そんなに天才になりたいのか | お受験ブルーズ

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現役講師がお受験を通じて世間を眺めています。
大手塾勤務→独立→プロ家庭教師と変わって来ました。(作曲・編曲、戦国シンフォニックメタルバンド「Allegiance Reign」のベーシストとしても活動しています。どっちも本気です)

 この仕事をやっていると、特に中学受験では『天才』をみかけることがよくあります。中学受験はどんな子でも準備時間が短く(当たり前ですが、絶対に10年以下)、その子の才覚のようなものが高ければ、それだけでそこそこ戦える側面があります。
 
 また、僕自身が東大に進学したことで、自分の高校や田舎では見かけなかったようなぶっちぎりの天才も見てきました。僕の合格した理2という科類は、理3(のちに医学部へ進学、日本受験の覇者)と1・2年時の必修授業などが同じで、同じ教室で理3の天才たちを観察できたことが大きかったです。
 
 音楽や芸事の世界でも、いわゆる天才とはいかないまでも、類まれな才覚のある人物を多く見てきています。
 
 僕からの見解を言わせていただきますと、天才であること自体にあまり意味を感じなくなってきています。
 
 そういう方の、その後の人生などを垣間見まして、うまく幸福になっていないような気がするのです。また、せっかくの才能をもちながら生かし切れていない人生、それゆえに「何やってんだそんな才覚もちながら」と他人事ながら残念に思えることが多いのです。
 
 もちろん、『普通の幸福』というのも難しいこの現代社会では、天才でも賢き普通の人々であることが賢明であるし、徳も多いとは思います。ですが、そういう意味ではない、客観的事実として「なんだ、そんなもんかよ」と思えてしまう人生が、若いころに天才だった方に多いのではないでしょうか。
 
 一流のプロ野球選手などが、子供のころどうしても敵わなかったような方のその後の人生も、意外に普通の人生を歩んでいる方が多いという事実もあるようです。
 
 僕の今までの観測でも、幼少から中学入学くらいまでで天才だった子ほど、結構な不幸だったり堕落していたり、怠惰だったりしていて、大きな人生の回り道をしているケースが多い、と感じます。
 
 
 そのくせ、親御さんたちは我が子をできるだけ「天才」に育て上げようとする傾向を僕は見ています。
 このブログでは右脳系の教育をあまり勧めてはいないのですが、右脳系の教育の裏には「我が子を天才にして、楽させてあげたい」という心理を見ます。
 
 また、小さなころから英語ばかりを仕込むのも、似た心理かもしれません。(英語が母国語の外国の方からすると、日本人の英語熱には、かなりの違和感があるという方が多いです。まずは基軸言語をしっかりさせた方がよい、というのがこのブログのスタンスです)
 
 それで我が子を天才にできたとして、その子はその後、本当に幸福になるのでしょうか。幼児教育から大学教育までを眺めている僕からは、逆に、不幸になってしまいやすい芽を見てしまいます。
 
 地頭が良い、的なことも、まあそこそこあれば十分だと思います。そのあたりは、公文や読書で無理なくやるのが最上である、というのが、いろいろ見てきた中で結論になりつつあります。
 
 親として、お子さんの人生を俯瞰で見たときに、一体どうしてあげることが本当の意味で最もプレゼントになるのか、は考えるべきだと思います。能力に注目するのではなく、粘りや思いやり、継続力などに注目すべきだと思います。
 
 
 例えば、英語が喋れる「だけ」では、真に幸福にはなれません。日本では高学歴にもなれません。まあ、うまく文系で私立を狙い、高学歴になれたとしても、有能な人材であるかどうかはまた別問題です。英語を「使って」、何ができるかが大事です。
 
 また、特にこれは日本の教育の良さでもあると思うのですが、教科としても努力量としても、バランスの良い人材になれていないと、大学受験突破は難しいです。少子化とはいえ、東大京大をはじめ、MARCHレベルより上は、どんな才覚を持ち合わせていようと必ず、地道な努力が必要です。
 
