「自分で調べろ」

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質問に対して、「自分で調べろ」と応える人がいます。しかし、それは「愛ある鞭」のような高尚なものではおよそなく、むしろ、その人の下劣さを示す一端になり得ます。

もし「自分で調べろ」を徹底するのならば、およそ「他人に問う」ことは許されないことになります。もっと言えば、「他人から学ぶ」こと自体否定されなければならなくなります。我々の業界で言えば、弁護士に対して発せられた「○○は違法(犯罪)ですか?」という問いに、その弁護士が「(法律と判例見ればわかるから)自分で調べろ」などと言えば、明らかに不当でしょう。それは専門知識であるからだけではなく、それに対するノイズとなる情報が多いからでもあります。情報の選別は、その情報群に対して、適切な「見方」を身につけた者のみがすることができるのです。

 

我々は常に「他人」から学んでいます。学校教育ですら、教師や教科書(の背後にいる筆者)が持っている知識やそれを体系化した知恵に頼んでいるのです。「自分で調べろ」などというのは、そういった「知識」の背後にいる「情報提供者」の存在を忘れた、あるいは無視したものであり、知識の流布というものに対してあまりに無理解だといわざるを得ません。

「自分で調べろ」の背後に、「簡単に教えては教育効果が上がらない」という意志があるのだとしても、それであれば、「どこを探すべきか」示すことが必要でしょう。体系化された知恵から導き出されるヒントというのはそういうものです。

 

情報一般に言えることですが、それは秘匿されることではなく、むしろ広められ、それを活用することでその役割を果たすのです。だからこそ、個人情報ですら完全な秘匿は法律上念頭に置かれておらず、人格的利益との関係でどのように調整するかという観点で法律が組み立てられているのです。

人が情報・知識を秘匿するのであれば、その情報・知識は広められません。そうなると、「自分で調べ」たところで、情報・知識が一切手に入らないということも起こり得ます。

「ググればすぐに出て来るのに」などとさも「常識的な」ことをいっているつもりであり、そしてそれなりに賛同を得られそうなことでも、その土台を分析すれば、むしろ根本的な問題を含んでいるといえます。「自分で調べろ」などというご高説よりも、「自分は教えたくない」という言い方の方がよっぽど誠実だといえるように思われます。


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