一般的には、吉田松陰は黒船で密航しようとして幕府に逮捕
され、処刑されたとなっています。
しかし、肥後勤王党の中村直方が肥後藩に提出した建白書の
中に、「松陰が天下に先駆けてペリーを暗殺しようとして黒
船に乗った」と書かれていることが、判明しています。
その他、西郷隆盛と共に入水自殺を遂げてしまった勤王党の
月照が、生前、松陰から送られた詩の欄外に、
「肥後勤王党があなたに刺客になることを望んだ」
と、書きこんでいるのです。
さらには、吉田松陰自身が弟子の久坂玄瑞に宛てた手紙に、
「私はペリーを斬り殺そうとした」
と書いていることも、わかっています。
これらの事実を基に、岡崎学園国際短大の川口雅昭教授が、
吉田松陰の黒船に乗り込んだ真の理由はペリー殺害にあった
と、主張しているそうです。
これ、真っ当過ぎる見解ですね。何故後世にそのように伝わ
っていないか?まあ松陰自身が「私は海外渡航をするつもり
だった」と供述しているからなのですが、当然松陰自身はそ
のように言うでしょう。本当のことを言えば、自身の罪が重
くなるばかりか、仲間や弟子たちにも被害が及ぶと考えるで
しょうから。
また幕府側が仮に事実を知っていたとしても、ペリー暗殺が
行なわれようとしていたなどということがばれれば、大事に
なりかねません。だから松陰の供述通りに調書を書いたので
はないでしょうか。