教授)は、第48回の会議 の中で自ら委員を辞任されています。

辞任された石橋先生が正しいと言いたいわけではなく、専門家の中でも意見が分かれるのは当然であること、それぞれの立場で皆、真剣に考えておられること、それでも絶対的な安全は保障されないこと、日本の行政の中では同様のことが色々な場面で展開されていること等を、皆にもっと知っていただきたいのです。


もう一つ、原発は十分な安全に配慮している一方で、絶対に事故が起こらないわけではなく、もともと事故が起こることを想定して、「原子力損害の賠償に関する法律 」によって原子力損害賠償制度 が設けられています。

今回の原発事故で被害を受けられた方は誠にお気の毒ですが、電力事業者と国による賠償措置が定められていますので、少しでも安心材料になればと思います。


なお、理屈をこねるばかりで何もできない僕ですが、原発の現場で命がけで事故対応に従事されている皆様には、心より感謝と尊敬の意を表します。

本当にありがとうございます!



とても長くなってしまいましたが、最後に、僕は今でも原子力発電に賛成の考えを持っています。



※上記の内容は、僕が個人的に興味を持って調べたことに基づいたものであり、補足情報、認識が間違っている部分等があればお知らせいただければ幸いです。

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2011年03月23日(水)

今できること、今こそやるべきこと

テーマ:雑感・思うこと

このところ引きこもりのような生活をしている僕ですが、できることなら、被災地のガレキをかき分けて被災者を一人でも救いたい、避難所で困っている人たちに直接、救援物資を届けたい…そんな思いを持った人は日本中にたくさんいるはずです。

しかし、報道等で散々伝えられているとおり、中途半端な正義感や自己満足で行動することは慎まなければなりません。


今の僕にできることは、 ①節電する②必要以上の食品や日用品を買わない③義援金を寄付する、といったことでしょうか。

ま、これらは当然のことですね…


それに加えて、僕が今だからこそやらなきゃいけないことは、

「いつも以上に活発に生活すること」

だと思います。


今、世間には自粛ムードが漂っていて、飲食店や観光関連施設には客が入らず、築地では高級魚が大量に売れ残っているとか。

飲食店のアルバイトさんが職を失ったり、企業における新卒者の内定取り消しも懸念されています。

多くの飲食店や中小企業にとっては致命的な状況にもなりかねませんし、このような状況が続けば日本経済全体が停滞することは明らかです。

家族の誰かが病気になっても他の家族が元気だからこそ看病や介護ができるわけで、家族全員が病気になったらたいへんですよね。

同じように、日本全体が弱ってしまっては、経済的にも精神的にも、被災地の復旧や復興を支援できなくなってしまいます。


そんなことはお前に言われなくてもわかっているよ、と皆さん思っていることでしょう。

が、あえて言葉にすることで、自分自身の行動を促したいと思っています。


そう、こんなときだからこそ、あえていつもより多くお金を使うように心がけたいと思います。

「金は天下の回りもの」ですから!

具体的な行動指針を示しておきましょう。


①外食の回数を増やす

②欲しいものは我慢せずに買う

③仕事と趣味を楽しむ

④少し贅沢な旅行をする


といっても、僕の贅沢なんてたかが知れてますけどね…

もちろん、災害復旧、復興の妨げにならないことが大前提です!


まずは、世間のガソリン不足が解消されたら、カルマンギアで温泉旅行に出かけたいと思っています。

なんてったって、「カルマンギアのある生活」ですから。


そのくせ、今年に入ってから、このブログにマイカルマンはまだ一度しか登場してませんので、とりあえず、


カルマンギアのある生活
今日のところはこれで…



今日から、春のセンバツ高校野球大会が始まりました。

来週には、僕の大好きなカズがJリーグ選抜として出場するサッカーのチャリティーマッチがあります。

予定より少し遅れますが、間もなくプロ野球も開幕します。


被災地の皆さんのことを思うと素直に楽しめないのが正直なところではありますが、直接の被災者でない僕たちが明るく元気に生活することも、とても大切なことだと僕は思っています。

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2011年02月28日(月)

飲み過ぎた翌日にカレーを食すような感じ…?

テーマ:雑感・思うこと

限りなくどうでもよい話なのですが、飲み過ぎた翌日で胃が疲れているときに、辛いカレーなどの刺激物を食べたくなったりしませんか?

例えが適切ではないかもしれませんが、ちょっとそれに似た気分だったというお話です。


ここ数日、細かい数字を扱う仕事に没頭していたせいか、妙に頭が疲れていて、文字を読むのもしんどいなぁなんて思いながらとある人のブログを読んでいたら、「魑魅魍魎」の文字が目に入ってきて、一瞬、クラッとしました。

そういう意味だから仕方ないのですが、「鬼」が多すぎです。

正直、僕のPCの液晶ディスプレイで見ると、何となく全体の字面の雰囲気しかわからないし、本の活字で見ても同じかもしれないのですが、例えば、「魍魅魑魎」なんて書かれていても、気づかずに「ちみもうりょう」と読んでしまうと思うのです。

「魅」が「み」であることはパッと見で認識できても、その他の文字はあんまり意識してませんからね~(あくまで僕の場合です)


もちろん、テストに出題されても書けませんし、漢字検定など受けるつもりもないので、今さら書けなくても何にも困るわけではないのですが、こんなに頭が疲れているときに限って、IEの表示を500%まで拡大して文字を書き写してみたくなったりするのは、疲れた脳に刺激を与えたいという欲求なのかもしれません。(というのが冒頭の例えの話)


