『緋文字 The Scarlet Letter』1934年
ずっと年上の医師の夫が行方不明の間に、牧師と姦通し娘を産んだ女性の話。姦通罪で晒し刑になった女性は、その娘の父親の名を明かさない。(夫が行方不明になって二年経ったところで出産したので姦通罪。)
女性は罰として、服に緋色のAという文字を入れられる。(緋文字のAとは「密通・姦通・不義」を表す“Adultery”のイニシャルAのこと。)
女性は娘と暮らすことで心が安定するのだが、
「信徒の信頼厚い」牧師は苦悩、
病を得て余命わずかとなる。(女性に弱音を吐き、抱かれる牧師。)
行方不明となっていた夫が、夫の友人の医師としてこの共同体にやってきた。
1642年(日本は江戸初期)のアメリカ入植時代。イギリスからやってきた清教徒たちは、原住民とも会話を交わし、生活している。
信仰が共同体のベース。神が共通の父。牧師も父。
共同体の風紀が乱れぬよう、宗教ベースの戒律が厳しい。破ると見せしめの刑。この辺りが江戸に似ていると思った。
棒咥えの晒し刑には、鬼滅の刃のネズコの竹轡(たけぐつわ)を想起。
夫は、女性と牧師の二人を生かすことが復讐(苦悩させたい)。
二人が娘と海の向こうへの逃亡を企てると、その船に乗る手筈を闇で整えてしまう。
夫が事実を知っていると分かった牧師は、行列を止めて自分の信徒に向かって事実を告白。
自分も罰の緋文字が胸にある、とシャツをはだけて緋文字を見せ(焼き印なのだろう)、
直後に気を失い、女性と娘に見守られて死去。
永遠の魂として死後に会いましょう、と女性は牧師の最後の命に向かって話した。
(それを見ている女性の夫)
やんちゃで自由な五歳の娘の教育をする際、「本当のお父さんが欲しい」という娘に、「自分を父親だと思ってくれていいよ」と牧師。信徒としての娘(娘が洗礼を受けていなければ、信徒の娘)の父(牧師)でもあり、実の父でもあり、しかし娘は本当の父だとは知らない、というジレンマ。
牧師の苦悩というのは、完璧な聖人君子にはなり得ない宿命の、肉に宿った魂である人間存在全員の苦悩なのであろうと思った。
この1934年の作品では作品全体が本気で苦悩しているが(原作者ホーソンの苦悩を真に受けているが)、それ以降の映画作品では、「牧師萌え」で描いている部分も多少あるのでは、と思った(信仰で禁欲生活を送っている人こそがエロい(攻略したい無理めの山)という文脈)。
様々な「緋文字」。
戒律の圧で治世している共同体。右の男は、左の女の下着を見たからと結婚しなくてはならなくなる。女性は意中の男性だったからいいが、真ん中の男性は、左の女性との仲を右の友人に取り持ってもらっているという最中だった。
しかし真ん中の男性は、二人が女性の下着を持っている所を見たため(実は椅子に置きっ放しになっていた下着を「何だこれは?」と男性が持ち上げ、女性が「恥ずかしい」と取ろうとしたシーン)、右の男性に「下着を見た、結婚しろ」と言う。
これは、自分たちの自由のために守っている戒律に、自分たちが首絞めにあっているという例。
ここは面白可笑しい味付けがされているが、実は怖いシーンだと思った。
上位下位、という言葉を想起。上位にあると思い込んでいる想念・イメージに、下位にあると思い込んでいる意識が従ってしまう。想念・イメージの方が象徴的・シンボルになりやすく、意識は法律や明文なのかと思った。「盲目的な信仰」や「盲目的な服従」というようなこと。つまりそれは、思考の放棄。現実逃避。しかし、現実逃避した市民を、一人の強欲な独裁者がしたいように操るのでは、とも思った。熱狂的な何かは、解放的であるが故につけいられる最たる現場。祭りで掏摸にあうようなノリで。
権威(牧師・教会・大人)に簡単に従わない「言う事をきかない」娘が、こどもらしくて非常に可愛かった。
オフショットでの(母子)。
主人公の女性を演じたコリーン・ムーア。コリーン・ムーア - Wikipedia
★コリーン・ムーア(Colleen Moore、本名キャスリーン・モリソン〈Kathleen Morrison〉、1899年8月19日 - 1988年1月25日)は、アメリカ合衆国の女優である。主に1920年代のサイレント映画で活躍し、クララ・ボウや
などに先駆けた「フラッパー」の代表的な存在として一世を風靡した。1934年の引退後は投資家としても成功を収めている。★
★Wikipediaより ★
『緋文字』(ひもんじ、英:The Scarlet Letter)は、ナサニエル・ホーソーンによって執筆され、1850年誌に出版されたアメリカ合衆国のゴシック・ロマンス小説であり、多くの場合ホーソーンの代表作であると考えられている。17世紀のニューイングランド(主にボストン)のピューリタン社会を舞台に、姦通の罪を犯した後に出産し、その父親の名を明かすことを拒み、悔恨と尊厳の内に新しい人生を打ち建てようと努力する女性ヘスター・プリン(英語版)の物語を描いている。この物語を通じて、ホーソーンは神の赦しと律法主義、罪悪についての問題を模索している。★
ナサニエル・ホーソーン。