受験で奇跡はおこるのか(R君の合格から) | お受験ブルーズ
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現役講師がお受験を通じて世間を眺めています。
大手塾勤務→独立→プロ家庭教師と変わって来ました。(作曲・編曲、戦国シンフォニックメタルバンド「Allegiance Reign」のベーシストとしても活動しています。どっちも本気です)

 かつて若かりし僕は、「誰でも頑張れば東大くらいいける」と思っていました。今もまあ、心の奥底では思っていますが、そんなに甘いものではないことを、この仕事を通じて感じています。

 

 かつてそう思っていたのは、熱血でもなんでもなく、僕自身が、小学期には塾で0点をとったこともあったし、中高で、中の下から努力を重ねることで東大まで行けたその経験則に依るところが大きいです。

 

 ただ、本当に甘くないのです。だんだんと指導歴が長くなるにつれ、「みんながいけるわけじゃない」「所詮才能が大きい」という、ニヒリズムめいた考え方になっていきました。やはり遺伝めいた才能値や、努力できる才覚みたいなものがあって、その限定要因が大きいのではないか、と。

 

 本質から変わってくれた生徒は本当にごくわずかに思えました。

 

 麻布や開成や豊島岡に受かっているようなかつての自分の生徒も、元々の資質が優れているだけであり、彼らの「才能内で」努力しただけで、突き抜けるような能力開発を感じることは、ありませんでした。

 いうなれば、80点の人間が自分の限界内で努力をし、85点になって、83点の学校に受かった、というような感覚です。

 

 もちろん、これでも、生徒はそれぞれの受験を戦い切っているのであり、戦略としての勝ちに導くという意味で、受験のプロとしては良いとは思うのです。ただ、まあ現実とのなあなあのバランスをどこかでとっている自分を感じてはいました。

 

 それが、この度、一人の生徒の頑張りが、改めて僕に大切なことを教えてくれました。受験にとって、長期的視野がいかに大事か、を皆さんにお示しすることにもなろうと思いますので、参考にしていただければ幸いです。

 

 かなりの長文ですが、これはすいませんが、最後まで書かせていただきます。

 

 

 この生徒を、僕は足かけ8年、見ています。

 しかも、今のように月2とか隔週ではなく、まだ暇な? 時代でもあり、本当に毎週指導していました。

 

 この家庭は、言っちゃ悪いのですが、いろいろと問題が大きな家庭でした。言葉数が少なく時に過激で不器用な言葉使いのお父様、収入が高くプライドの高いお母様、ぶーたれの妹、そしてシャイボーイの兄。←これが僕の生徒です(まあ中学受験は妹も見たし、問題はあったけど最後はうまくいった)

 

 かなり当初は困難な時期もありましたが、お母様お父様の苦悩、兄妹側の苦悩などを目の当たりに出来、いろいろと僕は学ばせて頂いています。この家庭から想起された記事もいくつか書いています。

 

 まず、僕はここまでで家庭教師だけでも数百人、塾時代をいれると、それこそ600近い生徒を見ていると思います。そのほとんどの生徒に関して、「才能がない」「だめな奴だ」と思ったことはありません。頑張れば、やはり東大にでも行けると思っています。

 

 

 注意としては、ほとんどの、99%の生徒は、本当の意味で「頑張る」ことはありません。与えられた状況の中で、そこそこを100%近くやっているだけ、与えられたり見えている風景の中でしか頑張っていない、と言えると思います。

 

 それでいいと言えばいいのですが、何も失うものがない10代の間くらい、限界を超える経験をやってみればいいのにな、と僕は常々思っています。まあ、そういう生徒は、ほとんどいないですね。受験はその格好の材料なのですが。

 鉄緑などに通って、与えられたものだけをやって(まあ東大まで行けて)しまうと、自立意識に欠け、極限の中での突破経験は、難しくなるでしょう。

 

 

 ただ、そうはいっても、「これはちょっとなぁ」「さすがにきっついか」と思える生徒が、つまり才覚面でもちょっと厳しいかな、と思える生徒が3人くらいいました。そのうちの一人が、この兄のほうなのです。

 

