このタイトルでブログを書くのは二度目です・・

以前「おやじ」の所で書かせて頂きましたが、その後 父のコロナも陰性になり、すっかり元気を取り戻してくれ(のように見えたのですが・・)週に1~2回ほどの面会を楽しみしておりました~

しかし その面会には片道1時間以上もかかる上 面会時間は僅か15分、しかも「面会は同時に2人まで」という事でしたので、面会に母と妻と私の3人で行った時は 最初に私と母~ 次に私が7~8分ほどで退出して妻と交代~ みたいな感じでアッと言う間に面会時間が終わってしまいます~(但し 父は私達の事を判らない事も多く、例え私達の事を理解したとしても 何を言っているのか判らず会話になりませんので、元気な姿を見るだけで十分なのですが~ 笑)

そんな事もあり いつか来るであろうその時のためにも なるべく近くの施設に移し、イザという時には直ぐに・そして頻繁に 会いに行けるように~ と施設への移転手続きを進める事にしました!(幸い入院先の病院にて、父の精神状態を安定させるような薬投与も始まり、徐々にその効果も出始めてましたので、これなら普通の施設でも受け入れて貰えるとの事です!)

その結果、以前ショートステイでお世話になった 自宅から7~8分ほどの施設にて受け入れて下さる事になりまして、早速 入所手続きを進める事になりました!


所が・・

その施設への入所手続きを進めている最中・・ 父の入院先の担当の先生から電話がありまして「この2~3日 食事を口にしなくなってしまいました。 しかも肺炎の方も再発しているようなので、一度 出来るだけ早めに面会にいらして上げて下さい。」

という訳で、実は前回 新地からの帰宅日を1日早め その翌日に面会に行く事にしておりました・・ で、東京に戻って片付けを終えた所で またしても病院から電話がありまして「点滴の針を自分で外してしまうので、手を拘束してもよろしいでしょうか?」と・・ まだそこまで元気があるのかあ~ って少し安心しつつ、先ずは少しでも栄養を摂る事を優先しないといけませんので、拘束して頂けるようにお願いしました・・

そして同日夕方、父の入院先から近い妹が 1日早く面会に行ってくれました~(これで状況が判れば 少し安心です!)


すると・・面会に行った妹から連絡です・・ 「午後から おとうさんの容態が急に悪化したみたいで、おとうさん 酸素吸入してる・・ しかも呼吸も苦しそうで声をかけても意識がないのよ・・ お兄ちゃん達も早く来れない?」

妹からこの連絡を受け、母・妻と3人ですぐに家を飛び出します・・ なお妹は、一旦家に戻ってから再度 甥っ子達と一緒に面会に行くとの事でした・・

病院までの道のりは1時間・・ と、家を出てすぐにまたしても病院から電話です・・「血圧が下がってます、また心臓も弱ってまして 何度も止まるような状況です。すぐに面会に来れませんか?」「今 向かってます!」

折り返し、すぐにその旨 妹に連絡すると「判った! すぐに病院に向かうね!」

それから30分・・あと10数分ほどで病院へ到着するという所で、妹から連絡があります・・「おとうさんが息を引き取った・・ 私も間に合いませんでした・・」


漸く病院へ到着し 病室へ案内されると、酸素マスクをしたままの父がベッドに横たわってました・・ そっと体に触れてみると、まだ普通に暖かったです・・

すぐに先生が病室に入って来られ「最後の診断を行わせて頂きます」・・ 胸に聴診器を充てながら 腕首で脈を取り・・ 続いてペンライトで瞳孔の状態を見てくれます・・ その間 僅か2~3分ほどでしょうか? 最後にはだけていた服を正すと「ご臨終です・・」・・ 父が亡くなったという実感は全く湧かず、ドラマの1シーンを見ているようでした・・


このあと父が新しい浴衣に着せ替えて貰っている間(病院から「早くベッドを開けて欲しい」と言われてしまいましたので)私は悲しむ間もなく 葬儀屋さんの手配を行いまして~ その葬儀屋さんが来て頂けるまでの間、あとから急いで駆けつけてくれた甥っ子達も一緒に父の枕元で父の思い出を語り合いました・・

それにしても最後は本当に呆気なく・・ 人間ってこんなにも脆いものなのか・・ と つくづく思わされた次第です・・


父が亡くなってから3日後、慌ただしい中で お通夜~葬儀も無事に終えましたが、どうしても父の事もブログに残して置きたく、今こうして「おやじ」を思い出しながらブログを書いていると、人生の修行を全うした父に対して 心より「ご苦労様でした! そして長い間 ありがとう御座いました」という気持で一杯になります~

私もおやじに恥じないよう おやじのようにしっかり!人生の修行を全う出来るよう 日々気を引き締め、後悔のない人生を送りたいと思います!!

おやじ、いつまでも愛してます・・