セルジューク時代ゆかりの地を巡る【イラン旅行⑧エスファハーン】 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

エスファハーンといえば、私の愛するセルジューク朝の首都でもありました。

 

数は多くないものの、セルジュークの遺産を巡るのも楽しみでしたデレデレ❣️

 

 

まずは、エスファハーンで最も古いモスク、ジャーメ・モスクمسجد جمعه

 

 

 

8世紀に建立されてから、エスファハーンを支配した数々の王朝によって増築・改築が続けたため、様々な時代の建築様式が混在し、「イラン建築史の博物館」のようなものだとか。

 

 

門の唐草模様が美しいタイルはサファヴィー朝時代のもの。

 

 

 

入るとしばらく続く、無骨なレンガ細工のアーチと円柱は、ブワイフ朝セルジューク朝時代のもの。

 

小さいドームごとにレンガで様々な幾何学模様が作られています

 

 

その奥に拓けた、大きなドームを持つモスクは、セルジューク朝の大宰相ニザーム・ル=ムルク(💕)が作ったもの。

 

↑ミフラーブ

 

 

見事すぎる木彫りのミフラーブとミンバルは、イルハン朝(フレグ・ウルス)のもの。

 

モンゴル系の王朝ですが、素晴らしいイスラーム工芸技術を持ってたんですねぇ

 

 

冬用に作られた礼拝スペースは、元はムザッファル朝が作ったものを、のちにサファヴィー朝が改修したもの。遊牧民🏇の天幕の中をイメージしているとかキョロキョロ

 

 

 

回廊を抜けてやっと内側に出ると、イマーム・モスクと同じような感じで、青いタイルに覆われたイーワーンが四辺にある、巨大な空間が現れます。

 

 

 

最も美しい南のイーワーンは、セルジューク朝最盛期のスルタン👑、マリク・シャー(💕)とその宰相ニザーム・ル=ムルク(💕)が建てたものラブ

 

 

 

内部は初期のムカルナス(洞窟・鍾乳洞を表した立体装飾)で、周囲はタイルが美しすぎる。

 

 

 

とはいえ、構造だけがセルジューク時代のもので、タイルは15世紀に白羊朝のウズン・ハサンが加えたものだそうですが、隅々まで美しいです。

 

 

 

これよく見ると全部モザイク・タイルなんです。パネル状のタイルに描いたものではない。とてつもなく精巧で精密‼️

 

唐草の線みたいな部分もタイルをその形に切り出してはめ込んであるんですよ!

 

 

空間全体の雰囲気はウズベキスタンのレギスタン広場とかに似ていますが、タイルの精巧さは段違い!

↑ついにウズベキスタンまでdisりにかかったイランの宣伝工作員w

 

 

 

北のイーワーンは、ニザーム・ル=ムルクの後任、タージュ・ル=ムルクが建てたもの。

 

 

 

イーワーンの外面も中の礼拝堂スペースも当時のもの。

セルジュークのシンボルである八芒星を多用して素敵だなーと思っていましたが、中世イラン建築の最高傑作と言われているとか。

 

マリク・シャーの妃と共にニザーム・ル=ムルクの暗殺に関わり、のちに彼の子孫に殺されバラバラにされたという、因果応報を絵に描いたようなヒト。

 

 

ジャーメ・モスクには学生時代にも来ましたが、その時はセルジューク推し(笑)じゃなかったので、改めて来られてよかったです。

 

 

 

さてこのジャーメ・モスクの出口からも見える、アリ・ミナレットمناره علی

 

セルジューク時代、しかもマリク・シャーの息子、スルタン・サンジャルの時代のものというので見に行きました!

 

 

 

エスファハーンで最も古く、高さも2番目のミナレットだそう。

ミナレットに施されたレンガの装飾が、なんともセルジュークちっくでたまりませんなデレデレ

 

 

 

このモスクの周辺はかなり歴史的な地域で、とっても味があって散策するの楽しかったー。

 

 

 

セルジュークより少し前の10世紀に建てられたという、ハキーム・モスクのジョリジール門も、セルジュークと共通するレンガ文様が素晴らしく素敵です。

 

 

 

モスクそのものは17世紀に再建された新しいものですが、門だけは当時のもので、泥レンガの壁に覆われていたところから、90年代に発見されたんだそうです‼️

 

 

 

さて、セルジューク朝の遺産をめぐる旅、最後に行ったのは❣️

 

イラン旅行のために色々調べている中で、オットが「君がすごく喜びそうなものあったよニヤニヤと見つけてくれた場所です‼️

 

 

 

マリク・シャーとニザーム・ル=ムルクのお墓です‼️きゃー

 


 

一番手前にある棺型の墓石の下は、ニザーム・ル=ムルクの埋葬場所でほぼ間違いないとのこと。墓石はサファヴィー朝時代のものとか。

 

誤解される方も多いですが、ムスリムは土葬するので、棺のように見える墓石に遺体は入っていません。

 

 

奥に置かれている美しい墓石は、諸説あるものの、マリク・シャーのものとされています。

 

とにかく二人のものとされるお墓のそばで、ファーティハを詠むことができて、ちょっと泣きそうなくらい感動泣くうさぎ

 

ムスリムはお墓で死者の魂のためにクルアーンのファーティハ章などを唱えます

 

 

この場所は、ニザーム・ル=ムルクの邸宅の跡地びっくりと考えられていて、それも感動❗️

 

面している路地も、ペルシア語風の呼び名で「ネザーモルモルク師通り」と名づけられていました。

 

 

 

ここはイランでもトルコでもあまり知られていず、基本的には閉鎖🔒していて、見学するには管理人さんを電話で呼び出し、鍵🔑を開けてもらう必要があります。

 

ここがびっくりするほど簡素なのは、セルジューク朝がテュルク系の王国なのでイラン人の関心を惹かないのも理由の一つでしょうが。ニザーム・ル=ムルクはペルシア人だけど

 

マリク・シャーとニザーム・ル=ムルクが、シーア派勢力🇮🇷と軍事的にも文化的にも激しく対立したことが一番の理由と想像します。

見学に来るのはトルコ人だけだそう

 

この管理人さんはそういう政治的思惑にとらわれず、ここを守っていて下さるので、少しながらお礼を置いてきました。皆さんしているようです

 

 

霊廟の中央にある、四角い青い箱のようなものは、管理人いわく(シーア派)イマームの親戚の墓と伝わる」とのことですが、普通に考えて「え、なんでここに?えーって感じでしょ。

 

ガイド氏が、墓を守るために聖スライマーンの墓だと偽られていたキュロス大王の墓みたいだね、と言うのに納得。

そう、たぶん、どこかの時代で誰かが、シーア派勢力から墓を守るため、そういう話を作り上げた可能性あるよなぁ‼️

 

トルコの歴史ドラマに登場した、マリク・シャーとニザーム・ル=ムルク

 

 

「マリク・シャーとニザーム・ル=ムルクは何をした人?なんでトルコ人は彼らが好きなの?」

というガイド氏の質問に、

 

マリク・シャーのお父さんアルプアルスランは、マラズギルトの戦いで勝ち、ビザンツィン帝国の皇帝を捕虜に取った人。そこでの勝利があってテュルク系の遊牧民はアナトリアや中東方面に広がることができた。

マリク・シャーはセルジューク帝国の最盛期のスルタン。そしてニザーム・ル=ムルクはその二人のスルタンに大宰相として使えた非常に優秀なブレインだったの!

 

とセルジューク推しのわたくしめが語っておきましたよウインク