 彼が小6の時は、悲惨なものでした。まず、まともな授業になった記憶がほぼないです。休憩時間には、アニメや特撮のテレビを30分も見てしまい、ほぼ授業が潰れるというw おまけに、いざ勉強を始めても、文句が多いし、僕の言うことはきかないし、口答えや何のかんのと言い訳をつくってはやりません。1,2問やって休憩、を繰り返します。

 

 そして、親が帰ってくる授業終了30分まえになると、突然人が変わったようにおとなしくなり、机に向かうようになります。

 とはいっても、親の前でだけ真面目にやっていて、普段の勉強を真面目にやれていないので、塾もついていけずに辞め、個別も先生と喧嘩していったふりしていかないなどを連発。当然、成績も地の底のような状態でした。

 

 声を荒げて怒ってもだめ、なだめすかしてもだめ、強引に連れ戻してもだめ、舐められないようにするので精一杯の状態でした。「ま、ギャラはでるんだから」と自分に言い聞かせながら、毎回の2時間を戦っていました。

 

 僕の場合、この仕事(家庭教師)は基本、嫌になることがないのですが、この時期のこの家庭だけは、正直、毎週行くのが心重い時期がありました。

 

 しかも、どう考えても、目の前の生徒はいい実績を出してくれそうにありません。同じギャラで、大人しくて頭の良い生徒を教えれば、はるかに楽なうえに、実績も出して僕の名前も上げてくれるかもしれないのです。そのような葛藤が毎回ありました。

 

 そのころの僕は独立して理想の塾を作ろうとしていたのですがうまく行かず、生きる目的である音楽などの芸事もできず、経済的にもけっこうヤバいところまでいって、厳しい時期でした。ギャラは今の時給の半額以下ではありましたが、しんどい時期でもあったので、受けるしかない事情もありました。(塾独立画策期、自分は数年実質ノーギャラでした。それに比べればという想いもあった)

 

 当初は、ま、進学実績さえ諦めて、テキトーに授業をやって逃げるようにとっとと帰ってれば、ひとまずギャラはもらえるし、いいか、と思うようにしていました。

 
 

 が、数か月そこに通う中で、この生徒にも可哀想な事情があることが見えてきました。

 

 この子が頑張れないのは、親が厳しすぎる面があることが大きいということがはっきりわかったのです。毎日、この兄妹は親の厳しい𠮟責や体罰におびえながら、家の手伝いなどもこなし、勉強もつまらないけどつまらないとは言えず、(あと、「わからない」とも言えてなかった)、どんどん問題が複雑化していることがわかりました。

 

 その反動で、親の見ていないところで羽を伸ばしすぎるきらいがあったのです。おそらく、塾でも学校でもまともにやれていない、怠け癖が元々あるのに見栄っ張り、さらに快楽主義な面もあって、才覚が全く伸びていかない事情が見えてきたのです。

 

 そこで、僕はいろいろと察して、「北風と太陽」でいうところの太陽になることを決めました。休憩にアニメをみるなら一緒に見てやろう。じゃあそこまでにここらへん説明してやるから終わらせようぜ、というシステムにすると、それまでの3倍くらいの量ができました。しょーがねえやろーです。

 

 まあとはいえ、たった1年しかない中学受験は最後の方はちょっとやるようになったものの、偏差値50以下のところも含め全滅でした。

 当時、僕は何人かいる家庭教師のひとりに過ぎず、算数しかもっていなかったのですが、見てみると他教科も盛大にボロボロでした。

 ま、仮に僕がもっと頑張って、算数だけまともにしても合格にはならなかったでしょう。(算数はどの学校も5割くらいだった。それでも自分なりには最善を尽くして戦えたと思えたw) 

 

 彼は、公立中に進学することになります。

 

 ま、これでこの家庭ともおさらばだな、ほな! と思っていたところ、お母様から直々にお電話があり、「中学以降も持ってほしい。うちの子が長谷川がいいと言っている」と。4人の各教科の家庭教師から僕を選んでくれた、というのを粋に感じ、引き受けることにしました。

 

 ま、正直、関東の高校受験はレベルが低いことをバカみたいに時間をかけて必死に繰り返し演習でやり、しかもシステムに不可解な部分があって、嫌いだったのでめんどくさかったのです。

 

 が、これを通じて僕は都内の高校受験と公立カリキュラムに精通する(テスト時には毎日のように行って、マジで全部一緒にやった)ことになるので、大きなプラスはありました(笑) (また、これをきっかけに、日本の教育界の大きな欠点も見えています)