 つまり、地道な努力なり継続なりをできるようにしてあげること、その必要性を自然と理解できるようにすること、が子育ての目的の主たるものであり、たとえ勉学に才能がなかったとしても、人生を好転させる最も重要な要素となると感じます。
 
 それを受験や部活を通じて学べるようにすることこそ、日本の教育の軸に据えるべきものでしょう。特にこの平成は、そのあたりの根幹めいたことが急速に崩れてきた時代だったと言えると思います。
 
 みなさん、検索なりなんなりして、できるだけうまい情報や手段を使って、楽になんとか受験やなんやを突破してやろうと考えてしまっているのではないでしょうか。大金を惜しみなくつぎ込む方もいることでしょう。
 
 それだけでは、「ある程度」のところで、必ず頭打ちになります。最上の手段はありますが、結局はどうやっても地道に何かをする必要が必ずあるのが、この社会だと思います。それを忘れてはいけません。
 

 

 さて、例えば、数学の天才児の例が分かりやすいので上げてみます。

 

 
 数学がずば抜けてできる子、というのは、意外にも30人に1人くらいの割合でいます。それは僕の観測では、最初は単に計算や初歩の何かが得意なだけで出来た気になっており、その良い勘違いのまま数学・算数が好きになり、結果として考えるのが好きになって、得意になっている、という形の子が多いです。嫌いにさせない、というのはこういう意味でも非常に大事です。
 
 数学が超得意というのは、これは圧倒的に試験に有利でして、なにしろずば抜けた天才級の子というのは、数学の勉強時間がほぼゼロでも、9割くらい取れてしまいます。高校ではさらに物理も選択すると、物理もほぼ何もしなくても9割となります。
 
 でも、数学が大得意の子というのは、結構挫折するパターンが多いのを僕は確認しています。気分的にムラッ気がある子も多いし、本番に弱い子も多いです。精神的にチキンな子が多い印象です。好きなことを情緒的にしかできず、大きなことは成しがたいと感じます。
 
 というのも、それは「地道な努力を覚える機会がない」からなのです。
 
 数学の天才児は、才能がそこそこ以下の人間がしなければならない努力量の、まあひいき目に見ても半分くらい、もしくは3分の1くらいで努力している人間と同じような偏差値がでます。
 同様に外国在住経験などがあり、英語が最初からできる子などは、もっと少ない勉強時間で、ハイレベルな偏差値にまで到達することもあるでしょう。
 
 そんな人間が、わざわざしんどい目をして、自分の嫌いな教科や嫌いな物事をしたがるでしょうか。努力などしなくても楽々できてしまい、高い評価を得るジャンルがあるのですから、そこにこだわったり、その世界にいた方がいろいろと楽でしょう。
 
 数学の天才が、全ページを隅から隅まで見て、憶えて、確認して、を繰り返さねばならない社会など、めんどくさくてやるはずがないです。逆に記憶の天才がいたら、数学など全部解法を覚えて、本質にたどり着くことはしないでしょう。
 
 しかし、これでは、「地道な努力」「継続力で勝つ」という人生における成功のファクターが学びにくくなってしまいます。
 
 子供のころからこうですと、努力や継続をする習慣がつかず、それでもなんか勝てるので、人生を舐めだすことにもなります。これが20代から30代で転職を繰り返したりして、給与がどんどん下がっていく不幸な因も生みます。弱きものの気持ちもわからず、人望もついてこないでしょう。
 
 
 これが、例えば、東大京大などであれば、その天才の子たちでも、いろんな教科をせねばならず、必ず苦手な能力も鍛えねばならない側面があります。ここで地道なことができないと、さすがに東大などは厳しいです。
 そういう意味では、まだ、人格的バランスは保たれやすいです。
 
 東大理3のほとんどの子が物理選択で、数学が大得意のパターンが多い事実があります。これは、上記のように数学、物理にほとんど時間をかけなくて良いので、残った時間で他教科をやり込むことができ、有利だからなのです。
 が、その天才たちでさえも、さすがに理3や京大医学部となると、努力プラス継続力が必要となります。
 
