暫定のゴール設定について その2

 

前回暫定のゴール設定について私の解釈を紹介しました。

その際、神田昌典さんが2002年に出版された「非常識な成功法則」を紹介しました。

 

そして今回改めて読み返してみると、M先生の講座で教えて頂いた内容や、苫米地博士の書籍と共通する内容が多いことに驚きました。

 

神田昌典氏は情報空間の概念や内部表現の書き換え、現状の外側かつ抽象度の高いゴール設定といった概念とは無関係だったと思いますが、やはり成功された方には共通点が多いのだなと思いました。

 

今回は情報空間の書き換えとは若干外れますが、「非常識な成功法則」の中から共通する考え方を紹介させて頂きます。

前回書いた通り、私自身はおよそ抽象度の高いゴール設定はできてなく、現状の外側にちょっとだけ出た抽象度の低いゴール設定しか今の時点ではできていません。

 

それでも今日ご紹介する考え方やM先生の講座で教わった考え方を相互補完的に咀嚼すると、今は抽象度が低いゴール設定しかできていなかったとしても必ず抽象度の高いゴール設定ができるという設定に対して確信を持てました。

同じような悩みを持ってらっしゃる方がいればご参考にして頂き、少しでも役立てば望外の喜びです。

 

P43~P45

良い目標設定をする上で、もっとも大切なことは、自分が本当にやりたいことを見出すことだ。

(=want toなゴール)*赤字は私の補足です。

そんなことは分かっているよと言われるかもしれない。

しかし、たいていの人は、自分がやりたいことを勘違いしているんだ。

つまり、やりたくないにもかかわらず、やりたいと思い込んでいるのである。

そこで本当にやりたいことを発見するために、次のプロセスを是非やってみて欲しい。

簡単だけどインパクトのある方法だ。

まずは紙を1枚用意する。

そして、やりたくない事を書き出す。

タイプミスじゃないよ。

やりたいことを明確にするためにはやりたくないことを明確にしなければならないんだ。

ここがポイント。

常識的な成功法則の本では、やりたいことを明確にしなさいというアプローチをする。

ところが、やりたいことは、自分で自覚していなかったり、世間体に影響されてしまっていることが多い

(=M先生が講座でご指導くださった洗脳されたゴールと同じと解釈しました)

 

P47~P48

「やりたいことを見つけたいなら、やりたいことを見つけようとしてはいけません」

「やりたいことを見つけるなら、やりたくないことを見つけなさい」

つまり「やりたくない」ことを明確化することによって、本当にやりたいことが見つかる。

それはあなたが潜在的に思っている願望を引き出してくれる。

世間体・家族からの期待・友人知人の常識。

そんな手垢のついた「やりたい」ことではなく、あなたの心が求める、本当の「やりたい」ことに光を当てる。

 

「やりたくない」ことを明確化する前に「やりたいこと」を目標としてしまうと悲劇だ。

なぜなら「やりたいこと」のなかには「やりたくないこと」が含まれているからだ。

「会社を大きくする」ということだけを目標にしたとする。

するとそのために嫌な客と付き合わなければならない。

仕事優先となり、家族との休暇はほとんどとれない。

その結果、子供との会話がなくなってゆく。

本当は家族を幸せにするためにと思ってやり始めた仕事が家族をバラバラにしてしまう。

自分が望んでいた生活はこんなんじゃない、なんて後から騒いでも、もう元には戻らない。

それって、最悪じゃない?

 

「やりたくないこと」を明確化してから、今度は「やりたいこと」を書き出す。

すると作用と反作用の法則が起こる。

つまり、自分勝手に「やりたくないこと」を100%通すんだったら、自分が選んだ道では120%といわず200%でやってやろうじゃないかってことになる。

 

この後に抽象度の高いゴール設定と共通するのではないかと思える記述が出てきます。

P53~P56で書かれている「やりたいこと」と「やりたくないこと」の間に決着をつける

P57~P62で書かれている「ミッションを見出す」の内容です。

ここは次回のブログで書いてみたいと思います。

特にミッション=抽象度の高いゴール設定という解釈ができるなと思いました。

 

尚、この書籍では「やりたくないこと」「やりたいこと」を書くページがあり、2002年に自分が書いた内容を22年ぶりに読み返しましたが、当時30歳で書いた内容の80%は実現していたことを知り、多少は驚きました。