 

 さすがに、小学生のころのようにクソガキではなくなりましたが、ここで、僕はヤツの「才能のなさ」を痛感してしまうことになります。

 

 中1から中2は、基本的に授業のフォローをしつつ、世間一般のことや、学歴のことを話すことが多かったです。そもそも、普通に机に座るようにはなったのですが、15分と集中が持ちません。

 

 集中ができない、しても続かない、考えられない、そもそも読めない、プライドが高く粘りがない。おまけに提出物も出さない、ごまかす、親には調子のいいことだけ言う、ちょっと目を離すと、ケイタイ(高校時はスマホに)やDSばっかりいじってる。

 どこからともなく手に入れた小遣いで、衝動的に漫画やコミックスを買っては、それが部屋や机に大量にあふれていました。あきらかに、普段はやっていない、僕との授業の時しかまともにやっていないのはバレバレでした。

 

 こういう子でも、説明すればわかったり、受け答えを見れば「知能は高い」「頭はいい」などはわかるものです。それが、この子からは全く感じられません。

 

 中2の後半ごろには本人もだんだん荒れてきて、親も𠮟責が多くなり、家出を繰り返すようにもなりました。お母様は自分の仕事があるのに、深夜の街を探し歩いて、何度も連れ帰っています。

 

 お母様から、家庭教師の前や後に、個人的に相談されることが増えてきました。親の言うことが届かなくなってきていて、僕が間に入るしかない事例が増えてきたのです。

 

 ここで対応を間違えていれば、ヤツの性格上、おそらくへそを曲げまくって、夜の街に消えていくなり警察沙汰などを起して、家に寄り付かなくなり、良くない友人と付き合うようになったりして(夜の街には必ずいる)、まともに高校受験もできなかったことと思います。

 

 それくらいデリケートな時期でした。毎回の授業で、うまくコメントしてやれるか、こいつを認めてやれるか、をビビりながら授業していました。せっかく励ませても、お父様の言動ですべてが不意になったりすることも多かったです。精神的にも不安定でした。

 

 もう、親の暴力では躾ができない状態になっていたのです。小学期は体力がなく、親に反抗できなかったのが、体力がついて牙をむくようになったのです。

 親は相変わらず「日比谷高校とか目指してみろ」などと、非現実的なことを言っています。彼はそれを信じて一旦は努力しようとはするけど、まったく結果がでず、そのギャップに現実逃避をする、この繰り返しでした。

 

 家出などの問題行動も、決まって定期テストの前などでした。逃避行動であるのは、僕には痛いほどわかっていました。失敗なんてしてくれてなんぼなのですが、彼は、親が自分の成績にどう反応するのかが、怖かったのです。そして、勉強もすっかりわからないので、自信も失っています。逃げる気持ちも僕には痛いほどわかりました。

 

 この状態を打破するには、どこかで、まぐれでもいいから、結果を出すしかなかったのですが、結局、高校受験まで一度も出ませんでした。

 

 高い志望や学校名を言うのは、親御さんなりにハッパをかけようとしている。それは、僕にはわかるのですが、子供たちにはその真意が全く伝わっていませんでした。

 親子喧嘩がかなり増えてきます。

 

 中3になるころには、サボりまくったツケがまわってきていて、真面目に取り組んでも、思うように点数がでなくなっていました。

 僕的には、中3になるころには、彼なりに真面目にやるようになっているし、やりたい、という気持ちがあるのはわかっていました。でも、平均にも届かないのです。真面目にやる、と決意しても漫画を読んだり、ダラケてしまう現実もありました。

 

 彼は家族とのやり取りの中で、家で大泣きし、正体をなくすこともありました。(思えば、家族の前で大泣きできたときから、ちょっと変わった。僕は横でもらい泣きしながら、慰めているだけw)彼なりに自分の不甲斐なさを感じているのが分かりました。

 

 公立中で、頑張っても平均に届かない、というのは、まあ、そういうこと(才能の欠如)なんだな、と僕は思うようになっています。まぐれでもいいから、良い結果をとらせないと、もうヤツの心が持たないとも感じ、「もういいだろ、結果ださせてやってくれよ、やってますやん!」と神様に向かって呪い事を言う日々でした。

