大分前に「ネット上の表現と群集心理」という稿を起こしましたが、そこでは「人は集まるとバカになる」ということを、ネット上の表現と絡めてお話をしました。

今回は、そういう「人は集まるとバカになる」というお話ではなく、そういう「バカになり得る」集団を作ろうとすることについてのお話です。

 

最近、東京大学の木庭顕教授(ローマ法)の著作を読むことが増え、そこから多くのことを学んでいます。彼は、「本来の政治は利益で繋がった集団から自由であるものである」ということを基軸にさまざまな法律問題を、ローマ法との偏差で解説していきます。

なぜ、ローマの政治は「集団」、つまり「徒党」を嫌ったのか。そこには、私の見るところ、2つの理由があります。1つは、集団・徒党が「力」、「権力」、すなわち「暴力」に結びつき、法の目指すところではないという理由です。もう1つは、集団・徒党がそういう「力」を持っているために、その集団がどこからどこまで繋がっているのか分からず、不透明さがあるというものです。

 

もちろん、現在、これを貫徹できません。憲法レベルで「集団」を作ることを認めており(憲法21条1項)、それはまさしく上記の集団の持つ「力」に着目したものなのです。ただ、この2つの指摘には、ちゃんと注意しておく必要があるように思われます。

人は自分の意見を通そうとするときに、とかく「力」を頼りにしがちです。それも、「刃向かったら何をされるかわからない」というくらい大きな。そうすると、集団はどんどん大きくなってしまいます。本来回避されるべき「力」をつける(つまり、「自力救済の禁止」を否定する)ことを是とするのは、本来国家の責務ではありません。と同時に、やはり、そういう「集団」や「力」を持ち出そうとする者には、とりわけ強い懐疑心を持つ必要があるということが言えそうです。つまり、「みんなが言っている」とか、「みんな(自分たち)のもの」だとか、そういう外縁がぼんやりとし、その中身の透明性が確保されていないものは、いずれ、いやそもそも「力」を持ち出しているのです。こういうときこそ、その主張の根拠を白日の下に曝す必要があります。

 

既に上掲拙稿で示したように、人は徒党を組むとバカになります。どんなに優秀だと言われる人ですら、どっぷりとその集団に組み込まれてしまえば、その優秀な頭脳は制限されてしまうのです。そこには、自らの集団の持つ「力」を当てにしているからかもしれません。そうすると、上記の集団・徒党の持つ危険性と、構成員の能力を減退させるというのは、実は相関関係を持っているのかもしれません。

 


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