(上)からお読みください。

 

3.入試における「公正・公平」とは
そうすると,入試における「公正・公平」とは,単に「差別をしない」というような,単純なものではないことが分かります。既にいくつかの言及が観察されますが,入試における「公正・公平」とは,ルールを明示し,そのルールを正確に適用していくという意味での「透明性」にあると考えられます。言い換えれば,ルールとして,「男女比を概ね7対3とする。この比率を維持するために点数調整を行うことがある」などとすれば,少なくとも「公正・公平」性は一定程度担保されていたということだってできるのです(もちろん,そのことの「是非・当不当」は別問題ですが,大学入試センター試験や司法試験の選択科目での科目間の「点数調整」の存在は周知の事実でしょう)。しかし,これをせずに,外見上はさも「性的区別は問題としない」ように装っていながら,実際にはそれを行っていれば,「公正・公平」さに問題があるという結論に異はなくなるのです。
この点に関連して,この「透明性」は「明文」が必要なのかというのが問題になるでしょう。というのも,法律にしてもそうですが,「すべてのルールが成文化されているわけではない」からです。大学の弁明や一部の(女性を含む)医師が言及したように,業界内では「認識されていた」のかもしれないのです(もちろん,当該ルールの当・不当は別問題です)。否,法規範とは,それが成文化されていたときですら,その法文そのものではなく,その法文の指すところの「規範観念(の1つ)」に過ぎません。そのため,規範の適用を受けるべき範囲の人々がその規範を認識し得ていたのかということこそが重要になるのです。それによって予測可能性が生まれるのであり,また自らの行動の指針や自己決定の考慮要素となるのです。したがって,もし,「およそ医学部医学科を受け得る全受験生がそのルールの存在を認識し得ていた」のであれば,「公正・公平」は実は担保されていたということもできるのです。

4.まとめにかえて
では,今回の場合,社会的に見て「妥当」だったのか。
我々は,「自らの価値観」とは別に「社会の価値観(通常は,「善良の風俗」といわれます)」とも共生しています。明け透け(透明)にされたルールとて,無謬ではありません。公平さ・公正さは確かに欠くことのできないものです。しかし,それだけが唯一無二の至上価値だというわけではないとも言えそうです。法律は,憲法に反すれば違憲と評価され,無効化されます。これすらも「より上位の規範に反する下位規範は無効化される」という法規範の優先劣後の一場面に過ぎません。このことは我々にインスピレーションを与えてくれます。それは,「上位規範は何か」ということの追究です。女性の社会進出が進み,そしてそれを受容すべきだという「上位規範」を我々が共有しているのであれば,なぜ「医師」にはそれが妥当しにくいのかを丁寧に説明し,納得させなければなりません(「遵守せよ。さもなければ説明せよ」です)。それができないのであれば,やはり「不当」だったというそしりは免れないように思われるのです。
〔了〕


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