ベタな読者コメントのようで恥ずかしい限りですが事実は事実として書いておきます。

 

ただ・・・・。

前回の投稿で書いた通り、SMARTの法則と言われる原則に則って書いた目標であるため、当時の自分にとっては現状の外側のように思い込んでいたゴールでしたが、当時の自分にとっては未来の自分であった現在の自分が読み返すと完全に現状の内側で、抽象度がバリバリに低いゴール設定でした。
 

前回書いた通りですが、ブレークスルーしない、そこそこの目標設定においてはSMARTの法則は有効に機能してしまったので、現状の外側かつ抽象度の高いゴール設定においては寧ろ邪魔する存在となってしまっている感はあります。

1)Specific  (具体的)
2)Measurable (測定可能)
3)Achievable  (達成可能)
4)Relevant     (関連性)
5)Time-Bound(期限)

 

ただ同著ではそんな私に救いと感じられる一文がありました。

 

P59

このミッションはかっこいいものである必要はない。

私のミッションは当初はどんなものだったかというと・・・。

「常識はずれの大成功」

これだけ。

なんとまあ、自分勝手な??

いいんです。

今から考えれば、これは素晴らしい。

なぜって、ちょうど序章で述べた通り、始めた会社が飛躍するときには、エゴからスタートしてもいいからである。

とにかく、はじめから完全にやろうとするのではなく、まずはやってみる事が大事。

 

これからスタートしても、ある程度、豊かになってくる、不安が消えてくると今度は社会に対しての貢献欲というものが出てくる

(=自分から距離が遠い、第三者の幸せを包摂したゴール=抽象度の高いゴールと解釈しました)

 

そういえば2024/11/4の投稿でちきりんさんの書籍「ゆるく考えよう」から以下の引用をしましたが、全く同じことですよね。

以下引用

1)一般に人がこだわるものは「自分」か「自分の会社」そして「子供」や「家族」ですが、この意味するところは「自分にとって最も大切なものについてこそ、強いこだわりがあるために正しく判断できない」という矛盾です。

 2)違う視点から考えてみましょう。これは「こだわりの対象」となりうるものを「自分からの距離」によって整理したものです。

  1)距離ゼロ(例:自分の人生へのこだわり)

  2)短距離 (例:自分の子供の人生へのこだわり)

  3)中距離 (例:日本の教育制度についてのこだわり)

  4)長距離 (例:世界平和に関するこだわり)

 3)次第にこだわりの対象が遠くなる人とは、(=抽象度が上がってゆく人という解釈をしました)

   若いころ「俺は金持ちになりたい」と起業

   ↓

「家族に何不自由ない生活をさせる」「息子には最高の教育を」と仕事にまい進し、

   ↓

  事業が大きくなり安定すると「日本はこのままじゃダメだ」と感じて積極的に社会問題に関わりを持ち始め、

   ↓

  最後は「世界平和に貢献できる人を育てたい」と留学生やNPOの支援、若手政治家の育成に乗りだすという人です。

 

4)一方でこだわりの対象までの距離がだんだん短くなる人とは、

「世界に貢献したい」と若いころに世界放浪

   ↓

 帰国後に世界と比べておかしな日本に対し、「日本を変革する!」と意気込み、関連分野で起業

   ↓

そのうち家族ができると「家族こそ自分にとって最も大切なものだと気が付いた」と家族派に転じ

   ↓

晩年は「永久に死にたくない!」「俺をずっと大事にしてくれる後継者を次の社長にしたい」と思い始める

   ↓

最後は自分のエゴに戻ってしまう人です。

 

5)このふたつのパターンを比べれば、こだわりをどの距離に持つべきかよくわかります。

近い範囲のことにこだわりを持ちすぎると、影響力が大きすぎて間違いが起こりやすくなるのです。しかもこだわりが強い人は熱心で頑固です。

その力が小さなモノに向かうとものすごく大きく間違ってしまいます。

 

6)つまり自分の大事な家族や会社、そして自分自身に関する判断で失敗しないためには、できるだけ遠くにある広い範囲のことにこだわりの対象を移してゆけばよいのです。

それにより「身近なことへのこだわり」を少しでも小さくでき、自分や大事なものに対しての判断が少しでも客観的になります。

 

→改めてM先生の教えが相互補完的に理解できたように感じます。

皆さまはいかがでしょうか?