 日本では、多少の差はあれ、特定の教科だけで高学歴を得ることは難しくなっています。
 つまり、どんなに地頭や知能がよく、数学や英語に才能があったとしても、それを生かすだけの努力ができる精神性と、継続して努力をすることの価値や喜びを知っている人間でないと、結局は成功しにくいです。
 
 やはり、努力や継続力なき「中途半端な天才」(と僕は呼んでいる)は、一流にはなれません。プレッシャーにも弱いし、本番で信じられないようなミスもよくします。
 右脳系の教育をしていたことで有名な女子フィギュアスケートの選手も、地道な努力をあまりしたがらないのではないか、とネットでは噂です。
 
 僕が見てきた迫力ある成功者は、才覚は中の下だったとしても、誰よりも地道に努力をし、自分の中で精一杯やったと言い切れるまで努力をするので、本番では不安などありません。
 
 落ちたとしても、努力をやり切っていれば、「なら、どう考えても今回の人生では無理だった」「しょうがない、次いこう」と自然と思えます。学歴などに対する妙な執着も湧きません。
 
 これが何をするにもうまくやる人間の性質だと思います。僕自身も結局はそのように自分より才能のある人間に勝ってきている事実があります。
 
 僕が成功者であるかどうかは、これからの人生を見ていただくしかないのですが、やはり大学時代の友人の何人かは大きな成功を収めつつある者もいます。
 その誰もが、若い時に才能的にずば抜けていたわけではない、才覚面が特段優れていたわけではないことが、今日のような記事を書かせる一因にもなっています。
 
 子供にとって、「パッとできる」ことを増やすことははたして意味があることなのでしょうか。なんでもパっとやりたがって、地道に泥臭いことから遠ざけてしまうことになりはしないでしょうか。挫折した人間だけがもつやさしさや思いやりも、身につけるべきではないでしょうか。
 
 どんな子も、たとえ挫折しても、くじけず頑張っていく中で何かをつかんでいくし、良い人間になっていくと感じます。また、こう考えると、中学受験などの子の挫折も冷静になって眺めることができます。
 
 大事なのは、継続力であると子たちに知らせておきましょう。また、習い事をはじめたら、何かを達成するまでさせてあげて、継続的努力が実を結ぶミニチュア的経験をさせておいてあげることをおススメします。
 
 
 努力してもマンスリーの点があがらない、クラスもあがらない、でも辞めるわけにはいかないから頑張る。一寸先は闇のなかで、できることを未熟でもやってみる。そこに僕は大きな価値を見ます。
 
 そういう泥臭い努力を継続できるような、できれば明るく地道にやれるような心根を育ててあげることが、受験の目的でもあるし、人生の成功者を多く生み出す因にもなるのではないか、と多くの受験生を見てきて思います。
 
 才能がなくてよかった、と地道にやってきた人間は思えます。
 
 ま、とにかく今、目の前のことを全力でやってみようではありませんか。魔法のようにパっとできることなど、この世にありはしません。
 
 いつも読んでくださってありがとうございます。
 
 

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http://ameblo.jp/jyukuko/entry-12078350127.html
 

お問い合わせいただいたメールに返信はできていますでしょうか? 迷惑メールとして処理されてしまって届いていないということがたまにあります。僕はどんな内容でも、1週間の間に必ず返信は行いますので、1週間経ってもこない方はお手数ですがもう一度しっかりタイトルなどもいれて送っていただければと思います。問題集に載っているアドレスの方にだしていただいても構いません。

また、現在、かつてないほどの多忙につき、やや返信が遅れ気味になっております。同時に複数のメールをやり取りしている場合もありますので、返信が滞っている場合は、かまいませんので催促してください。

 

5年生や受験学年でない方のコンサルも受け付けております。また、遠方の方も交通費さえ頂ければどこにでもいきます。(九州や群馬、栃木、大阪、奈良、兵庫、京都などもありました)

 

教え子の医学部留学生がブログをはじめました。医学部にご興味のある方はどうぞご覧になってください。医学部生のきつさや海外生活なんかの赤裸々なところがわかるかもですよ、むふふ。

こちらです。 http://ameblo.jp/harryhawk-bp/entry-11385618245.html (閉鎖中のようです)

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