考えてみたら、「魑魅魍魎」に限らず複雑な漢字は多く、アルファベット等に比べて、PCのディスプレイの限られたドット数で表現するのは極めて困難だと思うのです。

それでも、たいていの漢字は、前後の文脈や字面の雰囲気も含めて読めるので、画面表示用のフォントをデザインしている人は大したものだなぁと尊敬してしまうわけです。


とはいえ限界はあるもので、日常的にわりと見かける複雑な文字の中でも、「薔薇」、「憂鬱」、「麒麟」くらいまではまあ問題なく認識できると思うのですが、漢字が一文字で前後の文章がない状態だと、例えば「蠢く」なんていうのはもうほとんど認識できません。(あくまで僕のディスプレイの場合ですが…)

これを強調文字にしたりすると、「蠢く」となって、ゲシュタルト崩壊とは違った意味で文字には見えなくなってきます。

ちなみに、先ほどから表示しているのは

カルマンギアのある生活

ですが、同じ文字には見えませんよね?


他にもちょっと調べてみただけでも、「龞(ベツ)」、「麤(ソ)」、「饞(サン)」など、複雑な漢字はたくさんあるのですが、意味も全く分かりませんし、使うこともなさそうなので、僕には問題ありません。

が、画面上でほとんど認識できないであろうこのような漢字も、ちゃんとフォントを用意しているところがすごいですね~


参考までに、 
カルマンギアのある生活
です。


このように複雑な形状を持つ漢字に加えて、ひらがなやカタカナまで使う日本語というのは、PCにとっては極めて厄介な存在であったはずなのに、我が国でここまでPCやインターネットが普及しているのは驚くべきことです。


その意味では、漢字の使用をやめてハングル文字に統一した隣国には、先見の明があったとも言えますし、エスペラント語の精神も素晴らしいとは思いますが、効率化や共通化にはどこかさびしいものを感じることも事実で、やっぱり日本語はいつまでも難しい日本語のままであってほしいと願うわけです。

だからといって、自分で難しい漢字や言葉を覚えようとするわけではないのが悲しいところですが…


以上、限りなくどうでもよい話題でした。



オマケで、土曜日の夕食のおかずの写真です。


カルマンギアのある生活
鹿肉の角煮


信州さんに頂いた鹿肉 と同封していただいたレシピで作りました。(妻が)

とても柔らかくて美味しかったです。ごちそうさまでした!

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2011年01月07日(金)

前から気になっていたのですが…

テーマ:雑感・思うこと

近所の中華屋さんの看板。


カルマンギアのある生活
菅業中??


もしかしたら、中国では「営業」とは表現しないのかな?と思って、翻訳サイトで「営業」を中国語に訳してみたところ、「营业」だそうな。

いたく納得!


この看板、よく見てみると、


カルマンギアのある生活


文字は修正してあるので間違いには気がついているようですが、電飾までは手が回らなかったようです…


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2010年08月05日(木)

「これっぽっち」の違和感

テーマ:雑感・思うこと

以前から、TVドラマ等を見ていてとても気になる表現があります。

それは、「これっぽっち」という言葉です。


例えば、

「そんなこと、これっぽっちも思ってないさ!」

といったセリフです。

この時、特に手は動いてないし、何かを指し示しているわけでもなかったりするのです。

時には、電話での会話で使われていることもあります。


これっておかしくないですか?

この場合、「これっぽっち」の「これ」は何なんでしょう?

本来、「これ」という対象物なり尺度があってはじめて成立する表現なのではないでしょうか?

例えば、前述のセリフの場合、2本の指で小さくアルファベットのCのような形これっぽっち2を作って見せれば違和感はありませんし、食卓の上に1個だけ置かれた小さなパンを指さして、「これっぽっちじゃお腹いっぱいにならないよ~」と言うのであれば何の問題もありません。


そして、「これ」という対象物や尺度を目で見える形で示さないのであれば、別の表現とすべきだと思うのです。

例えば、

「そんなこと、米粒ほども思ってないさ!」とか、

「そんなこと、微塵も思ってないさ!」という風に。


初めて聞いた時には違和感を覚えた言葉でも、例えば「全然だいじょぶ」のようなものは、いつの間にか慣れてしまって違和感をあまり感じなくなってしまったのですが、この「これっぽっち」についてはどうしても違和感がぬぐい去れません。

言葉の使われ方は長い時間の中ですこしずつ変化していくものだとは思うのですが、TVドラマなどは特に影響力が大きいと思うので、脚本家やドラマの制作に携わる人には、もう少し言葉を大切に扱ってほしいと思います。


と、こんなところで言ってみても、何の影響力もないでしょうが・・・



話は変わって、昨日は僕の誕生日だったので、近所のBistro o lala! で妻がごちそうしてくれました。


カルマンギアのある生活
カルマンギアのある生活
またまたアルゼンチンワインをいただきました


昨日は妻が予約してくれていたのでよかったのですが、このお店、平日でもいつもほぼ満席でなかなか入れないのです。

料理もワインもリーズナブルで美味しいのでオススメですが、時間と気持ちに十分な余裕のある時でないと行ってはダメなお店です・・・


ごちそうさまでした!

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カルマンギア100台"きらら"ミーティング

2010年10月3日(日) ※2日(土)は前夜祭

http://www.karmannghia100cars.com/

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