↓ウィキペディアより抜粋

1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO) 、1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した。

第五福竜丸の水爆災害(とりわけ久保山無線長(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を遺して息を引き取った事)は、当時の日本国内に強烈な反核運動を起こす結果となった。

反核運動が反米運動へと移行することを恐れた米国は、日本政府との間で被爆者補償の交渉を急ぎ、「米国の責任を追及しないこと」の確約を日本政府から受け、事件の決着を図った。
1955年(昭和30年)に200万ドルが支払われたが、連合国による占領からの主権回復後間もなかったこともあり、賠償金でなく“ex gratia(好意による)”見舞金として支払われた。
また事件が一般に報道されると、「放射能マグロ」の大量廃棄や、残留放射線に対する危惧から魚肉の消費が落ち込むなど、社会的に大きな影響を与えた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8






アニメファンは、こう呼ぼう!
原爆投下(1945年)=ファースト・インパクト
原発事故(2011年)=セカンド・インパクト
サードインパクトが起きると、日本はほろぶと言われている

↑とあるサイトで見掛けたのだが…


↓ウィキペディアより抜粋

1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85

↑この事故を知ってるなら…

日本の国土に限っても【サードインパクト】は既に起こってしまっている。




2011-05-07のブログ【原子力】 http://ameblo.jp/jwp4321/entry-10884729667.html? にも書いたが、『原発がこんなに恐ろしい物だと知らなかった』では、済まない。


しかし、必要以上に心配するのも如何なものか…

幼い子供が居るから心配なのはわかるが、屋外が安全基準を大幅に下回ってるのに、屋内に保存して有った【打ち上げ花火】を使わなかった理由が【具体的な数字が判らないから】なんて…
┐('~`;)┌