日本に「戦国時代」という時代が存在したのは行き過ぎた能力主義と競争主義のせい? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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室町時代というのは、幕府や朝廷といった中央権力に力がな

い時代でした。そのため、活気がなく冴えない時代のように思

われてしまいがちですが、実はむしろ逆だったようです。


国の上層部が頼りない分、国民は自由を謳歌し、文化は発達

していきました。つまり、私営の経済や学問、芸術などが発展

したのです。


そして、「一旗上げる」という感覚が広がったのも、この時代で

す。庶民だけでなく、武士の間でも能力主義が広がり、自分の

腕次第でいくらでものし上がれる時代だったのです。


それはそれで良い世の中なのですが、一方でこの精神が下剋

上を呼び、やがては大名同士が領地と権力を奪い合う、戦国

時代につながったともいえます。


日本が戦国の世に陥ったのには、多くの理由があります。とても

1つや2つでは、語れません。ただその中の大きな理由の1つに、

家臣の流出を防ぐということが、あったようなのです。


武士は1人のトップに生涯忠誠を尽くすもの、というのは江戸時代

の発想で、室町末期から戦国時代にかけては、逆でした。自分の

能力を武器に、大将から大将に渡り歩く。つまり、ヘッドハンティン

グをされまくり、どんどん位を上げていくのが、武士としての美学で

もあったのです。


従って、戦を起こすことで、家臣たちに秘かな就職活動を起こす暇

を与えないという狙いが、あったそうです。常に緊張状態を続けさ

せることが、大事だったということです。


勿論、戦地での活躍が相手の目に留まり、スカウトされるなんてこ

ともありますが、勝てばそれはなくなります。また、戦によって仲間

同士、更には上司と部下の結束が高まり、職場を移動したくなくな

るという効果もありました。


そして、能力主義の時代だけに、常に信賞必罰が大事でした。従っ

て、戦に勝つことで所領を広げ、活躍した家臣たちに一部領地を賞

与として与えることも、彼らをつなぎ止める手段だったのです。


勿論、戦の理由は、これらだけではありませんでした。ただ、大きな

理由の1つであることは間違いなく、行き過ぎた競争主義がもたらし

た物騒な時代でもあったのでした。