名文のご紹介(その6) | 気まぐれ癒し物語(創作童話・小説)
新型コロナウイルスに関する情報について

気まぐれ癒し物語(創作童話・小説)

これを読んだら癒されるかもしれないし、癒されないかもしれません。読んだ時のあなたの気分次第です。

 

第六弾です。

~読者を引っ張って行く長文のテクニック

 

 

 

 

■谷崎潤一郎「細雪」

 

だらだらと長く続く文章は悪文であるとよく言われます。言いたいことを短い文章で伝えられてこそ名文。ことビジネス文書ではこれが鉄則になっています。

 

しかし文学の世界ではそうとも言いきれず、句点なしで延々と続く文章に深い味わいがあったりするものです。今日は長文の宝庫である谷崎潤一郎の「細雪」をご紹介します。

 

細雪は昭和10~16年ころの話。大阪船場の旧家である蒔岡家の四人姉妹「鶴子」「幸子」「雪子」「妙子」の日常生活を上・中・下巻にわたって書き綴った長編小説です。

 

その四女「妙子」が色々浮いた話の多い娘で20歳の折、同じ旧家である奥畑家の息子と恋に落ちて家出をし、それが新聞にまで報じられたという事件を起こします。以下は、相手の男である奥畑が次女の「幸子」にことの顛末を釈明(?)するというくだりです。

 

上巻の26~27ページ。(ルビは省略します)

 

以下がひとつの「文章」になっています。句点(。)が一個しか出現しません。

 

「船場時代にはお互の家が近い所にあった関係から、幸子も満更知らない顔ではなかったので、兎に角面会してみると、突然で失礼だとは思ったけれども折入って御諒解を願いたいことがありましてと云う前置きの後で、先年自分達の取った手段は過激であったとは思うが、決して一時の浮気心から出た行為ではなかったこと、あの時自分達は引き離さなれてしまったが、自分はこいさん(―「こいさん」とは「小娘さん」の義で、大阪の家庭で末の娘を呼ぶのに用いる普通名詞であるが、その時奥畑は妙子のことを「こいさん」と云うばかりか、幸子のことを「姉さん」と呼んだ)との間に、父兄の諒解を得られるまで何年でも待とうと云う固い約束をしたのであること、自分の方の父兄は、最初はこいさんを不良か何かのように誤解していたが、芸術的才能のある真面目なお嬢さんであることを知り、又自分達の恋愛が健全なものであることをも知って来たので、今日では結婚に反対ではないらしいこと、などを語り、それで、こいさんから伺ったところでは、此方はまだ雪子姉さんの御縁がきまらないそうであるが、それがおきまりになってからなら、私達の結婚も許して戴けると思うと云うことなので、こいさんとも相談の上で僕がお願いに出たのである、自分たちは決して急ぎはしない、適当な時期が来るまで待つが、ただ自分達がそう云う約束をした間柄であることを、此方の姉さんだけは分かっていて戴きたい、そして自分達を信用していて戴きたい、尚又、いつの日にか本家の兄さんや姉さん達の方を然るべく執り成して、自分達の希望を遂げさせて下さるなら更に有難い、此方の姉さんは一番理解がおありになり、こいさんの同情者であられると伺っていたので、こんな勝手なお願いをするのだけれども、――と云うのであった。」

 

何と句点なし740文字の文章。

 

いくら文学文章でもこれはやりすぎですし、凡人が同じ真似をしたら何度も最初から読み返さないと理解できない文章になってしまう危険がある長さですが、これが天才谷崎。実際読んでみますとすんなりと言葉が頭に入ってきて、なぜか短い文章をさらりと読み終えたようなすっきりした読後感すら生まれます。

 

ポイントは以下の二点にあります。

 

■口承文学のような言葉の流れ

 

この地の文は、ひょっとしたら谷崎の口から直接発せられた言葉を紙に書写したのではないかという印象を持ちました。文章の内容が「目」からでなく「耳」から脳に届けられているような感覚になります。読むのではなく「聞いて」いるようなくらい、言葉がむりなくすんなりと脳に届くようです。話し上手な人の話は、どれだけ長いあいだ聞いていても飽きませんし、内容も理解できます。谷崎は人に語りかけるように740文字を書き上げたのではないでしょうか。

 

もちろん流暢な文章の裏には、昭和初期の作品にしてはわかりやすい単語を用いていることを忘れてはなりません。漢字とかなのバランスもちょうどいいのでしょうね。「自分達」と書いたり「自分たち」と書いたり、微妙に調整しているところ憎いです。

 

 

■文章のリズム

 

読んでみてお分かりと思いますが、読点から読点までの文体のリズムがほぼ同じなのです。七五調、と言えるのかどうかわかりませんが、読者は馬にでも乗っているかのようにリズミカルに進んで行けます。リズムが一定ですと、言葉もリズミカルに頭に入って来るようで、ますます「耳」で聞いているような気分に陥ります。

 

 

以上のような文章表現は作品全体にわたってちりばめられており「細雪」の特徴とも言えます。と言いますのも、谷崎の文章は比較的長文の傾向があるように思えても「痴人の愛」などは地の文でも比較的短くまとめられていて、これは私見ですが物語の特性に応じて長短書き分けているのではないかと思えます。

 

細雪は言ってみれば女だけの世界。なかなか終わらない女性のおしゃべりを模したような口承チックな文章のスタイルがはふさわしかったのかもしれません。大阪弁の会話文とあいまって、四人の乙女たちの香りがふわっと立ち上ってきそうです。

 

参考までに会話文の一部を載せておきましょう。次女「幸子」と四女「妙子」会話です。三女「雪子」のお見合いの話について語り合っています。

 

上巻の35~36ページ。(ルビは省略します)

 

「なあ、こいさん、―」

と、幸子は、引っかけてみた衣装が気に入らないで、長襦袢の上をぱっと脱ぎすてて別な畳紙を解きかけていたが、ひとしきり止んでいたピアノの音が再び階下から聞えて来たのに心付くと、又思い出したように云った。

「実はそのことで、難儀してるねん」

「そのことて、何のこと」

「今、出かける前に、井谷さんに何とか電話で云うとかんならん」

「何で」

「あの人、昨日又やって来やはって、今日にも見合いさしてほしい云やはるねんが」

「あの人、いつもそんなやで」

「正式の見合いと違うて、一緒に御飯たべるだけやさかい、そんなに堅苦しゅう考えんと、是非承知してほしい云やはって、明日は都合が悪い云うたら、そんなら明後日は如何です云やはるよってに、どうにもいやや云うこと云われへんねん」

「本家はどない云うてるのん」

「姉ちゃんが電話に出て来て、行くのんやったらあんた等が附いて行きなさい、私等が附いて行ったら後で引っ込みがつかんことになるさかいに云うねん。―井谷さんもそれでええと云うてはるねんけど」

「雪姉ちゃんは」

「さあ、それやがな」

「いやや云うのんか」

「いやとは云うてえへんけど、……ま、昨日来て今日明日のうちに見合いしょうて、そない軽々しゅう扱われとうない云うのんが、ほんとうのとこやないやろか。何せはっきり云うてくれへんさかい分からへんねんけど、もうちょっとその人のこと調べてからでもええやないか云うて、何ぼすすめても行こう云うてくれへんねん」

 

この軽妙な女性会話のリズム。

 

二人の声を直接「聞いて」いるような印象を受けるのは私だけでしょうか。