 

 そんな感じで、高校受験を迎えるのですが、ひとまず、この感じだと大学受験は難しいと感じたので、大学付属校、それも日東駒専レベルのやや低いところを狙わせました。

 ただ、結局、公立の高校受験では、内申が大きくモノを言うので、提出物を一度でも忘れたり、テストが悪かったりすると、もうリカバリができません(不登校の場合も同様)。

 

 私立でも推薦でエントリーできていないと、純粋な学力だけでは挽回できない現実(推薦組プラス30点は3教科合計で必要)があり、ここも失敗に終わってしまいます。

 

 ただ、中3夏明けくらいからはまあそこそこはやりました。彼なりには頑張ったと3カ月くらいは言えると思います。でも、偏差値50いくかいかないかの、中途半端な高校にしか受かりませんでした。特進クラスもあったけど、そちらにも入れずでした。

 

 

 高校からは少し様子が変わりました。(彼なりに)頑張って無理だった、という初めての経験ができたこともあり、学歴・大学に非常に興味を持つようになりました。(そのころの様子はhttps://ameblo.jp/jyukuko/entry-12194511673.html

 

 中3のころの夏休みに一緒に漫画喫茶にいったこと、彼の興味があるロードレーサー(たっかい自転車)を僕も買い、進学祝いに一緒に数回ツーリングに行ったこと、僕の仲間のオタクおじさんたちの仲間に入りバーベキューなどをしたこと。僕も誰よりも楽しんでますが、いろいろと時間を割いていきました。

 

 そのようなイベントがあるたびに、彼の心が柔らかくなり、前向きな発言が増えるのがわかりました。

 いつしか彼の問題行動は全くなくなり、ひとまず勉強はするようになりました。

 

 僕の知り合いのおじさんたちは、非常に彼をかわいがってくれ、いつも気にかけてくれたり、励ましてくれたり(コミケに出たりw)、よい?大人の見本を見せてくれました。そのことが、「こういう大人になる」という具体的目標になり、そのためには仕事もまともでないといけないこと、そのためには大学も、できればいい所が有利なこと、なども理解していきました。

 

 彼に必要だったのは、居場所や、愛情めいたものだったのだな、とそのころには感じています。

 ただ、彼の両親の愛情が乏しいのではありません。やや不器用で(親子とも)、うまく伝えられていなかったのです。ちょっとした言葉の、なんと重要なことか。

 

 子供は「頑張ったね」って言ってほしいだけなのかもしれませんし、「大丈夫?」といつも声をかけて欲しいだけなのかもしれません。それが非常によくわかる日々でした。

 僕自身も言いにくいことでも言うべきことは発言するようになったり、感謝や謝罪をしっかり言葉にするようになったり、反面教師として学ばせてもらっています。

 

 彼が高1の終わりごろ、さらに事件が起こります。そのころ、妹がサピックスで受験を迎えており、そちらでも、毎日バトルが繰り広げられておりました。

 

 結果として、お母様が倒れ、重篤な脳の病気になり、長期の入院を強いられることになってしまったのです。そこからお父様が家事の一切を行い、長男である彼も介護用品を病院に届けたり、その一方で妹は中学受験と、大変な時期が始まります。

 

 このことがあってから、この家族にはいろいろと気づきが起こり、団結して物事にあたるようになっていきます。妹の方は、万年サピでAクラスだったものの、最後には自分から勉強をするようにもなり、その成績からはもったいないような学校に合格(これはほぼ僕の力かもですw)。

 

 そして、彼は高3になりました。進学した高校では、一応頑張っていて、中の上といったところ。ただ、その学校は9割の生徒が指定校推薦やAOでなんかテキトーに大学受験をしていく学校で、学力勝負の一般受験をする子はほぼいません。

 その中でも彼は、国公立大を目指すことを宣言し、戦うようになります。

 

 ただ、国公立大はさすがに無茶だと僕はわかっていました。現実を知らないがための、無謀策でしかないです。でも、はじめてなくらい、彼から言いだしてきたことではあり、そのための勉強も未熟なりにやっているので、その基礎くらいは作ってやろう、と思いました。また、なんとか可能性くらいは残してやりたい、と思えました。

 

