皆さん、こんちにちは

 

お元気ですか?

 

私はラスベガスに住んでいます。

 

アメリカに約30年も住むことになってしまい、不肖な私ですが感じたことや体験したことなどを書き綴っていきながら何かを伝えられたらと思っています。

 

私は何度もブログで書き綴っている内容の一つとして、自由の意味と独立の意味の探求です。

 

アメリカは、本当に自由な国ですが、この自由がアメリカを崩壊へと導いているのではと感じることも多いです。

 

アメリカが建国された当初は、宗主国であるイギリスからの独立を求める自由でした。

 

自らが好き勝手に生活したり、考えたりする自由ではありませんでした。

 

従属している状態からの解放が自由でした。

 

この従属には、様々な側面がありました。

 

植民地として税金を納めたりなどの経済的な従属の状態が一つです。

 

そして、カソリックなどのヒエラルキー構造が根深い宗教的な従属の状態からの自由がまた一つです。

 

自由とは、自らの個性を縛り付けている権力などの圧力からの解放でした。

 

しかし、アメリカという国民国家が生まれて少しづつ自由の意味が変化していきました。

 

権力への圧力に対しては、もちろんまだ物凄く敏感です。

 

トランプ前大統領からよく分かりますよね。

 

しかし、もう一つの新たな自由を多くのアメリカ人は追求し始めています。

 

それは「身勝手な自由」、「合理的な自由」です。

 

これを禁止してしまうと若者から嫌われてしまうし、溝が作られてしまいます。

 

左翼はこの自由を強調しています。

 

女性の中絶の事はとても繊細な例なので、なかなか話せませんが、私の体だから私の勝手でしょうというだけの話ではありません。

 

胎児のこともそうだし、相手もいることであるし、そこまでに至る経緯などなど、女性の立場はとても尊重し、重要ですが、それだけ結論出せないことが、自由と責任と倫理とのバランスがどうしてもあります。

 

このバランスを、もっと社会的な責任や倫理を考えることが伝統的な思考でした。

 

生活環境に社会があり、自治体があって、様々な小さな組織が重要な立場にあるのが国民国家です。

 

そして、この状態を小さい政府と言います。

 

しかし、左翼は大きい政府で、社会も自治体も独立できずに国に従属した国家を作ります。

 

国民国家とは素晴らしい言葉だと思います。

 

英語では、Nation State と言います。

 

家という意味は皆無です。

 

State は州ですから、国よりも少し小さい組織です。

 

しかし、家という言葉が入ると家の中には普通ならば信頼関係があり、愛があり、暗黙のルールが存在しています。

 

昔の近所付き合いなどもそうでした。

 

そこに初めて主権が生まれてきます。

 

主権とは責任者としての意識であり、人生の目的みたいなものです。

 

その主権がアメリカも日本も失われてきています。

 

アメリカはその罪を不法移民にのみ非難しています。

 

しかし、それだけではありません。

 

家庭内の秩序です。

 

最近はこの秩序が無いので、アメリカも自由の価値が変動しているように思えます。

 

その象徴がイーロンマスク氏ではないでしょうか。

 

これを痛感したのが、この記事を読んでからでした。

 

 

「イーロン・マスクのイエスへの信仰観」との題目です。

 

アメリカですので、その人の宗教観や神様やイエス・キリストに対する理解はとても重要な計りになります。

 

日本では、信仰観が土着してしまったので、あまりこのような風習や理解はありませんが、国際社会ではとても重要な物差しです。

 

この記事の最初の切り口は、 “Christianity has become toothless,” 「キリスト教は、牙のないものである。」と話しています。

 

記事を読み始めてすぐですから、「おっと!!、」と引き付けられました。

 

そして、「必要なのは目には目を、歯には歯を」という概念であるとか、「イエスの内容は素晴らしい知恵である。」とか話していました。

 

つまり、イエスを救い主と考えるのではなく、一つの哲学であり、指針であると考えている感じです。

 

彼も様々な宗教の勉強をしたそうです。

 

イスラム教、ユダヤ教そしてヒンドゥー教などもです。

 

私もいろいろ勉強したので、親近感は沸いてきました。

 

最終的に彼の思想の研究は、この様に言われています。

 

「目標を設定する事は簡単だが、それに行く着くまでにどの様な疑問を持つことが重要である。」と話しています。

 

彼も様々な境遇の中で、葛藤や困難の中、自らのアイデンティティーを探し続けていたのだろうと思います。

 

その点は素晴らしいですよね。

 

アメリカや日本の一部では、平和であり、満たされ過ぎて、その様な事を追求しようとしません。

 

しかし、ここで私が実感した事は彼は現実的で合理的な思考回路であり、もっと深いものを求められないのだろうなぁと思いました。

 

多くの日本人の方々は、侍の背景をお持ちでしょうから、葉隠の伝承する「武士道とは死ぬことと見つけたり!」という事がよく分かると思います。

 

ましてや、海外に住む日本人にとっては、日本の文化力が物凄く強いので海外の人々を圧倒する中、日本を背中に背負って生きています。

 

ですから、生き様や死に様という事がよく分かります。

 

現実的、合理的な思考をしていくと、この様な何のために生きるべきかと分からなくなっていきます。

 

私には3人の子供達がいて、一生懸命に育てています。

 

ですから、国民国家や民主主義は家庭からというのが身に染みます。

 

イーロンマスク氏は、子沢山で12人もいますが、3人の女性からで結婚はされてません。

 

率直にこれでは、組織作りには何か大きな支障が起きるだろうと思うし、建国当時の自由に対しての動機が変化して行った若者の思考回路であるなぁと感じます。

 

旧ツイッターの買収も目には目をの原則です。

 

トランプ氏差別がありましたからね。

 

トランプ氏の支持も暗殺未遂事件後に神がトランプ氏を守ったからだと彼も理解しているようですが、現実的には電気自動車反対のトランプ氏の懐に入り、自らの会社を守ろうと思っているし、最悪民主党になっても電気自動車は守られると現実を直視しているだけです。

 

まぁ、トランプ氏も分かっているから、何か気に食わなかったら首にするだけです。

 

私は宗教家でありませんが、思想を考えます。

 

やはり、キリスト教の発展のきっかけはペンテコステであり、弟子達がイエスのような生き方を模倣し、愛を実践していこうとするところから始まりました。

 

生き様です。

 

ですから、武士道とキリスト教は通じる所があり、セオドアルーズベルト大統領も愛読し、多くの人々に読むようにと配ったと聞きます。

 

やはり、世代を越えて残せるものは生き様であり、死に様です。

 

これしかありません。

 

日本も平和過ぎるところがあるので、この様に生きれる若者が少なくなって来ているのではないでしょうか?

 

今度の総裁選も非常に気になります。

 

命をかける事を教えるには、大人や親が命をかけて生きて行かないと伝わらないですよね。

 

非常にこれからのアメリカも危機感を覚えるし、日本も然りです。

 

深い世界へ行かなければ、人生はワンパターンで面白くないですよね。

 

家庭を持つことや人を愛することは、普遍的な価値を帯び、また愛の深さはものすごく深くもなるし、浅くもなります。

 

愛することは、人格形成です。

 

金で人格は買えません。

 

こんな事も分からなくなってしまったくらい普遍的価値というものや、世代を越える価値観というものが分からなくなっている事は危機です。