 しかしです。やはり、中高6年の重みは違いました。1年で逆転できるほどのものではありませんでした。ちょっと本気になったくらいで、中高一貫の進学校の子たちに割って入ることなどできません。甘くはないです。

 

 これは名門進学校で中高サボった子にも感じることですが、猛勉強、といってもその「やり方」が全くわかってないのです。ものすごく甘いクオリティだったり、量の少なさにビビります。また、時間も1日4時間がせいぜい。これで国立? 舐めんな、という感じでした。

 

 僕が高3のころは、1日8時間から10時間がデフォです。というよりは、やるべき課題を並べていったら必然的にそうなる、という量がそれでした。

 その量がなぜわかるかと言うと、定期テストなどで真剣に取り組んでいるので、その経験から自分の能力や足りない分野などを分析することに長けていたのです。

 中高で大きくサボると、それを高3になってからしなければならないので、非常に不利なのです。

 

 それでも夏には、10時間くらいをしてくれました。これは7年付き合ってはじめてのことであり、気合を感じることができました。

 たしか高3の7月に、学校が休みにも関わらず、舐め切ったクオリティしかできていないので、3週連続で怒りました。

 8月に入ると、「お、やっとる」という状態が続くようになり、はじめて、「授業らしい授業」ができました。あ、俺、ちゃんとコイツにモノを教えてるな、と。

 

 サピの小学生でも初回からできることが、7年もかかってます(笑)

 

 そうなると、まともな戦略もいくつか打つことができました。が、さすがに全統などでは結果が出ず、僕は「ひとまず(国公立大は置いといて)日大を狙おう」と提案しました。当時、アメフト問題で受験生が大幅に減ることが予想できたし、実際1万人くらい減っていました。それ以外にも「受験戦略」ではかなり大当たりし、「おいしい」大学を受験させることができました。

 

 が、結果は惨敗。それどころか、E・Fランの大学も一つも受かりませんでした。さすがに、がくりと来ましたね。

 本当に才能がないんだな、と。彼なりに頑張ったのはわかってるし、しょうがないのかな、と。

 

 また、私大が受かりにくくなっていることもマイナスに働きました。その3年前なら、日大でもどこかの学部なら入れていたと思います。

 

 ただ、自分で勉強する、という基礎はできていたし造ることができた、自分の役目は終わった、と思えました。そこで、落ちた場合のおススメの予備校を教え、浪人では彼をもたないことを約束していました。

 

 浪人は、特に今まで甘ちゃんだった人間には、人生を見つめ直す良い機会です。基礎をつくり、できるだけ1人で頑張らせるのが大事、というのが僕のポリシーです。浪人で伸びている人間は、全員、孤独に戦っています。それ以外の人間は遊んで、元の学力よりも下がって、人生で大損こいています。

 この率は五分五分です。

 彼の場合、その危険性はもうない、と判断しました。

 

 それでも、あれだけ単語覚えたり、演習してもセンターで5割行かないことなどから考えて、「1浪して日東駒専かな」と僕は踏んでいました。プロ的にも正しい予想だったと思います。

 センターでは、問題の文章を読解することもなかなかできない状態で、僕の(日本語のw)和訳が毎回必要でした。(一応、ちょっとは読書してましたが、読めなさはひどかった)

 

 それでも、日東駒専ならまあいいんじゃないかなと思いました。才覚的にもです。まあ、がんばれよと。たまには遊びにつれてってやるから。なんかあったら相談しろ、と。

 

 

 そして、1浪後。

 

 結果として、彼は浪人の1年でセンターの点数は倍増、MARCHの一番上を落として、合格を勝ち取りました。(さすがに国公立大は無理だった。ただ惜しいとこまではいけた)

 (追記、さらに早稲田の政経にも合格していることが発覚、さらに奇跡めいたものになりました、奇跡ですこれは笑)

 

 その一報を聞いたとき、彼のメッセージがあまりに熱くて、僕は人といたのですが、その場で泣いてしまいました。簡単な感謝の言葉と、「見捨てずにいてくれてありがとうございました」という言葉で、泣かせてきよったのです。

 

 夏休みに、彼を励まそうと、件のおじさんたちを集めて秋葉原でご飯を食べました。その時の彼の印象や、勉強に関する相談、発言、1日の勉強スケジュールなどを聞いて「かなりやっている」「人生をかけてやってる」のはよくわかりました。

 

 予備校の自習室に開門から閉門まで必ずいて勉強し、ノルマをこなすと朝の1時や2時までどうしてもかかってしまう。友達も作らず、とにかくべらぼうに勉強をしていました。身体を壊さないか心配なくらいでした。

 

 ただ、これを聞いても、まあ日大がせいぜいだろう、とおもっていたのです。私立大の定員厳格化による厳しさはそれくらいしんどいものでした。名門私立中高一貫の子も、落ちこぼれると、ほんとにMARCH以上はきついのです。

 

 受験の神様はいる。今年は早慶どころか、MARCHも志望者数が少なく、みんながチキンでした。そこを読み切ってかどうかはわかりませんが、上位から受けていったのは素晴らしいと言わざるを得ません。

 

 運は「運ぶ」という字を書く、というのが僕の恩師の言葉なのですが、まさに、彼は運を努力で運んできおったな、と思えました。努力による実効的なとんでもない引き寄せをしたのだと感じました。

 この1年でFランも落ちた人間が、MARCH出身者になり、大きく人生は好転したに決まっています。

 

 彼は元々、気遣いなどは非常にできるタイプなので、その辺の高学歴あんちゃんとはひと味違います。厳しい躾も受けており、礼儀などもしっかりしているので、社会人では大成することと思います。さらに、この1年で、努力の意味や、報われない努力の意味を知り、他人にも優しくなれることと思います。

 

 

 今までの数多の教え子の中で、ワーストじゃないかな、という才覚の人間でも努力によってMARCHまで行けました。

 

 いわんやそれ以上の人間をや、なのです。

 

 やはり、受験くらい、必死になってやることで、MARCHくらいには行ける。そして、ほんの少しの才覚があれば、億劫の努力で東大にだって行ける。

 

 究極の成長マインドセットと確信。

 

 僕は彼から、元々持っていた自分のポリシーを、思い出させてもらうことができました。

 

 

 この仕事は素晴らしいです。人間の成長をみること、促すこと、一緒に伴走することは、本当に素晴らしいです。この8年ごしの感動は、自分の東大合格よりも嬉しいものでした。8年前、逃げなくてよかったです(笑)

 

 今まで、家庭の事情などもあり、非常に困難な生徒が3名いました。その3名は、僕がいたことで役に立てたな、と及ばずながら確信が持てる生徒たちです。いずれも、普通の教師や塾講師なら、しっぽをまいて逃げ出すような生徒でしょう。彼ら彼女らと逃げずに向かい合ったことは、僕の誇りです。

 

 今も、大変な生徒を何名か抱えておりますが、この経験を基に、見捨てることなく、これからも僕なりの最善を尽くしてまいります。

 

 いつも読んでくださってありがとうございます。

 

 

リブログ、リンク、引用等は基本自由です。もちろん、一報いただけると助かりますが、特におしらせいただかなくても大丈夫です。

 

スーパーコンサル2020、今年も受け付けております。究極の受験セカンドオピニオンを体験してみませんか。もちろん、2度目3度目の方も歓迎です。ご希望の方は、下記記事を参照の上、メールをください。(読んでいない方が多いです。一度はぜひお読みください)

https://ameblo.jp/jyukuko/entry-12446458308.html

メールアドレス、hasetomo2009☆yahoo.co.jp(☆を@に変えてください)

 

また、小6から定期指導(月2または月4)をご希望の方は、早めにその旨お伝えください。できれば、新学年前に一度コンサルなどで課題点や学習計画などを相談したほうがうまくいきやすいです。家庭教師の方は下記をご参照ください。(2020年現在、毎週の指導は厳しい状況です)

https://ameblo.jp/jyukuko/entry-12514934840.html

 

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https://ameblo.jp/jyukuko/entry-12528522329.html

 

 

お問い合わせいただいたメールに返信はできていますでしょうか? 迷惑メールとして処理されてしまって届いていないということがたまにあります。僕はどんな内容でも、1週間の間に必ず返信は行いますので、1週間経ってもこない方はお手数ですがもう一度しっかりタイトルなどもいれて送っていただければと思います。問題集に載っているアドレスの方にだしていただいても構いません。

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